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うちの画家先生19(詩月視点)






僕が歳の離れた義叔父と交流できたのは、随分成長した後だった。
僕らは『この場所』で初めてまともに言葉を交わし、仲良くなった。
何度もこの場所で会って、色々な話をして、彼の描く世界に感動して。
とても楽しい日々を過ごした。

『詩月!今日のおやつは何にしようか?』

家では暗い顔の夕月さんがここではのびのびと笑っていた。それがすごく嬉しかった。
同時に……ここでしか笑う事の出来ない彼を、救いたいと思っていた。

『あの鳥さん達は家族なのかなぁ……いいなぁ、仲良しで……』

彼はいつも一人だった。
血の繋がった親兄弟の存在は彼自身さえも知らない。
人々は言う。“彼は芸術の神に愛された男だ”と。
才能も、名誉も、お金も……人が羨む物は何もかも与えられたはずなのに……
本当に神がいるのなら残酷だ。彼が一番望んだ物を、与えなかった。
僕は彼を守りたいと思った。僕が、与えられればいいと思った。
だから僕は、あの日彼に誓った。

『ありがとう、詩月』

僕の誓いの言葉に、彼はそう言って微笑んでくれた。
その笑顔は……
僕が今まで見てきた彼のどの作品よりも、美しいと思った。



その日、朝からいつものように浅岡家を訪ねた僕に……
とんでもない試練が降りかかった。
夕月さんと健介さんが行方不明になっていたんだ。
この日はやっと新居に移れる準備ができた事を伝えようと思って来た日。
僕は不安になった。
(夕月さん……本当は僕と暮らすのが嫌なのかな……?)
そんな僕を慰めてくれたのは健人さんだった。
「きっと、健介君の仕業ですよ」
「健介さんの?」
「ええ。夜中にゲームができないのが嫌だ!家出してやる!って騒いでいました。
きっと、先生を捲きこんでいい潜伏先を提供させているに決まってます。
こんな事になってしまって、ごめんなさい……」
「い、いえ……それに、健介さんのせいって決まったわけじゃ……」
本当に、実は僕と暮らすのが嫌で逃げ出したんだとしたら……
そう思ってまた俯いてしまう僕。
健人さんにポンと肩を叩かれて顔を上げた。
「探しましょう。先生も、いくら健介君に言われたからって
同じように家出したなら同罪です。僕らが心配するのは分かりきってるのに。
見つけたらうんとお仕置きしてあげないと。ね?」
「は、はい……」
「詩月さん。大丈夫。先生は詩月さんの事が大好きです」
「え……?」
弱気な僕を励ましてくれる健人さんは、どこまでも優しい笑顔で
「貴方の話をする時の先生って、本当に嬉しそうなんです。
それに、貴方だけでしょう?名前だけで呼ぶの。僕や健介君は“君”付けなのに。
あの方も……意外とイタズラ好きな方ですから、もしかして貴方が見つけてくれるのを
待ってるのかも。見つけてあげましょう?」
「……はい!」
今度こそ僕は、心から返事をする事ができた。
そうだ。夕月さんがフラフラ出て行ったのなら、僕が探してあげればいい話だ!
探しだして、真意を聞いてみよう!!ガッカリするのはそれからでも遅くない!
もし、ただのイタズラで家出をしたんだとしたら……
(あぁ、なんてお茶目な夕月さん……!)
じゃなくて!!
(健人さんの言う様に、“お仕置き”しなきゃ。僕にできるか、緊張するけど……
怖じ気づいちゃいけない!僕らは家族になるんだから!!)
なっ……何だかやる気がでてきたぞっ!!
「詩月さん、先生の行きそうなところに心当たりはありませんか?」
健人さんの声に、僕は張り切って答えた!
「それなら……!」


僕らが最初に向かったのは『秘密のアトリエ』だった。
けれど残念ながら二人の姿は無い。
「夕月さんの一番よく使っていらっしゃるアトリエだと思ったのですが……」
そんな簡単には見つからないと言う事か。僕はガッカリした。
健人さんはしきりに携帯電話をかけているようだ。
「……健人さん、繋がりそうですか?」
僕が声をかけると、健人さんは困ったように笑う。
「電源を切られてしまいました」
「え!?」
「何回かは、かかる事はかかったんですけど……もう。健介君ったら……」
健人さんは心配そうだけれど、どこか余裕があって心強い。
僕もしっかりしなくては!
「次の心当たりに行ってみましょう!」



