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うちの画家先生10




『探さないでください。』

こんな典型的なメモを残して、おっさんは部屋からいなくなっていた。
まぁ、細かい話は、つい1時間ほど前にさかのぼる。


―1時間前

「健介君……“灯台もと暗し”と“大正デモクラシー”って似てるよね……」
「何言ってるんですか夕月さん。」
「はぁ……ふぁぁ……」
「ため息つくかあくびするかどっちかにしてください。」

夕月さんは俺の言葉に反応することなく、虚ろな目でテレビを見ている。
何だか3日ぐらい前から、夕月さんは元気がない。
いつもの騒々しさがないっていうか……声が元気無いし、一人で黙り込んでいる事も多いのだ。
兄貴も心配している。

「健介君……おやつ……」

おやつだけは要求してくるから、まだ大丈夫だと思うけど。
それにしても弱弱しい声だ。いつもうるさいから調子狂うな……。

「夕月さん、最近元気ないですね。何かあったんですか?」

ホットケーキの皿を差し出しながら聞いてみた。

「……最近、眠れないから……」
「ああ、寝不足ですか。そういえば眠そうですね。」
「ん……ふぁ……」

言ったそばからまた眠そうにあくびをする夕月さん。
元気が無いのは眠いからか……でも、夕月さんが寝不足って……いつも夜は早いうちからガッツリ寝てるくせに。
やや疑わしかったが、目の前でトロトロとホットケーキを食べる夕月さんは本当に眠そうだ。

「う〜……“寝不足”って言われたら余計眠いー……」
「少し休んだらどうですか?俺は買い物でも行ってきますから。」
「え?わっ、私も一緒に……」
「夕月さん眠いんでしょ?少し遠出しますから、わざわざついて来なくてもいいですよ。」
「……そ、そだね。」

悲しげに俯く夕月さんに妙な違和感を覚える。いつもなら「え――!行く!おやつ買うんだもん!」とか言うのに。
やっぱり夕月さんの様子がおかしいな……連れて行くか?
そう思ったけど、夕月さんがタオルケットを引っ張ってきて寝る準備を始めていたので置いていくことにした。

「それじゃ、行ってきます。何か買ってきましょうか?」
「……いらない……」
「……」

タオルケットをかぶってソファーにうずくまっている夕月さんを横目に見て、俺は家を出た。


―で、帰ってきたらこの有り様。
リビングは散乱し、テーブルには例のメモ。

『探さないでください。』

あの、何だろう……「家出」というヤツだろうか?
何でまた……様子がおかしかった事と関係があるのか?本当にあのおっさんは……
はぁ―――と、長いため息が出たが、とりあえず近所を探してみることにした。

向かいの病院から公園、大通り、ショッピングモール……一回りしたけど、夕月さんは見つからない。
この近所じゃないとすると、あとは……

「秘密のアトリエ……か。」

ここから少し離れたところにある夕月さんのアトリエ。
前に何の連絡もなくあそこにこもられて、散々探したので、あのアトリエは“夕月さんの行きそうな場所”として把握したのだ。
よって今は“秘密の”でもないアトリエだが、夕月さんがいまだに“秘密のアトリエ”と呼んでいるからそれで定着した。
ちょっと遠いけど、行くしかないな……。


時間はかかったが、どうにか『秘密のアトリエ』に到着した。
扉を開けると、平積みにされた絵やら散らばっている画材……
そして正面に、立てられたキャンバスの前でしゃがみこんでいる夕月さんが見えた。

「夕月さん!」
「!!」

近づいて、夕月さんの前にある絵が目に入る。
人物画?でも、顔の所が真っ黒な絵の具で塗りつぶされていて誰だか分らない。
何だこれ……少し気味が悪い。


「夕月さん、これ……」
「さ、探さないでって言ったのに!!」
「へ?」
「帰れバカやろう!!」


勢いよく立ちあがった夕月さんに筆を投げつけられて、腕に当たった。

「痛っ……何するんですかいきなり!!」
「帰れ!!帰れ!!私は一人で生きて行くんだ!!」
「ちょっ……夕月さんっ……危なっ……」


どんどん筆やら何やら、とにかく近場にあるものを投げつけられてまともに話ができない。当たると地味に痛いし。
このおっさん急にどうしたんだろう……と、いうかこのままじゃ埒が明かない!!

