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姫神様フリーダム8



ここは神々の住まう天の国。
球里の故郷の山の中、実家にて。
時期外れの“発情期”が耳付きの精霊たちを襲い、球里も実家へと戻ってきたのだ。
育て親の里様はちょうどお出かけ中で、球里は一人、水饅頭をお茶請けに午後の緑茶を楽しんでいた。
ここでは驚くほど静かな時間がゆっくりと流れていく。
球里はお茶をすすって一息ついた、その時。
「球里兄さん!!」
明るい声と共に玄関の扉が開く。
質素な着物姿の、キツネ耳の若い女の子が笑顔で入ってくる。
「お久しぶりです!会いたかったわ!」
「桃里か!大きくなって……!」
「うふふっ、球里兄さんは会うたびそれね」
お互いに耳をピンと立て、嬉しそうに言葉を交わす。
桃里……そう呼ばれた女の子はその名の通り耳と尻尾が桃色の毛色だ。
球里と桃里は実の兄妹ではないけれど、昔から仲が良かったので兄妹のような関係だった。
成長してからは会う事も減っていたけれど……
球里にとって、桃里はいくつになっても“大人しくて可愛らしい妹分”だった。
球里の傍に寄ってきた桃里がふわりと笑う。
「私だってもう立派な大人なんだから、これ以上は大きくならないわよ?」
「いや、すまない。気の利いた事が言えなくて」
「真面目なのも相変わらずなのね……ねぇ、私は球里兄さんに聞きたい事がたくさんあったの!」
昔はよく膝に座らせて絵本を読んであげたものだ。
“手袋を買いに”を500回ぐらい。
あの頃のように、瞳を輝かせて球里の話を聞きたそうにしている桃里。
球里は笑顔で頷く。
「何だ?」
「やっぱりお城って言うのは愛憎が淫らに渦巻く場所なの!?立佳様は相当やり手のプレイボーイなの!?」
「!!?」
危うくお茶を零しかけて、目を見開いていると桃里はキラキラの笑顔で饒舌に語っている。
「あのね、あのね!立佳様は年若く見目麗しく、頭も良くて、けれどその力は天地を裂き、
それでいて気取って無くてユーモアに溢れ、それはもう、素晴らしい殿方で!!
たくさんの女神達が彼の虜で、甘い恋物語がいくつも繰り広げられ……けれど!
けれどその立佳様の本当のお気持ちは妹の琳姫様一筋だとかッ!
あぁっ、でもその熱い思いとは裏腹に彼は琳姫様の侍女にも告白されて……!」
(な、何だこのワケの分からない話はッ!!こんな変な噂が広まって!?)
聞けば聞くほど、聞くに堪えない事実無根の噂。
球里は絶好調の桃里トークを手で制して止める。
「ま、ま、待て!!桃里!!」
「な、何っ!?まさかこの他にも波乱の恋が!?」
「違う!!お前の言ってる事は全くのでたらめだ!!
立佳様はまだ幼いし……そう幼いんだ!!今はまだまだ学び盛りで、
お前の言っているような破廉恥な事実は全く無い!」
「えっ……え、そうなの……?」
「あ、あぁ……」
目を丸くする桃里と、落ち着こうと一口お茶を飲んだ球里。
改めて球里は妹分に問う。
「だいたい、そんな話誰から聞いたんだ!?そんな噂が広まっているなら……」
「ううん。最近読んだ本を元に私が想像したことだったんだけれど……」
「はっ!!?」
思わぬ答えに驚いている球里を尻目に桃里は再び考え込んで……
「そうかぁ……立佳様は幼かったのね。でも……たしか、閻濡様はいい感じのお年頃だったはず……。
とてもお優しくって素敵な姫君だと聞くわ。そして父王の閻廷様にそれはそれは大事に育てられているご様子……
そんな、そんな、外界を知らぬ無垢な彼女と!!誰か一人くらい、隣国の皇子様あたりがラブロマンスを……!!」
(やめろ相手の身が危険だ!!)
内心でそんなツッコミを炸裂させながら、またまた球里は止まらない桃里の妄想トークを止めた。
「や、やめないか桃里!根も葉もない事を、想像で……不謹慎だ!!」
「何よ!私に本を読む楽しさを教えてくれたのは球里兄さんじゃない!!」
「その事は今関係ないだろッ!!」
勢いに乗ってヒートアップしてくる桃里を、とにかく止めようと必死になる球里。
しかし彼女は止まらない。
「いいえ!あるわ!私、球里兄さんのおかげで本を読むのが大好きになった!
