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うちの画家先生8




「ねぇねぇ、健介君これ使う?」

ある日の昼下がり、リビングでテレビを見ていると
夕月さんが見覚えのあるクッキーの缶を差し出してきた。

「え?これ確か“夕月ジャンボ宝くじ”でしたっけ?」

反射的に受け取ってしまったので、缶を眺めてみる。
両手で持ちやすいサイズの丸い缶だ。

「違うよ!!“夕月スピードくじ”だよ!!でも待てよ……そっちの名前の方がカッコいいかな?」
「どっちにしても、俺こんなもの使いませんけど。」
「そんな事ないよ。またタバコで焦がした時とか。」

あ!忘れかけてたのに!!
おっさんに言われてあの時の悪夢が記憶によみがえる。
連動してこの前の仮病のときの悪夢もよみがえって、急に恥ずかしくなった。


「っ……あれはっ、奇跡的な偶然が引き起こした事故に過ぎないんですから!!
こっちは夕月さんみたいにしょっちゅう叩かれてるわけじゃないんですよ!?
大体、俺の場合は兄貴しか選択肢が……」


言いかけると、おっさんがキラキラした目で自分を指差していた。
何考えてんだこのおっさん。


「夕月さんにだけは絶対叩かれたくないです。
って何ですかコレ……何で紙が4枚入ってるんですか?
兄貴と夕月さんなら2枚でしょ?」

「あ、私の名前3枚入れといたから。」
「小細工しないでください!!逆に今アンタを引っ叩きたいですよ!!」
「やめてよ!!私、健人君の事お仕置きできたんだから健介君にだってできるよ!
終わったらいい子いい子してあげるよ??」
「要りません……第一、俺、夕月さんに対して何も悪い事してないじゃないですか。
きっと未来永劫しないと思います。残念ですね。もう変な願望は忘れてください。」

おっさんの戯言に付き合ってられない。俺は立ち上がって部屋に戻ろうとした。

「ええ〜!!待って!これ!!これ、はいっ!!」
「え?何ですか?こんな物食べたぐらいで何が……」

おっさんが俺の方におやつの皿を突き出してくる……
わけが分からないが、何も考えずに皿のチョコレートを一個もらった。
すると待ってましたとばかりに……


「あ――――っ!!私のおやつ食べた――――!!それ悪い事だよ健介君!
私、“あげる”なんて一言も言ってないのに!!い〜けないんだ!
人のおやつ勝手に食べたらい〜けないんだ!」
「…………」

おっさんの戯言は無視して、今度こそ自分の部屋に行こうとしたが……

「あ!無視するな――!……もう、だったら健人君に頼むよ……」

おっさんの一言に俺は凍りつく。

「ちょっ、やめてください!!うちの長男に変な癖つける気ですか!?」
「だってぇ〜……健介君が叩かせてくれないんだもん。」


俺は考えた……この前の事もある……兄貴と二人の時に「嫌ならハッキリ断れ!」とは言ったけど……
泣きそうになりながら「ごめんね、こんなお兄ちゃんでごめんね……」って繰り返す兄貴は可哀想過ぎた……
また断れなかったらややこしくなるだろうしなぁ……
ああ、くそっ、こうなったら……


「俺の事叩けば……満足なんですね……?」

自分で言って顔が真っ赤になるのが分かった。


その後すぐに、リビングのテーブルに上体だけもたれかかって、夕月さんの方に尻を向ける。
だぁっ……おっさん!ズボン下ろしやがって!セクハラだぞ!!
今日初めて、「屈辱」の意味を肌で感じた。

「わーい!健介君、ありがとう!!」
「仕方なくですよ!?ちょっとだけですからね!?」

叩く前から調子に乗ってそうなおっさんに何度も念を押すけど、聞いているのかいないのか……

「うん!それじゃ遠慮なく♪」

ぺんっ!


「んっ……」

お……あんまり痛くない……さすが夕月さん。


「ね?痛い?」
「全っっ然、全く、痛くないです。」
「え!?あれー?おかしいなー……」


言いながら夕月さんがペタペタ叩いていたけど、本当に痛くない。
あ、もう何か叩かれてるのもめんどくさい。

「痛くないー?」

ペんっ!ペんっ!ペんっ!