と言って、僕がやって来たのは公園だった。
……って、さすがに公園で二人で寝泊まりはあり得ないかも……。
で、でも……!僕は、山型の滑り台の下の方に開いた穴を一応覗き見る。
夕月さん曰く、ここは『洞窟のアトリエ』……!
「夕月さん!!」

い る わ け が な か っ た 。

どうしよう。僕が変な人みたいになってしまった。
ガッカリ再びだ。まぁ、こんな簡単には見つからないらしい。
しおれていたら健人さんの声がする。
「この公園……よくいらっしゃるんですか?」
「ええ。最近、夕月さんと何度か来て……」
そう言いかけて、僕は気付いた。
僕の“夕月さんの行きそうな場所”の心当たりは、さっきの
『秘密のアトリエ』とこの『洞窟のアトリエ』だけ。
しかも、ここを知ったのはつい最近だ。
「他にどこか心当たりは……?」
「すみません。他には、無くて……」
健人さんにそれしか答えられなかった。
僕には夕月さんとの思い出が少なすぎる。夕月さんについて知らな過ぎる。
「そうですか……僕も、先生と行った場所ならいくつかあるんですが……
寝泊まりする様な場所じゃないんです。でも、一応行ってみた方が……?」
健人さんの言葉が胸に刺さる。
彼は、僕なんかよりずっと夕月さんとの思い出が多そうだ。
(何年も、家族だったはずなのに……!)
悔しかった。自分へのふがいなさが込み上げる。
僕は仕事ばかりして、いつだって夕月さんを孤独にして……!
父の妨害に負けて、不本意とはいえ夕月さんを避けて……!
あの時から、ずっと……!
(あの時……?……あ!)
僕はもう一つの心当たりを思い出した。
けれど、それはすぐに砕かれる。この閃きは無意味に等しい。
(だって……あの場所は……もう無いのに……)
一人で考え込んでいると、ふいに健人さんの声がする。
「詩月さん?どうかしましたか?」
「え!?あ……」
「もしかして、どこか心当たりが?」
「えぇ。あるにはあるのですが……間違ってると思うんです」
「どこですか?」
「……“伝説のアトリエ”と、夕月さんは呼んでいました。
夕月さんがかつて、育ての親である画家と暮らしていた場所です」
「え!?それってすごく可能性が高そうじゃないですか!行ってみましょう!?」
「それが……」
言いだそうとすると、罪悪感で胸が潰れそうになる。
けれど、僕は言わなければならないだろう。思い切って口に出す。
「その場所は、何年も前に全焼したんです。今は跡形もない、平地のはずです」
「え……!?」
「僕の父が……燃やしてしまったんです」
「……!!」
「僕が、父の言葉を無視して夕月さんとあそこで何度も会っていたから……!!」
そう、言葉にした時……

『ありがとう、詩月』

「!?」
夕月さんの声が聞こえた。
「詩月さん……それは、何というか……貴方が責任を感じる事では無いと思います。
それに、可能性は低そうだけど、その場所で野宿していると言う事も……
あぁ、やっぱり可能性は低いかな……?でも、行ってみませんか?」
こっちは、健人さんの声だった。
何だろう?今、とても大切な記憶を思い出しかけた様な……?
「健人さん……行きましょう……」
『伝説のアトリエ』。
そこに行けば、全てが分かる気がした。


そこからは思わぬ方向に事が運んだ。
まず、少年の頃に何度か行ったきりだったので場所を覚えていなかった僕は、
大堂家に……僕の使用人に連絡して、場所を特定できないか聞いてみた。
そうすると、彼から返ってきたのは意外な言葉だった。
『申し訳ございません詩月様!!実は、夕月様に口止めされて……けれど……
ご報告が遅れてしまったのですが、夕月様とお連れの方がそこに行っているんです!』
「何だって!?」
誠実な彼はすべてを話してくれた。
夕月さんが、有志に頼んでこっそり『伝説のアトリエ』を建て直していた事。
そして、僕の優しい使用人達が綺麗に維持していた事。
そこへ夕月さんが健介さんと昨日の夜中に入った事。
夕月さんに気を使った僕の優しい使用人達は、あらかじめたっぷりのおやつや食料を補充して
その旨伝え、夕月さんはおおいに喜んでいたらしい。
『申し訳ありません詩月様!もっと早く、ご連絡差し上げるべきでした……!』
「いいや。いいんだ。むしろ僕は君達に感謝したい。
夕月さんの居場所を取り戻してくれて、今まで守ってくれてありがとう」
『詩月様……!』
「それと、この事を僕に話してくれてありがとう」
僕は“くれぐれも気にしない様に”彼に言い聞かせて、話を終えた。
そして夕月さんが安全な場所で元気でいるだろう事に安堵した。
健介さんが一緒なら、きっとおいしいおやつやご飯にも困らずに楽しんでいるだろう。
(ダメだな僕は……これから、夕月さんを叱らなきゃいけないのに……)
それなのに、僕は夕月さんが健介さんと楽しく遊んでいるだろう事が本当に嬉しかった。
「詩月さん、本当にありがとうございます。ご迷惑をおかけしました」
二人が見つかったと伝えると、健人さんも嬉しそうに笑っていたから
きっと同じ気持ちだと思う。