働いているお茶屋の御姐さん方とも本の話題で仲良くなったの!本を貸し借りするの!
だから色々読んだわ!もっぱら恋物語!姫と皇子とか!身分違いとか!使用人同士とか!
甘かったり、切なかったりドロドロだったり、エッチだったり!」
信じられない妹分の言葉に、球里の顔がみるみる青ざめていく。
そして
「もっと知りたい!読んでるだけじゃ足りなくなった!
周りの姫や皇子の噂を元に想像力を駆使しても、もう、足りないの!もっと刺激的な恋の話が聞きたい!
球里兄さん……!!」
桃里は、球里に言う。
「兄さんは誰かと恋とかあんな事やこんな事はしてないの?!」
「あっ……あぁ……!!」
ひび割れて粉々になるのは、遠いあの日のあどけない彼女。
幼い日の温かい思い出。
球里は絶望感で頭を抱え……
「女って……女ってのは皆こうなのかぁぁぁぁぁっ!!」
思いっきり机に頭を打ち付け、叫ぶ。
先輩と慕ってくれた遊磨が割と生意気寄りのフレンドリーに成長した前例がある彼にとっては繰り返したくなかった悪夢。
そんな彼を構わず揺さぶる桃里。
「兄さん!兄さんだってあるでしょう!?ラブロマンスの一つ二つ!身分の高い女性との、めくるめく逢瀬は!?」
「やぁぁめぇぇなぁぁさぁぁいぃぃっ!!私にそんな話があるわけないだろうがぁぁぁぁっ!!」
桃里を振り切る様に顔を上げて叫んだ球里は、勢いのまま彼女を、彼女の尋問を跳ねのけようと必死になる。
「私は!あの城へ!働きに行ってるんだ!!
立佳様も大事な時期で、恋だの愛だの言ってる場合ではないんだ!!
桃里!お前はちょっと見ないうちにそんないかがわしい読み物を読み漁る様な子になってしまったのか!?
そんな事にばかり興味があるのか!?」
「兄さんは、無いの……?」
急に、桃里の様子が変わる。
あれだけ高かったテンションが切れ、真剣な瞳を揺るがせて……
「おかしいわ……私達、もう大人でしょ?球里兄さん、興味が無い方が、おかしいわ。ねぇ……」
「も、桃里……?」
ずるずると四足歩行で迫ってくる桃里に、球里は座ったまま後ずさる。
今、自分たちのおかれた状況を思い出した。“時期外れの発情期”なのだ。
「桃里!お前、まさか……薬は!!?」
「無理よ……無理……あの薬……まずい!!!ちょっと舐めて死ぬかと思った!」
「おい子供か!!いいから飲っ――」
叱ろうとしたら、抱きすくめられて心臓が跳ねる。
桃里の声が震えている。
「わ、私……読んだ中に……兄妹もの、も、あるのよ……?結構、好き……!!」
「こら、桃里!!いい加減にしないと……!!」
球里も思わず赤面してしまった。
触れる感触も、成長した体も、色っぽい姿も……
あまりにも記憶の中の妹分と違い過ぎて、頭が追い付かない。
引き離すに引き離せなくて思わず……
「お前は!雪里が好きなんだろう!?」
「!!」
とっさに叫ぶ、浮かんだ名前。球里と、桃里の弟分。
桃里は一瞬動きを止め、悲しげに笑う。
「兄さん……それ、私……あの子に、振られちゃったわ……」
「!!桃里……!!」
球里も気まずそうに言葉を詰まらせる。
失言かと、申し訳なく思ったけれど桃里は少し正気に戻ったようだ。
「ご、ごめんなさい……!私、何?何して……?兄さん逃げて……!!」
「っ、バカ!!早く薬を飲みなさい!!」
「嫌よ!絶対嫌!!あんなもの飲むくらいだったら……こ、このまま雪里と……雪里ぉぉっ!!とにかく嫌よ!」
「私は雪里じゃない!やっぱり雪里が好きなんじゃないか!!こんなわがままな大人見た事無いな!!」
「う、ぁぁっ!?」
球里は桃里を無理やり膝の上に横ばいにさせる。
もう彼女を止めるにはこうするしか思いつかなかった。
「兄さん……!?ちょっと、冗談……!!」
慌てた彼女の尻に間髪入れず、手を振り下ろす。
バシィッ!!
「ひっ!?い、いや……!!」
「桃里、いいな?一度しか言わない。ごちゃごちゃ言わず、さっさと、薬を飲め!!」
ビシィッ!!
