TOP小説
戻る 進む


うちの画家先生14





平和な昼下がり、その事件は突如起こった。
リビングで起こっていた惨劇。床に流れ出している赤、赤、赤……
むせ返るような絵の具臭……
真っ赤に染まって倒れている若い男性。
凶器(座布団)を持って呆然と立ちすくむ夕月さん。
白いワイシャツは赤(絵の具)に染まっていた。
「夕月さん……」
俺が呼びかけると、夕月さんはこっちを見て座布団を落とした。
その目にみるみるうちに涙を浮かべる。
「違うんだ……こんなつもりは……殺すつもりなんてなかったんだぁぁっ!!」
「たぶん死んでません!!」
泣き崩れる夕月さんを支えながらツッこむ。
それでも夕月さんは聞いていないのか、泣きじゃくりながら矢継ぎ早に喚いた。
「あの子が悪いんだ!あの子が私を捨てたから!
それなのに今さら……こうするしかなかったんだぁぁっ!わぁぁぁんっ!」
「え!?なんっ、事情が全く分かりません!これって火サスごっこですか!?
大体被害者……っていうかあの男の人誰ですか!?」
買い物から帰ってきたらいきなりこれだ。
早くアイスを冷凍庫に入れたいっていうのに
知らない男の人は倒れてるわ、夕月さんは犯人役熱演するわ……
こんな事なら一緒に買い物に連れて行けば良かった。
とにかく早く夕月さんを落ち着かせないと……と、思っていると……
「いいんです……これで……」
いきなり被害者が俺に話しかけてきた。
兄貴と同じくらいの、初対面の男性だった。
「え!?ややこしくなるから入ってこないでください!!」
「僕が……夕月さんを……残して……ゴフッ!!」
「“ゴフッ”!?何ですかその効果音!?血とか吐いるつもりですか!?」
「はぁ、はぁ、刑事さん……すべて僕の責任です……
僕が自ら座布団を……夕月さんは何も悪くない……夕月さんは……ガクッ……」
「ちょ、え……えぇええっ!?アンタもおかしいよ―――!!」
目を閉じで動かなくなった男性を揺さぶりながら微妙にパニックになる俺。
気を抜くと本当にここが殺人現場に思えそうで怖い。
ここにまともな人間はいないのか!?
「健人君……私……自首するよ……今までありがとう……」
「夕月さん!!どこに電話してんですか!?」
慌てて夕月さんから携帯電話を取り上げるも、遅かった。
……でも、これでやっと、まともな人間が帰ってきてくれそうだ。

で、しばらくして予想通り兄貴が帰って来た。
「全く人騒がせな……」
兄貴が呆れたように呟く。
半狂乱で帰ってきた兄貴は、夕月さんの様子を見て卒倒しそうになっていたが
事情が分かると夕月さんの頭をはたいて床に正座させていた。
頭への攻撃は初めて見た……それだけ怒ってたって事だろうけど。
あの被害者男性も横で律儀に正座している。

「先生、僕はこんな冗談は嫌いです」
「冗談じゃないよ……サスペンスごっこだよ?」
「サスペンスごっこも嫌いです!!」
兄貴の怒鳴り声にビクッと身をすくませた夕月さん……
ああ、さっそく泣きそうになってる。
「紛らわしい事して部屋も汚してしまって……
今日はたくさんお尻を叩きますよ?」
「うぇぇっ……」
「泣いても許しません!
それに、詩月さん……貴方も来るなら一言ぐらい連絡くれても良かったんじゃないですか?
しかも先生と一緒になってバカな遊びを……」
兄貴が被害者男性に話を振っている。
あの人“しずき”さんっていうんだ……
兄貴の顔見知りだったんだな……。夕月さんとも知り合いっぽかったし。
詳しい事聞きたいけど、今口をはさむと怒られそうなので黙って見ていた。
その詩月さんは、ノリのいい演技だったわりに大人しい人みたいで
兄貴に怒られている間、しゅんとした顔をしていた。
「ごめんなさい健人さん……元気な夕月さんを見て、ついハッスルしてしまって……
……僕は“サスペンスごっこ”より“昼メロごっこ”を推したんですが……」
「……貴方がそれで推しきってくださったら、少なくとも部屋は汚れずに済んだでしょうね。
さぁ、先生、お仕置きですよ。こっちに来てください」
「やだぁぁっ!」
「こっちに来なさい!」
「あぁ、夕月さんが嫌がってます……!!お、お願いです!
健人さん、こんな恐ろしい事はやめて下さい!!」
嫌がる夕月さんを無理やり引き寄せる兄貴を、詩月さんは真っ青な顔で止めている。
無駄だと思うけど……。
「貴方も先生が叩かれるのを見て反省するといいですよ」
そう言って、ちゃっちゃと夕月さんを膝の上にのせて
尻を裸にすると、兄貴は手を振り上げる。