こうして、確実な目的地を得た僕らは『伝説のアトリエ』へ向かう。
さっきの誠実な使用人が車で目的地まで運んでくれた。
車中、僕はずっとさっきの声の事を考えていた。

『ありがとう、詩月』

あの声は何だろう?
僕は……あの時……
『いつか、僕が貴方を    !』
僕は……彼を……
『いつか、僕が貴方を僕の本当の    !』
僕は……僕が、彼に誓った……

『いつか、僕が貴方を僕の本当の家族にします!』
『ありがとう、詩月』

「!!?」
思い出した。すべて。
僕は気がつけば叫んでいた。
「ごめん!少し回り道をしてくれる!?健人さん、寄り道をさせてもらえませんか!?」


そして、僕はいくつもの店を駆け回った。
(どうしてこんな大切な事を今まで忘れていたんだ!!)
白いタキシード。
夕月さんが大好きだった生クリームのカップケーキ。
大切なものは一式揃えた。
(夕月さんは、待っててくれたんだ!あの約束を信じて、あの場所で!!
それなのに僕は、こんなギリギリに思い出して……!!)
情けない。僕は、本当に情けない男だ。
夕月さんはきっと僕が約束を覚えているかどうか確かめたかったんだ!
もうすっかり日は暮れて、僕ばかりバタついて気が急いで申し訳ないので、
健人さんとゆっくり夕食を摂って、シャワーも浴びた。
約束を、無様な格好で果たすわけにはいかない。
僕は白いタキシードをきちんと着た。
(待っていて下さい夕月さん……!)
再び目的地に向かう。僕は、今こそ……
(貴方を僕の本当の家族にします!!)
そう決意して。


そして深夜、目的地に着く。
『伝説のアトリエ』は本当に綺麗になっていた。僕は、知らなかった。
(くっ……こんな事で落ち込むな!夕月さんを安心させるためにも、約束を、カッコ良く果たすんだ!)
僕は勢いよく本丸に乗り込む。
「夕月さん!夕月さ――ん!!どこですか!?いたら返事してください!!」
あぁ、内装も綺麗だ。
けれど夕月さんの返事は無い。
(どこだ!?どこにいるんだ夕月さん!!)
僕は早く会いたくてあちこちのドアを開けてみる。けれど夕月さんはいない。
その時!
♪テレレレレレレレ テッテレ―― ティ―――リィ―――
大きな音で音楽が聞こえた。
「あ!何か音が!!(夕月さん!!こんなムードBGMを!!)」
僕はもう迷わない。夕月さんの導きに従い、勢いよく扉を開けた。
「ここですね!?」
♪デデーン
丁度、音楽は鳴り終わる。
部屋の中に入ると、健介さんが立ったまま僕達を出迎えてくれて……
夕月さんはもう眠いのだろう、ベッドで布に包まって丸まっていた。
けれど、僕はいてもたってもいられなくて彼に駆け寄った。
「夕月さん!!」
「ひぃぃぃっ!?」
ベッドの上の夕月さんは大声を上げる。
起こした事と怖がらせた事を反省するべきだったけど、僕は気持ちが高ぶって
膝をついて、彼にカップケーキの箱を差し出す。
「これを!見て下さい!貴方との約束を果たしに来ましたよ!」
「へ……?あれ?いい匂い……」
白い薄布団を頭にすっぽり被ったまま顔だけ出した夕月さんが……
まるでヴェールを被ったような彼が僕に近付いてくる。
僕は夕月さんに向けてカップケーキの箱を開け、真剣に、ありったけの想いを込めてこう言った。
「夕月さん、貴方を本当の家族にしに来ました」
「詩月……」
夕月さんはゆっくりと、まるで僕の言葉にそっと触れるようにカップケーキに手を伸ばす。
と、思ったのに……
「ありがと――――!いっただっきま――す!!」
白い薄布団を跳ね飛ばして、勢いよくカップケーキを頬張った。
「んんっ!おいひぃっ!お土産持ってきてくれるなんて詩月優しいね!
良かったぁ!詩月怒って無くて!でも、よくここが分かったね――?
はぅっ、おいし――っ♪」
え?
な、何だろう……夕月さんからムードというか、それが漂ってこない。
っていうか、あれ?言っている事が……約束を覚えていてここにいてくれたのでは?
「やくそく……って……何だっけ??」
夕月さん……夕月さん!?
ああああ貴方まさか、あの約束を忘れてしまったんですか!?
いっ、今までの僕の胸の高鳴りやら、心配やら、それって……!!
「えっと、約束!ね、約束!えっと……覚えてるよ!?
うーんと、アレだよね!ほら、アレ!あの、えっと、ヒントちょうだい!?」
あっ……貴方って人は――――ッ!!