「きゃぁぁっ!?」
また一つ。叩くと桃里が体を跳ね上げる。
服の上からでも痛いのか、尻尾が怯えたように上巻きに丸まった。
「う、わ、分かった!分かったから!!飲むから許して!!」
「本当に?」
「嘘なんかついてどうするのよ!!」
「ならいいが……」
バシッ!ビシンッ!
「やぁぁぁっ!?何で!?私、飲むって言って……本当よ!!離してくれたら、すぐにでも証明するから!」
“ちゃんと薬を飲む”と言ったのに、まだお尻を叩かれて
桃里は焦ってジタバタしているけれど、球里はまた手を振り上げながらいたって冷静に言う。
「それはそれとして。お前の妄想癖も大概にしてもらわないとな。
立佳様や琳姫様や、閻濡様の根も葉もない噂を流されたら困る」
ビシッ!バシッ!ビシッ!
「えぇええええっ!!?言わない!誰にも言ってない!球里兄さんにしか、話してないわ!!」
「お茶屋の仕事仲間とは?」
「そ、それは……!私は、大概聞き役で……で、でも、悪い話じゃないんだからいいじゃない!!」
(確かに、立佳様の話に関しては、本人が捏造しそうなくらいの持ち上げ方だったな……)
のんびりとそんな風に思いながら球里は桃里のお尻を打ち続ける。
「ひゃぁあああん!ごめんなさい!!これからは興味本位で噂話をしないから!」
「当然だ」
ビシッ!ビシッ!
一定間隔の打音だけがする中、なかなか終わらないお仕置きに、
耐え切れなくなってきたらしい桃里が涙声で恨めしく言う。
「あぁあっ!うっ、うぅっ……酷いわ兄さん!いつまで叩いてるつもり?!」
「お前が泣いて反省するまで」
「お、脅かしてるの?大人がこんな事で泣くわけないじゃない……」
「……羨ましい奴だな、お前は。でもその割に……」
最初は上向きに丸まっていた尻尾が、ガッチリとお尻を庇い始める。
それを退けようと、叩くのを止めて持ち上げた。
「尻尾が邪魔だ」
「ひゃぁぁっ!ひぃっ、ヒド、いわ、兄さん……!触らないでぇっ……!」
「……、薬を飲まない、お前が悪いんだからな」
「は、離して!離、して!もう、二度と……しませんから!」
(嫁入り前の体だし……)
発情時に尻尾を触られる苦しみは球里も分かるので、
必死にか細い声を出す桃里を見ているとやはり可哀想になってきた。
ため息をついて、尻尾は体を押さえている方の手でまとめて押さえ込む。
「分かった。お前がそんな状態じゃ、私もやりづらいし、これで最後にするから反省しなさい」
そう宣言した球里は、叩く手を一段階、強めた。
ビシッ!バシィッ!バシッ!
「きゃぁぁあああっ!?い、痛い!兄さん痛ぁぁい!!」
今度こそ桃里が子供の様な悲鳴を上げるが被せに被せて……
バシィッ!ビシンッ!バシッ!バシッ!
「ごめんなさい!ごめんなさいやめて!!うぁあ……!!」
泣き声か悲鳴かギリギリ判断がつかなくなったところで最後一押し、フィニッシュを決めた。
バシィッ!!
「いやぁああああっ!!」
それはもう、切羽詰った悲鳴を上げた桃里に、球里は手を止めて聞いてみた。
「泣いたか?」
「…は、ぁ…少し涙が出たわ」
「約束だからな、早く薬を飲んでくれ」
「わ、分かった……一応持っては、いるのよ」
フラフラと自力で起き上がった桃里。
着物の帯の中から小さな容器に入った水薬を取り出し……
しばらく球里の顔と交互に見比べた後、ダイナミックにあおっていた。
そして死にそうな声で叫んでいた。
「まずい!死ぬ!甘い物が食べたい!!」
「ほ、ほら!大げさな奴だな!」
球里がお茶請けの水饅頭を与えるとそれを素早く吸い込むように頬張って、
咀嚼して、やっと落ち着いたようだ。
冷静な彼女に戻っていた。
「……ありがとう兄さん」
桃里の目じりに浮かぶ涙。
お尻を叩かれたからか、薬が不味すぎたのか。
ともあれ球里と桃里は、やっとこさで普通の会話を始める。
「しかし、こんな半端な時期に集団で“発情期”だなんて……何だってこんな変な現象が起こったんだろうな?」
「分からない……たまたま、気候的な何かなのか……誰かが、引き起こしたのか……」
「山の外にまで影響が出てる……こんな変異、意図的に起こせるものなのか?」
「複数犯、あるいは……そこまでできる力を持った、誰かとか」
「……神の仕業だと?」
「そんな噂も聞いた。どこかの神様の、悪戯じゃないかって。でも……」
「悪戯……」
球里の脳裏に立佳の顔が浮かぶ。いやいや、あの方でもそこまでの力は……そう否定した。
「兄さん……!」
不安げな顔の桃里。球里は思わず頭を撫でる。
「大丈夫だ桃里。怖がらなくていい。私も、しばらくこっちにいるし……」
