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姫神様フリーダム7





ここは神々の住まう天の国。
闇と静寂に包まれている真夜中、狐耳従者の球里は急に寝苦しくなって目が覚める。
(何だか……体が熱い……)
目を覚ました途端に、全身の火照りを感じた。
まるで小さな火種が体の中で燃えているかのような感覚で頭の中も霞んでくる。
(きっと……風邪を、ひいて……でも……)
一日中、おかしかった自分の体を思い出す。
立佳に少し耳を触られただけで、まるで体の中に電気を流されような刺激を感じて
しかもそれは快感に直結している。
大声で叫びそうになって間一髪で耐えた。
そんな大きな快感……
(思い出すな!!)
ガバッと起き上がって、気分転換に窓を開けてみれば、流れ込んでくるのは冷たい風。
この体の熱さが外の暑さのせいでは無い事が確定して不安になる。
風邪だと思いたい。けれど、この感覚は覚えがあって、けれども違和感もある。
(……だって、時期がズレ過ぎている)
普通ならこの感覚は雪深い時期に感じるはずだ。
自分が完全に里帰りを済ませた後に。
けれど今、故郷の山は赤や黄がちらつく程度でまだ青々としていた。
球里は朦朧としながらも窓を閉める。
もう一度寝転がってみたけれど、とても眠れない。
体が熱くて頭が朦朧として、それに得体のしれない興奮と体の疼きを感じて、球里は恐ろしくなる。
(そ、そんなはずがない……まだ時期じゃ……!!
気のせいだ!具合が悪いんだ!これは風邪だ!風邪!)
無理やりにそう思い込んで、きつく目を閉じる。
(そう言えば、今日立佳様に“触るな”なんて、失礼な言い方をしてしまった。
結局部屋から追い出して、それっきりあまり話してないし……明日謝らないと……)
そんな事を考えていると……
やっぱり寝苦しかったけれど、しばらくすると意識を失う様に眠ってしまった。


翌朝。
目を覚ました球里は昨日に引き続き、体調不良(?)だった。
頭は昨日よりハッキリしたけれど、体が熱くてムズムズする感じは悪化したくらいだった。
(参った……こうなってくるとますます……)
球里は悩んだ。
(どうしよう……今日は部屋に閉じこもっていた方がいいだろうか?
けれど、これは病気ではないし……いやいや、もしそうじゃなくて得体のしれない病なら
やっぱり部屋にいた方が……!あれ?その前に病院?
いやでも、今日は立佳様に謝らないと……!)
迷って迷って、球里は部屋にある戸棚の引き出しを開ける。
薬の袋から決められたの量の薬を取り出して飲んだ。
“耳付き”の精霊たちの間では一番効くと評判の
『発情期』の興奮状態や性衝動などを抑える薬(水無しで飲めるタイプ)だった。
主に、山から外に出て暮らす“耳付き”達の為に作られた薬なのだが、
本当は発情期の状態を薬で抑えるのは推奨されていない。
山に戻ってくるのがベスト、家から出歩かないのがベターとされている。
けれども『発情期』でも里帰りも自粛もせずに薬で抑えつけていつも通り暮らし続ける者もいるし、
そうでなくても、もし万が一突然、時期でも無いのに『発情期』の状態になってしまった時の為に
薬を常備している者がほとんどだった。球里も例外ではなく、薬だけは持っていた。
(これで、効いてくれるといいのだが……)
球里は着替えなどの準備をする間も祈るような気持ちだ。
一度、試しで発情期中に(里帰り済みで、飲む必要も無かったけれどあえて)飲んでみた時はピタリと効いた。
その効力を信じ、球里は大きく深呼吸して部屋を出て行った。