つまらなさそうなおっさん。こっちもつまらないので早く飽きてほしい。
ってか、もうやめてほしい。ので、そう言ってみた。


「全くもって痛くないです。ねぇ、これで満足でしょ?もうやめましょうよ。」
「えー……だって痛くなかったらお仕置きじゃないよー……
あ!そだ!待っててね、いい物持ってくるから!」


はぁ〜?と気楽に待っていた俺だったが、夕月さんの持ってきたものを見て驚愕した。
夕月さんが得意げに持ってきたのは定規。よくある30センチぐらいの。
おいおいおいおい!!これはちょっと……


「冗談でしょ!?夕月さん正気ですか!?」
「大丈夫、大丈夫!ちょっとだけだから!」

俺の話も聞かずにおっさんが定規で尻を叩いてきた。

ビシッ!!


「っ!?」


え!?は!?何だこれ……結構痛い!?
体温がサーッと下がっていくのを感じた。

「お?効いた?」
「全然痛くないです!!夕月さんもうやめてください!!」

叫びながらも心の中では焦っていた。これはヤバイ!やめさせなければ!!
今、武器を握っているのはよりによって夕月さんなのだ。
調子に乗ったら何しでかすか……

「へ〜……全然痛くないんだ〜……」

焦る俺を嘲笑うかのように、夕月さんはバンバン叩いてくる。

ビシッ!!ビシッ!!ビシッ!!

「んっ!!あっ!!夕月さんっ!!いい加減にっ……んぅっ!!」
「いいのかな〜?そんな口のきき方で……」
「ふっ、ふざけないでください!!こんなっ、ぁっ、事してッ……ただで済むと……!!」
「ただで済まないのは健介君じゃないの?そんな反抗的な態度じゃ許してあげないよ〜??」

ビシッ!!ビシッ!!ビシッ!!

「ゆっ……づきさん!!」

このおっさん調子乗りやがって!!
怒鳴っても悲鳴交じりじゃ夕月さんを増長させるだけ……
分かっているが襲ってくる痛みはどうしようもない。

ビシッ!!ビシッ!!ビシッ!!

「んっ!!あぁっ!!夕月さんっ!!やめっ……!!」

どうしよう本気で痛い……
こんな……こんなおっさんに叩かれて泣きそうになるなんて!!
このまま泣かされるのは避けたい!!避けたいけどでも……どうしたら!!


「夕月さんっ!!はぁ、お願いです!!もっ……やめてください!!」
「やめてほしい?だったら“ごめんなさい”しなきゃ。ね?」
「そっ……!!」

このおっさんどこまで調子に……っ!!
俺が何したって言うんだよ!!何に対して謝るんだ俺は!??
どうする!?体を大事にするか、プライドを守るか……
悩んでいる間にもどんどん痛くなっていく。


「ほらぁ、健介君……“ごめんなさい”するの?しないの?」

ビシッ!!ビシッ!!ビシッ!!

「んっ、ふっ……!!」
「意地張ってないで謝っちゃいなよ!」

ビシィッ!


「いぁあっ!!くぅっ……!!」

ここで思いっきり叩きやがった!!何つぅジジイだ!!
涙腺崩壊も怒りMAXも同じくらい近い……
もう、もう限界だ!!さよなら俺のプライド!!

「うぇっ……ああっ!!夕月さん!!ごめんなさいぃ!!」

何がごめんなさいだチクショ―――――ッ!
と心の中で叫びながらも、俺は悪夢を終わらせる言葉を確かに言った。

「あはっ♪ちゃんと謝った!いい子だね〜健介君!はい、おしまーい!
いい子いい子してあげ……」


ドサッ!!

部屋のドアの方で何かが落ちる音がした。
見れば、顔面蒼白の兄貴が棒立ちになっている。
落ちたのは買い物袋みたいだ。トマトが転がっていた。

「せっ……先生……何……してるんですか……?」
「え!?いや……ほら、健介君が悪い子だったから……大人としてお仕置きを……」


オロオロしてるおっさん……俺は勝利を確信した!
そうだ……俺が復讐するまでも無い!!夕月さん……地獄を見てください!!
俺は思いっきり深呼吸して兄貴に叫んだ。

「わぁああん!!夕月さんが!!夕月さんがいじめたぁっ!!」


その瞬間、一気に兄貴から怒りのオーラが……

「先生……いじめは許しませんよ?」
「ちがっ……え!?話が違うよ!!健介君が私のおやつ勝手に食べたからぁっ!!」
「だからってあんな泣くまで……貴方って人は!!」

兄貴は夕月さんを捕まえて、ソファーに座って膝に乗せて……
パターン入ったので、夕月さんが尻を叩かれる事は確定だ。

バチンッ!