「違うの!雪里の事……」
「雪里?あぁ、あの子はどうしてる?元気にやってるのか?」
雪里は、球里と桃里のどちらとも血は繋がっていないが、小さい頃は仲の良かった二人の弟分。
球里にとっては桃里と同じくらい気にかかるのだ。
しかし、彼を語る桃里の表情は暗い。
「あ、あの……あの子、急に、いなくなっちゃったの」
「え!?」
「ある日、と、突然……いなくなって。ごめんなさい、私、あの子を見てなきゃ、いけなかったのに……!」
桃里の顔はどんどん曇っていく。
それを元気づけようと、球里は優しく声をかけた。
「お前は何も悪くないよ。そうか、山を出たのかもな……
心配する事は無い!大人しいけど、芯の強い子だ!今もどこかで、元気に……」
「違う!違うの!!兄さんは知らないんだわ!!」
「え!?」
「あの子……前からちょっと卑屈でアレだったけど、いなくなる前から、
どんどん、何だか……急にやさぐれて……。姿が見えなくなってから、変な噂ばっかり……。
悪い、仲間と盗みを繰り返してるとか……悪い、薬の運び屋をやってるとか……
ケンカ沙汰ばっかり起こしてるとか、少し、小火があればあの子の仕業じゃないかって……!!」
「な、何てことだ……!」
泣き出さんばかりの桃里は、言葉と共に手で顔を覆っていく。
球里はいてもたってもいられなかった。
「その話が本当なら……いや、本当な筈がない!きっと何かの間違いだ!
それこそ、悪い奴に騙されて、逆らえずに助けを待ってるのかも!あの子を探しに行かないと!」
「兄さん……私、私は……!!」
桃里の絞り出すような声は、こう続けた。
「本当かもって、思っちゃう……!!」
そうは言いながらも、桃里は泣いていた。
弟分を信じきれない自己嫌悪や悲しみや、不安で震えていた。
ましてや恋心を抱いているのだ。
崩れ落ちそうな彼女を球里はしっかりと抱きしめる。
「本当なら、連れて帰ってきてやる。
お前にしたみたいに、反省させて、連れて帰ってきてやる。
里様に頼んでここで住まわせよう。な?心配ない」
「わ、私……、ごめんなさい!振られたもんだから、あの子の事、
もういいって、放っておこうって……忘れようとして……!!
でも、悪く言われるのが悔しくて……!!今回の事、もし、あの子が!!」
「大丈夫だ、桃里。万が一そうなら、何もかも悪い事は全部、やめさせよう。
私達はあの子を信じてる。里様も、絶対に。
お前はここで待ってなさい」
「……兄さん、雪里に会いたい……っ!!」
「もちろんだ!任せろ!」
桃里にそう約束して。
球里は雪里を探しに出かけた。


(雪里……本当に変わってしまったのだろうか……?あの優しい桃里が疑ってしまうほど……)
そんな事を考えながら、当ても無く出てきた事に気付いた。
とりあえずは山で聞き込み……
そう思い、歩いていくうちに目の前に見えた若い狐耳の女性に声をかける事にした。
純白の毛並みが美しく、それに負けない容姿……要は美人だと、一目でわかる。
しかも胸が大きく、体つきはセクシーだ。
少々ドキドキしながら球里は声をかけた。
「あの、もし、ご婦人……」
「はい、何か?」
「雪里と、いう子をご存知ですか?私や貴女と同じ、狐の精霊で……」
「知ってるわ。極悪人でしょ?皆が噂してる」
そう言ってクスクス笑った彼女。
球里はムッとしたが、それを表に出さないよう努めた。
冷静に言葉を返す。
「その噂、鵜呑みにしない方がいいですよ。
彼が今はどこにいるのか、探しています。居場所を……ご存じ」
「知るわけないでしょう?その辺にいられてたまるもんですか。あぁ怖い。
前に私見たのよ?彼、雪里だなんて可愛らしい名前をして……真っ黒で薄汚い毛並みの醜い男じゃない。
とんだ名前負けね!雪里と言うからには、私のように純白の毛色で……毛並みも美しい姿でないと!」
言葉を遮られた挙句の、弟分への侮辱。
今度こそ、球里は怒鳴ってやりたかったが我慢した。声が震える。
「彼はど、どの辺に行きました?」
「覚えてないわ。それより、ねぇ貴方……私を美しいと思うでしょ?」
「!!」
急にしなだれかかってきた婦人に球里は驚いた。
今日はこんな事ばかりだ。
けれど、桃里の数十倍は妖艶な彼女が、球里の腕に絡みつき、
豊満な胸を押し当てて囁くように言う。
「姫様も毎日褒めてくださるのよ?ねぇ、私をどう思う?」
「は、は、離してくださいッ!!私は雪里を探しに……!」
「何よあんな醜い男の事なんか!」
「貴女にあの子を醜いと言う資格なんかない!!