しかし……
(どうしよう……薬が全く効かない……)
薬を飲んでしばらく経ったが、球里は体の熱と疼きを抱えたまま廊下を歩く。
前に飲んだ時の素晴らしい効き目が嘘のようにまったく効き目が無い。
頭が朦朧とする感覚まで復活してきて、球里は無言で俯き気味に歩く。
すると、聞きなれた声に呼ばれた。
「あ!キュウリ、お疲れ様!」
顔を上げて見たのは後輩従者の遊磨だ。
彼女はいつもの明るい笑顔だったけれど、その姿を見た瞬間に、
球里の中の何かが爆ぜた。勝手に口から言葉が出てくる。
「おっ……お前!!何だその胸は!?」
「えっ……」
驚いた顔で呆然とする遊磨に球里は次々と言葉を浴びせる。ほぼ無意識で。
「そんなデカイ胸を晒して私への当てつけか!?揉めというのか!?
揉めというなら今すぐ揉んでやろうじゃないか!えぇっ!?
大体、その太ももをチラッと見せつけるスカートもどうにかならないのか!?
まどろっこしい!見せたいなら全部脱げ!!」
「…………」
「――ハッ!!」
やっと我に返った時には遅かった。
遊磨は真っ赤な顔でブルブル震えながら球里を睨みつけている。
「ゆ、遊磨、済まない!!違うんだ!今のは、何ていうか口が勝手に……!」
球里にとっては心からの弁解なのだけれど、この状況では言い訳に等しい。
当然聞き入れてもらえず、突然遊磨の手に生成された黒い棒。否、それに刃が追加されて巨大な斧。
球里が驚く間もなく、遊磨は自分の背丈ほどもある大斧を軽々と振り上げて……
「ま、待て!!私を殺す気……」
と、言いかけて後は体が避けていた。
ギリギリ避けたが風圧に飛ばされて、しかし何とか起き上がって球里は全力で走っていた。
「球里!こっちだ!」
轟音で麻痺した耳に、微かに聞こえてきた声に導かれる様に……


球里を導いた声は立佳の声だった。
どうにか近くの物陰まで逃げ切って、命がけの全力疾走を終え、
へたり込んで息を切らせる球里を立佳は心配そうに見つめる。
「大丈夫?」
「え、えぇ……何とか。立佳様……もしかして見ていらっしゃいましたか?」
「もちろん!!お前が……男に生まれ変わる瞬間を!!」
「は?」
きょとんとする球里に、立佳は感動した様子でうんうん頷きながら言う。
「遊磨ちゃんのおっぱいにあんなに食いつくなんて、
お前も、やっと健全な男の感覚を身に付けたんだね!
いやぁ長かった!長い眠りだったね!けれどお前はエロに目覚めたんだよ!
おめでとう!これでお前も一人前の男!それでこそ、オレの従者だ!」
「な、何を言って……!誤解です!そのような認められ方は全く嬉しくありません!!」
「照れなくていいよ〜!さぁ、さっそくお祝いにお風呂を覗きに行こうじゃないか!」
「なっ……!」
球里は言葉を詰まらせる。
さっきの遊磨への失言を誤解されてしまって、その誤解を解かなければならない。
答えは『何を言ってるんですか!そんな事しません!!』に決まってる。
けれども、球里の中の本能が何か訴えてくるのだ。
(風呂を……覗きに行きたい……!!って、バカか私はッ!ええい!しっかりしろ!断れ!)
「覗きに行こうよお風呂!!」
「!!」
葛藤の中に立佳の誘惑。今の球里はあっさりと敗北した。
「行きましょう!立佳様!!」
「球里……もちろんだ!!」
こうして、二人で次のステージへ……