「ひぁああっ!!」

むき出しの尻を叩かれた夕月さんが悲鳴を上げる。うん、さすが兄貴。
この勢いで十分、おっさんに地獄を見せてくれるだろう。

バチンッ!バチンッ!バチンッ!

「んぁあっ!!やぁあっ!!いったい!!」
「貴方が健介君にした事ですよ!?分かってるんですか!?」
「らってぇ!!健介君が悪いんだもっ……いああぁっ!!」
「先生がおやつ好きなのは知ってますけど、おやつ取られたからって
あんなにしなくてもいいでしょう!?自分より年下の子に!!」

バチンッ!バチンッ!バチンッ!

「ひぃっ……んっ、健介君っ、叩いていいって言ったもんっ!!ふぁあっ!!」
「えぇっ?健介君、本当にそう言ったの?」

兄貴が俺に振ってきた。よし、全部チクってやる。

「こっちだって嫌だったけど、夕月さんが俺が叩かせてくれないんだったら兄貴を叩くっていうから!
しかも定規とか使ってくるんだぜ!?もう最悪だった!予想外に痛いし!」

「そっか……良く分かりましたよ先生……」

ぉわ……兄貴、声のトーンが恐ろしく低い……これは怒ったな……
夕月さんもそれは分かったのか、ビクッと震えていた。

「貴方が健介君を脅迫して無理やり叩いた上に、道具まで使ったって事がね!」

バシィッ!!

あぁ痛い!今のは痛い!ほら夕月さん泣いた!
もう尻が真っ赤だもんな。兄貴のほうは勢い弱めるどころか強めてるみたいだけど。


「うわぁぁんっ!!痛いぃっ!!もうやだぁぁぁっ!!」
「嫌だじゃありません!何なんですか今日の貴方は!健介君をいじめて楽しかったですか?!」


バチンッ!バチンッ!バチンッ!


「やぁああああっ!!ちょっと楽しかったぁああっ!!!」
「なっ……困った人ですねぇ全く!!」

バチンッ!バチンッ!バチンッ!

いつも以上に容赦ない平手打ちで、夕月さんはじたばたしながら、喉が壊れないかと思うくらい叫びあげてるし……
余計な事言わないでさっさと謝ればいいのに……
謝らないから、おっさんはまだ兄貴に説教されながら叩かれている。

「ねぇ、叩かれるって、こんなに痛いことなんですよ!?分かってるでしょう!?
どうして自分がされて嫌な事を人にするんですか!?」

バチンッ!バチンッ!バチンッ!

「だってぇぇっ!!やってみたかったぁぁっ!!うぁああああんっ!!」
「分かりました……二度とそんな気が起こらないようにしてあげます!」

バチンッ!

「あぁああああんっ!!」
「健介君、悪いんだけどそれ取ってくれる?」

いったん手を止めた兄貴が「それ」と言ったのは夕月さんが俺に使ってきた定規。
っておい……マジでー……?

「やだ!!いやだぁっ!!それいやだぁっ!!」

手を出している兄貴と、泣き叫んでいる夕月さんを見比べて、俺は戸惑った。
な、何だこのプレッシャー……
俺がまごまごしていると、兄貴が静かに言った。


「取って。大丈夫、ちょっとしか叩かないから。」

穏やかだけど、有無を言わさない、そんな感じ。
ちょっとだけって言ったし……俺は渡してしまった。
ただ、その瞬間に夕月さんがますます喚いたからすごい罪悪感が……

「わぁんっ!!怖いっ、こわいぃっ!!うぁああああんっ!!」
「貴方は使ったんでしょう!?健介君と同じ痛みを味わってください!」


そう言って、兄貴は問答無用で定規を振り下ろす。

ビシッ!!

「ぁはっ!!いたぁいっ……んぁあああっ!!」

「当たり前です!これは、人を叩く道具じゃないんですよ!?」

ビシッ!!ビシッ!!