「こっ、の……物を投げるな――――――っ!!」


俺が思いっきり叫ぶと、夕月さんは驚いたのか動きが止まる。
その隙に、手近な椅子(っぽい立方体)に腰かけて夕月さんを膝に引き倒す。

「人が心配して探しに来たってのに、何ですかその態度は!!
大体ねぇ、電子レンジと湯沸かし器しか使えない人が一人で生きていけるわけないでしょ!!?
急に訳の分からないかんしゃく起こして……少し頭を冷やしなさい!!」

そう怒鳴って、尻を丸出しにして、そのまま叩いてやった。

パンッ!パンッ!パンッ!


「ひっ、いっ!!痛っ!!」
「こっちも筆とか投げられて負けず劣らず痛かったですよ!!夕月さん、相変わらず物の扱いが粗末ですね!」
「あっ、うっ……健介君がっ、探すからいけないんだ!!私はっ……私の事はっ……んっ、放っておけばいいんだっ!!」
「反抗期の中学生かアンタは!!いい大人が家出みたいな事して!どれだけこっちに心配かけたら気が済むんです!?」


パンッ!パンッ!パンッ!

「だって……ああっ、写真……アルバム見て……!!」
「アルバム?」

言われてリビングの様子が思い浮かんだ。そういえば散乱していたのはアルバムだ。

「家族でっ、んんっ、楽しそうで……私、全然写ってなくて、当たり前だけど……っ!!」

必死で何か言おうとしているらしいので、しばし手を止める。
膝の上の体が、呼吸にあわせて小さく動いていた。

「急に……家にいちゃいけないような気がして……!!
だってあそこは……健介君と健人君と……君たち家族の家だから……
気づいたんだ……他人の私が、どんなに頑張ったって家族になれない……
いつかは……私のことなんて……私はっ……!!」

言葉を繋げば繋ぐほど、夕月さんの声が震えていく。今にも泣き出しそうなくらいに。

「私は、誰ともっ……家族になんかなれなっ……ひっく……だから、一人で生きていくって、決めたんだ―っ!!」

パァンッ!!

考える前に手を振りおろしていた。
本気になってしまったんだと思う。夕月さんが跳ねたから。

「いったいぃぃっ!!」
「勝手なこと言わないでください!!
写真なんかなくても、アンタは俺たちの家族みたいなもんなんですよ!!」

「で、でも……!!」

「少なくとも俺と兄貴は、そう思っています!!
それなのに、アンタはこの期に及んで他人面するんですか!?いっつも無遠慮にワガママ言うくせに……
あ〜〜〜腹立ってきた!!」

パンッ!パンッ!パンッ!

「いっ……ふぇっ、んぁあっ!!」

強めに叩くと、夕月さんは足をバタつかせるが、構わず叩き続けた。
“他人”だの“家族になれない”だの、今まで楽しく過ごしてきた生活を否定されたような気がして、どうにも腹が立ったのだ。
これでも、夕月さんとはそれなりの絆ができていると思ってたのに!!


「今までずっと一緒にいて、思い出もできて、その結果がこれですか!?冗談じゃない!!
家族になれないなんて、決めつけないでください!!」
「なれないっ!!いっ……いつか……離れてっ……そしたら……どうせ家族じゃなくなっちゃうんだもん!!」
「家族は何万メートル離れていようと家族なんです!!」

バシィッ!!

ついきつく叩いてしまった。
もう尻が赤くなっているのにこんな叩き方したら可哀想なんだけど……
夕月さんに“家族”を否定されるたびに意地になってしまう。
俺と夕月さんはたしかに血縁もないし、つい最近暮らし始めたばかりだし、ずっと一緒にいられる保証もない。
……でも……!!


「うっ……うわぁぁあああんっ!!」

家族みたいに、仲良く暮らしてるじゃないですか!!
どうして急に今になってそれを否定しようとするですか!?
言葉にできないまま、俺は泣きじゃくっている夕月さんの尻を叩き続けた。


「あぁああん!!痛いぃっ!!うぇぇぇっ!!」
「とにかく今日は連れて帰りますからね!いいですか!?」

パンッ!パンッ!パンッ!