行ったものの、いざ脱衣所に来ると気分にムラのある本日の球里は、我に返って真っ青になる。
「(ななな何をやってるんだ私は!?は、早くここを出ないと!)
立佳様!やっぱりやめましょう!!」
「何言ってるのさ!怖がらないで!お前はせっかく目覚めたんだから!
ほら、勇気を出してユートピアを覗くんだ!」
(ユートピア!見たい!ユートピア!)
本能の訴え。ここにいると余計に頭がボーっとして体が火照る。
勝てない。球里の鋼鉄の理性は今、『発情期』でグズグズ状態……この試練に勝てなかった。
結局、立佳と二人でお風呂を覗いてみるのだが……
「なぁんだ母上かぁ……」
「!!」
多くの水音の中にそびえる女体は立佳の母、玲姫のもの。
熟れきった、しかし瑞々しい豊満ボデーを惜しげもなく晒す。
大きな胸、くびれた腰、≪一つ飛ばして≫むっちりした太もも……
どれを取っても色気の塊だった。
球里の目はすっかりと楽園の女神に釘づけだ。
しかし立佳の方は飽きてしまったようで、つまらなそうに球里に声をかけた。
「母上じゃ、なんかさー……ねぇ、もう行こうか球里……」
ピクン。
立佳の声に狐耳が微かに反応したかと思うと、球里は猛烈に立佳を怒鳴りつける。
「何言ってるんですか!?貴方、この素晴らしい光景を最後まで見ないとおっしゃるか!?
それでも貴方は私の主ですか!?同じ男とは思えない!!」
「えぇっ!?どうしたの球里!?」
「あの完璧な女体の魅力が分からないなんて!!
貴方にはそれなりの補習と躾が必要のようですね!」
「わっ!落ち着いてよ!大声出すと母上に気付かれちゃうよ!
そんな怒られ方なんかヤダ――っ!!」
そんな風に二人が言い争っていると、ふと玲姫が扉の方を見る。
立佳が真っ青になって叫んだ。
「わぁぁああっ!母上がこっち見てるぅぅぅっ!球里逃げよう!
バレたらタダじゃ済まないよ!母上からも父上からもお仕置きされるぅぅぅぅっ!」
「いっ、いえ!私は痛みに代えても、女神の楽園をこの目に焼きつけ……」
「そんなガッツは要らないよ〜〜!逃げようよ球里早くぅぅぅぅ!!」
「――ハッ!!」
立佳に必死に服を引っ張られている最中に我に返った球里。
瞬時に青ざめ、立佳を抱えて脱衣所から一目散に走り出た。


やっと脱衣所から離れ、追手も来ない。
球里はまた息を切らせ……そして……
「あ……あぁ……あ……罰が……恐ろしい罰が下る……
なんと、罪深い……なんと、恐れ多い……大罪を……
私は……死んで……償うしか……ない……!!」
「た、球里!!落ち着いて!!」
顔面蒼白で、魂が抜けたようになっている球里を必死で揺さぶる立佳。
けれど球里は首を横に振って半泣きになった。
「いいえ!いいえ!!私は……もう!この城にいてはいけないんです!
私は病気だ!!今日はもう部屋で大人しくしています!!わぁぁぁんっ!」
「球里!諦めちゃダメだ!きっと、さっきのはエロに目覚めたての
お前には刺激が強すぎて暴走しちゃっただけだよ!自分に自信を持って!
もっと、低刺激のエロから慣れていけば大丈夫さ!」
「うぅっ……立佳様……」
あさっての方向にフォローされて、すすり泣く球里。
その時、二人の元に立佳の妹の琳姫が現れた。
「きゅうり!」
琳姫はやや怒った表情で球里の前に立つ。
「貴方!遊磨に何をしたのですか!?あの子、泣いていましたよ!?」
「琳姫様……!」
琳姫の言葉に、最初の失態を思い出してしゅんとする球里。
耳と尻尾もしゅんとさせながら素直に琳姫に謝った。
「も、申し訳ありません……今日は具合が悪くて、つい……
思ってもいない事を遊磨に言ってしまったのです。後で謝ります……」
「まぁ、そうですか……。そういう事なら、仕方ないですね」
素直に謝られたので、琳姫の方も少し申し訳なさそうな顔になったけれど
ワザとらしくゴホンと咳払いをして言う。
「以後気を付けるように!今度遊磨をいじめたら、わたしくが貴方をお尻ぺんぺんしますからね!」
「は、はい……」
(あぁ、球里がハイペースでレベルアップしててオレは複雑な気分だ……)
この状況下で耳と尻尾をビュンビュン振っている……つまり、内心大喜び(?)の球里を見て、
若干、元の球里に戻って来て欲しいと思ってしまった立佳。
なのに立佳の願いとは裏腹に球里のスイッチは入ってしまったようで……。
「と、ところで琳姫様……今日もおみ足が美しい……!!」
「え?」
「踏んで下さい……姫!!」
「きゃぁあああっ!やめなさい!どこに顔を……やぁ!くすぐったい!」
「うわぁああああっ!?球里ぉぉぉっ!?」
あっという間に琳姫の太ももに猛突進して縋りついて、頬ずりしている球里。
あり得ない光景に、立佳がまた必死で球里の服を引っ張る。
「やめて球里!ズルイ!ズルイよ!オレそんなのやったことないよぉぉぉっ!
そこからパンツ見えるの!?何色なの〜〜っ!?」
「兄上!こんな時にまで何言って……ひゃぁん!?こら!きゅうり!
ど、どうしたのですか貴方!?兄上のいやらしいのがうつったのですか!?」
「あぁ柔らかいです!さらさらしてます琳姫様ぁぁっ!」
「知りませんそんな事ッ!やめなさいきゅうり――――ッ!!」
「――ハッ!!」
琳姫の大声で我に返った球里。呆然と上を見上げれば……
「!!」
「きゃっ……!」
視線は自然と琳姫のスカートの中に注がれ、琳姫が慌ててスカートを押さえる。
そして球里は一気に琳姫から飛び退いて青ざめた。
ショックを受けた様子でガタガタと震えだして、立ち上がる。
「も、申し、訳、……うわぁああああああっ!!」
「球里!!」
立佳の叫び声にも、球里は振り返らなかった。