パァンッ!
「やぁぁっ!!」
「夕月……さん……!!」
その手を尻に叩きつけられて悲鳴をあげる夕月さんを、詩月さんが泣きそうな顔で見つめた。
バシッ!バシッ!バシッ!
「やぁ!ぁあぅっ!!」
「ぁあ……夕月さん……」
バシッ!バシッ!バシッ!
「ふぇっ!いたっ……えぇえんっ!」
「夕月さん!!夕月ぃぃっ!」
バシッ!バシッ!バシッ!
「うぁぁっ、ひぅっ!んんっ!」
「うわぁぁぁっ!!夕月ぃぃぃぃいっ!!」
「詩月さん静かにしてください!!」
……ついに兄貴に怒鳴られた詩月さん。
そうだよな……ちょっと、うるさかったし。
「す、すいません……すいません……!!」
詩月さんは両手で顔を覆って震えている。
そんな世界の終わりみたいな態度されるとこっちが罪悪感湧いてきそう……。
兄貴も困った顔だけど、今は夕月さんを叩く事を優先してるみたいだ。
「先生、変な遊びをするからこうなるんですよ!?
人に心配をかけるような嘘はいけません!詩月さんも、いいですか!?」
バシッ!バシッ!バシッ!
「わぁんっ!痛いぃ!やぁぁっ!」
「僕も……心が痛いです!」
「分・か・り・ま・し・た・か?」
バシッ!バシッ!バシッ!
まともな返事を返してくれない二人に、
兄貴の怒りのレベルが少し上がったらしい。
叩く手が強まって、夕月さんの悲鳴が大きくなる。
「あぁっ!分かったぁぁ!分かりましたぁっ!」
「分かりました!分かりましたから、もうやめてあげてください!」
「まだ駄目です」
詩月さんの必死の訴えを一蹴して、兄貴は夕月さんの尻を容赦なく叩く。
肌を打つ音が響くたび、詩月さんの顔は青ざめるし夕月さんの尻は赤くなるし。
まるで自分の事のように顔を引きつらせてガクガク震えて、声も出ないらしい詩月さん……
いつも通り暴れながら半泣きで騒いでいる夕月さん……
どこまでも正反対な様子の二人だ。
「健人君!やだっ……痛いよぉ!!わぁんっ!
もうしないぃっ!サスペンスごっこしないぃっ!!」
「ええ、しないでください。
あんな禍々しい赤色が部屋中に飛び散ってたら心臓に悪いです!」
「ごめんなさいっ!禍々しい色作ってごめんなさい!!」
バシッ!バシッ!バシッ!
「それに、先生に何かあったかと思って本当に心配したんですよ!?」
「ごめんなさぁぁい!!心配かけてごめんなさぁぁいっ!!」
「素直に“ごめんなさい”してくださって嬉しいですけど
今日はたくさん叩くって、言いましたよね?」
「うわぁああんっ!たくさんやだぁっ!!もう反省したぁぁっ!!
やだぁぁっ!!」
尻も真っ赤で痛そうな上に兄貴が脅すもんだから、夕月さんが激しく泣き出してしまった。
夕月さんも可哀想だが俺が一番今心配なのは……
「あ……ぁ……あ……」
……すでに何かが限界に達してるっぽい詩月さん。
大丈夫だろうか?目がイきかけてるけど
口からゾンビの呻き声みたいなのが聞こえるけど、大丈夫だろうか?
やっぱり初心者には刺激が強かったかなぁ、兄貴のお仕置きは。
そんな事を俺が考えていると、詩月さんが急に叫ぶ。
「もうやめてください!!限界です、見てられません!!
夕月さんを解放してください!
僕が代りに叩かれますから……だからッ!!」
「代わり……?」
兄貴が詩月さんの顔を見た。
それはほんの一瞬で、詩月さんの真剣な目をさらりとかわす様に夕月さんに視線を戻す。
そして呆れ気味に言った。
「貴方も同罪なんですよ?代わりになるわけないでしょう」
「……!!」
「先生の姿にばかり気を取られて……
貴方も反省したなら先生を見習って謝ったらどうですか?」
兄貴の言葉に、ショックを受けた様子で固まっている詩月さん。
その姿は何というか不安定で……次の瞬間大号泣し出してもおかしくない……。
傍ではずっと夕月さんの「ごめんなさい」と繰り返す声が聞こえる。
さぁ、どう出るだろう詩月さん……!!
「ごめん……なさい……許して下さい……」