ここで僕の怒りは爆発してしまったらしい。


そして、今に至る。
最初にいた部屋とは別の部屋に案内してもらった。
そうして夕月さんを叱る為、すなわちお仕置きするためにベッドに座って、
夕月さんを膝の上に乗せていた。彼の着ていたズボンも下着も脱がせてしまった。
お仕置きって言うのはお尻叩きだ。
初めてだけど、今日は出来そうな気がする。
(やっぱり、夕月さんはただの気まぐれで家出をしたみたいだし)
約束を、覚えていてくれなかったのが悔やまれる。
けっきょくは僕が一人で盛り上がっていたのだ。
「詩月、詩月怒ってる……?お願い……痛くしないでね?」
「夕月さん……」
僕は怒っている、はずなのに夕月さんの不安げな声を聞くとついつい許したくなってしまう。
それに今の彼はとっても無防備だ。痛めつけるなんてとんでもない!
……じゃなくって!!
「貴方が家出なんてするから、僕はとっても心配しました。
家族に心配をかける様な悪い方はたくさんお仕置きをします!」
「あぅ……」
(うっ……!)
小さなションボリ声で、僕のお仕置き力はまた下がってしまいそうだ。
これ以上弱気になる前に叩いてしまおう!
そう思って、僕は夕月さんのお尻に手を振り下ろす。
ピシッ!
「ひゃっ!?」
夕月さんの悲鳴。
また気持ちが鈍る前に何度も
ピシッ!パンッ!パンッ!
「あっ、あっ……詩月、いっ、痛い!!」
悲痛な叫びに止まりそうになった手を、どうにか力を入れて動かす。
パンッ!パンッ!パンッ!
「やっ、やだ……!痛い!痛いよ!!」
苦しげに体をひねる夕月さん。
そんなに力があるわけでもない彼を、押さえつけている事は造作も無いけれど
暴れる夕月さんを押さえて叩いているというのは、僕にとって何とも気が滅入る状況だ。
「んっ、ぁぁ!詩月ぃ!やめてよ!痛いよぉ!」
と、いう夕月さんの声に一度答えてしまえば、僕はこのお仕置きを
終えてしまうだろう。そんな気がしたから彼の声には答えずに叩き続ける。
「やだ!やだぁ!!痛いぃっ!」
叫んでいる夕月さんに構わず叩き続けた。
お尻もだんだん赤くなってくる。可哀想感がどんどん漂い始める。
(うぅっ……痛そうだ。一体、いつまで叩けば……
そうだ!夕月さんが“ごめんなさい”って言ったら終わろう!)
そう考えて、僕は叩き続けた。
パンッ!パンッ!パンッ!
「わぁんっ!痛い!」
「…………」
パンッ!パンッ!パンッ!
「やぁぁぁっ!もうダメ!」
「…………」
パンッ!パンッ!パンッ!
「ふ、ぇっ……やめてぇっ!痛いのヤダぁ!」
「…………」
しばらく叩いていて、僕は気付いてしまった。
(……夕月さんが謝ってくれない……)
ど、どうしよう!これじゃお仕置きが終われなくなってしまう!
それにお尻は真っ赤だし、夕月さんはもう泣きそ……
「うわぁああああん!」
あぁあっ!泣きだしてしまった!
い、いや!落ち着くんだ僕!お仕置きとしてはこれが正解じゃなかろうか!?
けれども……こうなっては僕も、これ以上あまり叩きたくない……!
(初回だし、こんなものでいいんじゃなかろうか……次から、だんだん
時間を延ばして、叩くのに慣れていこう!!)
という事で終わろうとしたんだけど……そう言えば僕は