「うわぁああっ……こほっ、けほっ……うぁああああんっ!!」


うわ……むせてる……可哀想……
考えてみれば、夕月さんが使うのと兄貴が使うんじゃ威力がケタ違い……
ごめん夕月さん……って元はといえば夕月さんが……
まだバシバシに叩かれてる夕月さんを見ていると複雑な気分だ。


「ほら、どうですか!?痛いでしょう?!これでもまだ人を叩きたいなんて思います!?」

ビシッ!!ビシッ!!

「叩きたくないぃっ!!ふぇぇっ、もっ……しないっ!!もうしなぃぃっ!!ひぅぅ……」


本気じゃない、いくらか手加減してるのは俺から見ても分かる。
でも、真っ赤になった尻を定規で叩かれてるっていうのは可哀想な構図だ……
ああ、もういい……もういいって兄貴……

「本当にもうしないんですよ!?約束ですからね!?」

ビシッ!!

「ひぃぃっ!!しないぃっ!!んぇぇっ……」
「絶対しないでくださいね!」

ビシィッ!

「わぁぁああんっ!!」


最後思いっきり仰け反った夕月さんは、それでやっと許してもらえたみたいだ。
あとはいつもながら“なでなで”されながらしばらく大号泣していた。


「先生、健介君にちゃんと謝ってくださいよ?」

兄貴にそう言われて、夕月さんはチョコチョコとこっちへ来て……

「ぃっく……健介くっ、ごめ……なさい……」

涙目+上目遣いで謝ってくる夕月さんに、俺は何も言えなかった。
本当は何か言ってやりたかったんだけど……結局、俺が言えた事は……

「……ったく……今日は特別に許します。」
「っぅ……うわぁぁぁんっ!!」
「ぅあっ!!何ですか!?こっちでも泣くんですか!?もう……」

急に抱きついてきて大号泣するおっさんを、何となく抱きしめてしまった。
ふわふわしてる髪を撫でてやるうちに気がぬけったって言うか……しょうがないな、と思った。
この人はこんな人だ。どうしようもなくて、調子に乗ってて、でも憎めない、そんな人。
兄貴も俺に泣きついてるおっさんを見て困ったように笑ってた。


その後、二人っきりになったとき、兄貴に必死で謝られた。

「ごめんねぇ、健介君!!先生も、悪意はあんまり無かったと思うんだ!!
本当にただやってみたかっただけだと思うから!!
この前、僕の事叩いて味をしめちゃったのかなぁ……
でも、もう懲りたと思うから!!許してあげて……ね?」
「いい。もう気にしてない。本当に懲りただろうし。」

あの調子の乗り方は多少の悪意を感じたけど……とは言わないでおいた。
これ以上兄貴に気を使わせたくない。

「あ、ありがとう……本当に健介君は優しいね。僕の事、庇ってくれたんだよね?」
「うっ……いいって……」

兄貴に頭をなでられて照れくさかった。



で、翌日

我が家で大量の定規がゴミ箱に捨てられるという事件が起きた。
犯人は言うまでも無く夕月さんだ。

「よくこれだけ集めましたね〜……
うちにこんなにたくさん定規があったなんて知りませんでした。」

兄貴が感心したように言ったので、俺もつられて覗き込んだ。
お!確かにゴミ箱が定規パラダイスだ。短いのから長いのまで、20本近くあるか……
定規って見当たらなくなるたびに買うからなぁ……俺の場合。

兄貴が俺たちの後ろでそわそわしてる夕月さんに話しかけた。


「でも、先生……全部捨てちゃったら困りますね。線引くとき使いますから。」
「だって……」
「大丈夫ですよ。昨日言ったでしょ?これは人を叩く道具じゃありませんから。
もう先生の事これで打ったりしません。」
「う、うん……」
「あはは。そんなに嫌だったんですね。大丈夫、大丈夫ですって。」

兄貴は不安げな夕月さんを軽く抱きしめて、あやすように背中をトントン叩いて……
そしたら夕月さんもやっと安心したみたいで、嬉しそうに元に戻す定規の選別をしていた。
もしかして、夕月さんと上手く付き合う手っ取り早い方法って、スキンシップなのかもしれない。
んーそうだとしても、俺はおっさんとあんまりべたべたする気は無い……と、思うけど。


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【作品番号】US8

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