膝の上で夕月さんは、泣きながら暴れて、俺のズボンを引っ張ったりしていた。
無理やり連れて帰るのもどうかと思ったが、
こんな、“一人で生きていく”なんて言わせたまま、ここに置いていくことはできないし、したくない。
それが夕月さんの意志だとしても……せめてもっとよく話し合ってからにしたい。


「うわぁぁああんっ!!」
「返事は!?俺と一緒に帰りますね!?」
「帰るっ!!帰るぅうっ!!わぁぁああんっ!!」

パンッ!

「帰る」と言ってくれたので最後強めに一発入れて、夕月さんを膝から下ろす。
泣くばっかりでズボンも整えようとしないので、向かい合わせに立たせて整えた。


「健っ……介君っ……ひっく……帰る……帰るぅ……うぅっ……」
「分かりましたってば。帰りましょう。」


泣きながら「帰る」を連呼する夕月さんをなだめようと手を伸ばす
その前に、勢いよく抱きつかれた。
驚いて反射的に受け止めて、夕月さんを見ると、バッチリ目が合った。

「ゆ、夕月さん……!?」
「あ、あのねっ……本当はっ、一人は嫌なんだ……っ、ずっと……一緒にっ……家族に、なりたい……!!」

真剣というか、必死というか……でも、今にも壊れてしまいそうな、そんな表情で言われて
今までモヤモヤしてた気持が一気に引いていく。
ああ、これがこの人の本心だ……
直感でそう思った。


「もう家族だって、言ってるじゃないですか。ほら、帰りますよ。」
「うんっ……帰りたい……」
「最初からそう言えばいいんです。」

並んで歩きだして、不意に繋がれた手を、振り払わずにそのまま歩いてしまったけど
今日はたぶん、これでよかったんだと思う。




で、夕月さんを連れて家に帰ると、すでに兄貴が帰ってきていた。

「あ、お帰り。遅かったね。二人でどこ行ってたの?」
「家出した夕月さんを連れ戻しに。兄貴も叩いてやってくれ。この家出オヤジを。」
「ちょっと!!何言ってんの!!?だ、ダメだよ健人君!!すでに健介君に100回ぐらい叩かれたから!!
お、お尻とか脱臼しちゃったんだから!!」

すっかりいつのも調子に戻っていた夕月さんが、慌てて両手で尻をかばう。
っていうか100回なんてオーバーだ。そんなに叩いた覚えないぞ。
兄貴は俺たちを見て、いつもみたいに笑っていた。


「あはは……100回も叩かれたんなら仕方ありませんね。
でも、どうして家出なんか……もしかして何かこの家にご不満が……?」
「ち、違うよ!!この家、大好きだもん!!だから……本当に、家族だったらよかったなって……
でも、私、他人だし……家族になれないって思ったら何か悲しくなって……」

だんだん俯いて、声がか細くなっていく夕月さんを、兄貴がいつもみたいに抱きしめる。

「先生は、もう家族じゃないですか。」
「!!」


ほら、俺と同じこと言った。
夕月さんはそれを聞いて、目を見開いたかと思うと、泣き出しそうな顔をした。

「わ、私っ……最近、怖い夢ばっかりみてっ……また同じになったらどうしようって……!!
怖くてっ……眠れなくなって……」
「もしかして、それで最近元気が無かったんですか?」
「んっ……不安だし、眠れないし、辛かった……」
「辛いことがあったら何でも言ってくれればいいんですよ?家族なんですから、ね?」
「ありがとっ……ありがと……ひっ、ふぇっ……」


夕月さんは兄貴に抱きしめられながらボロボロ泣いていた。
それでしばらく泣いて、そのままリビングでコロッと寝てしまった。
最近寝不足だったし、家出で長距離移動して、挙句、泣きわめいたから疲れたんだろう。

「夕月さん、怖い夢ってどんな夢見たんだろ?」
「さぁ……今日は見てないといいけど。」
「大丈夫だろ。この顔は。」
「そっか、そうだね。」


俺たちがそう思えたのは、夕月さんの寝顔が笑っているように見えたから。
いつもながら世話の掛かるおっさんだけど、この大きいんだか(年齢的に)小さいんだか(背丈的に)
よく分からない家族を、俺たちはこれからも見守っていくんだと思う。



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【作品番号】US10

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