ずっと黙って叩いていたから夕月さんをあまり叱っていなかった。
だから慌てて言い足す。
「あ、あの……夕月さん?もう家出なんてしたらいけませんよ?
とても心配したんですから。ごめんなさいは?」
パンッ!パンッ!パンッ!
「ふぇぇぇっ!もうしない!家出なんてしないからぁ!
ごめんなさい!家出して心配かけてごめんなさぁい!」
「そ、それに約束……覚えて無かったし……」
「わぁあああん!約束覚えて無くてごめんなさぁい!!」
「あ、これはいいいんです。僕の個人的な……」
「うぇぇぇっ!ごめんなさぁぁい!僕の個人的なごめんなさぁぁい!」
「……夕月さん……」
大声で泣きながら、謝る夕月さん。
……きっと、僕の言葉を復唱してるだけなんだろうな。
本当に反省してくれたのかな?
(どっちにしろこれ以上は叩けないし……。落ち着いたらもう一度言い聞かせればいいや)
真っ赤なお尻で逃げようと必死な夕月さんを見て、そう思った。
だから手を止めると……
「わぁぁん!は、はぁっ、ぐすっ、でも、詩月が怒ってるなら、いっぱい叩いていいよぉ……!」
(夕月さん!?)
意外な言葉に、驚いた。
こんなに辛そうな夕月さんが、自分からこんな事を言うなんて……!
彼は荒い呼吸を続けながら健気に言う。
「わ、私……詩月と本当の家族になれるか不安だったけど……詩月は私の事
ちゃんと怒ってくれたから……私、詩月にいっぱい心配かけたし、
約束……覚えて無くて傷つけたんだよね!?だ、だから……!」
泣き声ながら途切れ途切れに夕月さんは言う。
夕月さんがそんな不安を抱えてたなんて、僕は……!
「でもっ、でもね、私っ、痛いの嫌だから……いっぱい、暴れると思うけど……
お願い!!私を絶対に離さないでね!!」
夕月さんは叫ぶようにそう言って僕の膝にぎゅっと体を押し付ける。
抱きついたんだ……夕月さんは今、僕に抱きついたんだ!!
「夕月さん……!」
膝の上を濡らす温かいものはきっと彼の涙。
『私を絶対に離さないでね!』
この言葉が何よりも僕を熱くする。
感情が高ぶって、平手打ちにも力が入ってしまう。
ビシッ!バシッ!バシッ!
「うぁあああんっ!」
「ええ、離しません!もう離すもんか!貴方は、僕の家族だ!!」
ビシッ!バシッ!バシッ!
「詩月……詩月ぃぃっ……わぁああああああん詩月ぃぃっ!!」
僕が力を込めてお尻を打つと、夕月さんは激しく泣き喚いて暴れた。
けれど僕は離さない。
今度こそ、絶対に彼を一人にはしない!彼を不安にさせたりしない!
(バカだ……僕はバカだ!でも、もう同じ過ちは繰り返さない!!)
そう思って一打一打を決意を込めて打ちこんでいく。
ビシッ!バシッ!バシッ!
「わぁああああん!うわぁぁぁん!ごめんなさぁぁぁい!」
(僕の方こそ、貴方を不安にさせてごめんなさい……!
けれど貴方は僕との未来へ飛び込んでくれた……!
『私を絶対に離さないでね!』って!)
何だか涙が出そうになりながら、僕は夕月さんを叩き続ける。
うわぁぁぁん!ごめんなさぁぁぁい!詩月ぃごめんなさぁぁぁい!」
ビシッ!バシッ!バシッ!
「ごめんなさい!ごめんなさぁぁぁい!詩月……ありがとう!」
「うっ……!」
最後は、僕の涙が零れてしまった。