そうやって、周りがあの子を傷つけるから、あの子は……!!」
婦人の手を振り払って怒鳴って。ここで球里、我に返りハッとした。
慌てて顔を逸らして声のトーンを落ち着ける。
「……し、失礼。貴女、薬が足りていないのでは?私は急ぎますので……」
球里は婦人を置いて早足で去って行き、婦人は球里をじっと見つめていた。


その後、
婦人はトコトコと歩いて山奥へ入り、周辺の鬱蒼さと不釣り合いな可愛らしい家の中に入る。
「おかえりなさい!雪里!」
すると、可愛らしい声と共に可憐な姫君(この小さな家には不釣り合いな、
煌びやかで品の良いドレスや冠を纏っている)、が婦人に駆け寄る。
彼女も姫君に笑顔を返した。
「ただ今戻りました姫様……」
「……どうしたの?悲しいお顔よ?」
姫君は心配そうな顔で首をかしげる。
婦人は答える。
「知り合いに会いました」
「嫌な人だったの?」
「いいえ。兄のように慕っていた……けれど……前のように抱きしめても撫でてもくれなかった。
この姿を美しいとも言ってくれなかった。
怒鳴られて、手を振り払われて、去って行ってしまいました」
「まぁ!可哀想な雪里……!!気づいてもらえなかったのね?」
「この姿では無理もありませんよ。変に話すんじゃなかった。姫様、私は美しいですよね?」
「えぇ、貴方はとても美しいわ」
姫君に褒められ、婦人は嬉しそうに笑う。
「ありがとうございます!美しい姫様に釣り合うように、頑張ってこの容姿を手に入れました!」
「そうね。私はとっても嬉しいし、貴方を誇りに思う。けれど雪里……」
姫君は婦人の手をそっと取った。そして彼女の瞳を見つめて言う。
「私、元の姿の貴方も大好きよ?」
「姫、様……」
「さ、跪いて術を解いて、もう一度同じ質問をして?貴方のお兄様の代わりに抱きしめてあげるわ」
「うぅ……」
姫君の笑顔に婦人は呻く。
頬を赤らめ、言われた通りに跪いて……みるみるうちにその姿を変える。
純白の美しい毛並みや髪は、黒くて、少々まとまりのない残念な毛並み&髪へ。
白い肌は浅黒くなり、女性らしい美しいボディラインは消え失せて、若い男のそれになった。
長めの前髪でも隠しきれないほど恥ずかしそうな表情で恐る恐る、婦人……否、雪里は言葉を紡ぐ。
「ひ、姫様……わたっ、私……私はあの、う、うつ、美しい……ですよね?」
「えぇ、貴方はとても美しいわ。私、貴方が好き。雪里」
姫君が雪里の頭を抱え込むように抱きしめると、雪里は目を閉じて声を震わせた。
「この姿の私に、そんなお優しい事を……言ってくださるのは、姫様だけです」
「優しい嘘じゃなくて事実よ。私だけじゃ不満?」
「いいえ……姫様だけ。姫様だけに抱かれてこれからも生きてゆきたいです……」
「うふふっ、甘えん坊ね雪里……いい子いい子……」
頭を撫でられ、狐耳は気持ちよさそうにへたっているが、表情を引き締めた彼が言う。
「姫様の願いは……何に代えてでも、叶えさせていただきます」
「貴方がそう言ってくれるなら、心強いわ」
姫君はまたにっこりと笑って、視線を雪里から窓へやる。
そして、遠くを見つめてうっとりと呟いた。

「愛しい立佳様……私を、愛してくださるかしら?」

「もちろん!もちろんです!!」
激しく首を振る雪里を、姫君はまた愛おしそうに撫でるのだった。





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【作品番号】HS8
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