詩月さんは謝った。
泣きそうな声で謝っていた。
兄貴はそれを聞くと、すっと手を止める。
「もう人騒がせな遊びはやめて下さいね」
誰にともなくそう言って、兄貴は夕月さんを抱き起こした。
夕月さんは勢いよく兄貴にしがみついて泣いていた。
「うわぁぁああんっ!!痛かったぁぁっ!!」
「大丈夫……もう終わりましたよ」

よしよしと兄貴が夕月さんをあやす……お仕置きの後のこの光景も、もう見慣れたものだ。
ただ一人、この光景を見慣れていない詩月さんがぎゅっと唇を噛みしめる。
「……健人さん……貴方、いつも夕月さんにこんな酷い折檻をしてるんですか?」
何やら不穏な状況……しかし兄貴は冷静だ。
「酷かったでしょうか……僕は先生を必要以上に傷つけない配慮はしているつもりですが」
「十分酷かったです!!話が違うじゃないですか!!
夕月さんが貴方を信頼して……優しい人だって言うから任せたのに!!」
俺には、詩月さんの事も、彼と夕月さんとの関係も分からない。
だから詩月さんが今怒っている理由も正確には分からない。
でも、詩月さんの言う事から察するに、夕月さんを兄貴に任せたのは詩月さん……
そして夕月さんの為にずっと、こんなにも必死になっている詩月さんはきっと夕月さんの……
俺は考えながら怒鳴っている詩月さんをじっと見ていた。
「健人さんがあんな人だったなんて……夕月さんが毎日どんな辛い思いを……!!」
「辛くないよ?」
いきなり、夕月さんが詩月さんの言葉をあっさりと否定した。
すっかりいつもの笑顔に戻っていて、詩月さんに近づいて嬉しそうに話を続ける。
「そりゃぁ、健人君にお仕置きされたら、お尻骨折しちゃいそうに痛いけどさ……
私が悪い時にしか叩かないもん。普段はとっても優くしてくれるよ?
それにね、お仕置きの後もぎゅってしてくれるし……私、ここに来てから毎日楽しい!」
「夕月……さん……?」
「詩月はいつも優しいけど、私にぎゅってしてくれたことないよね……」
夕月さんはどこか悲しそうだった。
詩月さんも驚きと悲しみが混じったような、ひどく傷ついたような顔をしていて……
そんな二人の様子を見て、兄貴がぽつりと言った。
「心と体は繋がっています。言葉だけでは伝わらない事もあるんですよ?」
その言葉を聞いた詩月さんは、本当に切羽詰まったような表情になる。
いや、切羽詰まったというより何か覚悟を秘めたような表情と言うべきか……。
「貴方に……最後に触れたのは……いつだったでしょうね……?」
詩月さんが夕月さんに手を伸ばす。
初めは戸惑っていた夕月さんも、恐る恐る身を任せて
詩月さんは兄貴がするみたいに夕月さんをしっかりと抱きしめていた。
そして……
「夕月さん……大堂の家に戻って来てください……!!」
夕月さんを抱きしめながら詩月さんは確かにそう言った。
いつかは起こると思っていた事が、起きそうな気がした。



気に入ったら押してやってください
【作品番号】US14

戻る 進む

TOP小説