その後、夕月さんを膝から下ろして服を整えてあげると、
と泣いている僕に気づいて逆にオロオロと慰められてしまった。
本当は僕が泣いている夕月さんを泣きやませないといけないのに……情けない。
そして、流れの中で僕の約束の話も聞かれたので全て話した。
夕月さんは僕の話に驚いて、本当に申し訳なさそうにしていた。
「そんな大事な約束、忘れるなんて……詩月、もう一度……その時の事詳しく聞かせてくれない?
私、ちゃんと思い出したいから」
「分かりました」
僕は夕月さんの誠実さに感動しつつ、もう一度詳しくあの時の事を語ってみる。
「あれは……10年ほど前だったと思います。まだこの場所が、無くなる前。
僕はいつものように貴方に会いにここへ来ました。
貴方は、迷い込んだできた子猫に夢中で……」
「うぅっ……えっと、私、何の絵を描いてたとか覚えてない?」
「それは……たしか、大きな風車小屋の絵……だったような?」
「あ……!」
「思い出しかけてきましたか!?それで、子猫が急に走り出して、
親猫の元へ帰っていったんです。貴方が悲しそうにして……」
「え?あの時?」
「だからその後僕は言ったんです!“いつか、僕が貴方を僕の本当の家族にします!”って!」
「…………」
「思い出していただきましたか!?」
しばらく考えこんで、夕月さんが困惑気味に言う。
「……ねぇ、詩月?詩月の言ってる事、私の覚えてるのと違うんだけど……」
「え?」
「私、多分あの後……おやつ食べて詩月とお昼寝した気がするんだ」
「…………」
僕は夕月さんの言葉を聞いて、改めて記憶を手繰ってみた。
『いつか、僕が貴方を僕の本当の家族にします!』
『ありがとう、詩月』
確かに、夕月さんはそう言って微笑んだ……
『いつか、僕が貴方を僕の本当の家族にします!』
『あり……う……月』
そう、彼の柔らかい髪を撫でながら……
『いつか、僕が貴方を僕の本当の家族にします!』
横たわる彼の寝顔を……見て……あ、あれ?
『いつか、僕が貴方を僕の本当の家族にします!』
『…………』
あ、あれ?夕月さんの……寝息??
『いつか、僕が貴方を僕の本当の家族にします!』
そのとき彼は……彼は……眠って……
『いつか、僕が貴方を僕の本当の家族にします!
なんて、起きている時に言えたらいいのに……』
あれ?あ、れ?……そ、そんな……
「ねぇ詩月、やっぱり私、お昼寝してた気がするよ……」
唇を可愛らしくとがらせる夕月さんの……
全くもって、言うとおりだった。
「あっ、ああぁぁ――っ!ごめんなさい夕月さん!!僕の記憶違いでした!!」
「え――――――っ!!?」
夕月さんが口を大きく開けて驚いている。
それはそうだ!だって!僕はその怒りで彼のお尻まで叩いたって言うのに!
いや、あれはお仕置きの意味も……でも、あぁっ!
何て事だ!申し訳が立たない!
僕は本当に何度も何度も頭を下げて夕月さんに謝る。
「ごめんなさい!本当にごめんなさい!
うぅっ、僕は何てバカなんだ!!こうなったら……僕をお仕置きしてください夕月さん!!」
「わわっ、詩月!?そ、そんなのいいよ!」
「いいんです!さぁ!!」
僕は覚悟を決めて勢いよく夕月さんにお尻を向ける。
夕月さん、最初は戸惑っていたようだけれど……
「うぇっ……と、えいっ!」
ぺちっ!
「あ……!」
叩いてくれた!けど痛くない!っと、思った僕の反応は伝わってしまったのか、
夕月さんが不満そうな声を出す。
「……全然痛くないよね?知ってるもん」
「そそそそんな事ないですッ!!すごく痛かったです!!」
「……じゃあもう反省したよね?こっち向いて?」
そう言って夕月さんが僕の服を引っ張る。
言われたとおりに夕月さんの方を向くと、ぎゅっと抱きつかれた。
「心配をかけてごめんなさい。私を見つけてくれてありがとう。
私を怒ってくれてありがとう。約束を守ってくれてありがとう。
一緒にいてくれてありがとう。離さないでいてくれてありがとう。
今までも、これからも……」
一言一言が、確実に僕の耳に届く。
「私と、家族でいてくれてありがとう」
僕は、夕月さんを抱きしめた。

『大丈夫。先生は詩月さんの事が大好きです』

この言葉を、今さらだけど……
心の底から信じる事ができそうだ。




気に入ったら押してやってください
【作品番号】US19b

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