球里は無我夢中で自室に帰って来る。
そして部屋の隅で膝を抱えてうずくまって、ガタガタと震える。
(わ、私はもうお終いだ……!恐ろしい事をしてしまった!
主の恩を仇で返すようなマネを……!どうしてこんな事に……!)
今までの事を思いかえせば恥ずかしさのあまり涙が止まらない。
しかもこんな時なのに、また体が熱くなってくる。
それが死ぬほど情けなくて悔しかった。
(こんな、時期外れに、どうして……!くそっ!薬も全然効かないし!!)
球里は机に置いた薬の袋を睨みつける。全く意味のない事だったけれど。
だから、頭の中はまた罪悪感と後悔でいっぱいになってしまう。
それはどんどん暗い方へ……そして根本へと掘り進む。
(あぁ、こんな事なら山を降りてこなければよかった……!
私の様な、耳付きの、獣精霊の分際で……山の中で里様と慎ましやかに暮らすのが
分相応というものだったのに!主上様や立佳様にはもっとふさわしい従者がいるはず!
もう……この城では暮らしていけない!!)
そう、ネガティブ思考を飛躍させて球里はさらにネガティブの深淵へと……
(しかし、城を出る前に犯した罪の落とし前はどうつければ!?
や、やはりこの耳と尻尾を引き千切るくらいの誠意を見せた方が……!?)
そう思って、力任せに尻尾を引っ張ってみる。
「……っ!!」
ゾワっと全身に快感がいきわたって、一瞬にして力が抜ける。
思わず手を離して、尻尾がふわっと揺れると……ものすごい無力感に苛まれた。
「はぁっ、ふっ……うぇっ、ぐすっ……!!」
ますます涙が止まらなくなって、球里は顔を膝にうずめて泣いた。
「うっ、ぁぁっ……うぁぁ……ぁぁぁっ!!」
引きつれたような小さな声しか出なかった。
けれど涙だけはとめどなく流れるのだ。
そうやって泣いていると、部屋の中に一筋の光が差す。

「球里?大丈夫か?」
「!!?」
光と声に顔を上げるとさらに神々しい姿が見える。
立佳の父、天の国の王の境佳だった。
球里は恐ろしさに身を震わせて声さえもまともに出せない。
「う……あ……来ない……でくだ……」
「そんな悲しい事を言うな」
境佳は球里にどんどん近付いて来て寄り添う様に腰を落とす。
その表情は穏やかだったけれど、球里は大混乱で震えあがって全力で謝った。
「もっ、申し訳ありません!申し訳ありません!!私、私は……私……!!」
「安心しろ。大丈夫だから」
「む、無理だったんです……!そもそも、私などがこの城にいる事が間違いなんだ!
遊磨のように高貴な血筋もない、獣同然の、ただの山暮しの耳付きが!!」
「球里……!!」
一瞬だけ怒った様に語気を強めた境佳が、球里の肩に手を置いて悲しそうに言う。
「落ち着け。そんな事を言うものじゃない」
「だ、だって……本当の事じゃないですか!
こんな、衝動一つもまともにコントロールできない!私は獣だ!
ここにいてはいけないんだ!お願いです!今すぐここから追い出して下さい!」
「……お前は自分を貶めるつもりで、同じ“耳付き”の仲間達も貶めてるぞ?
遊磨にも失礼だ。私はあの子を血筋で選んでここに置いてるわけじゃない。
今までの言葉、全部撤回しなさい。そうでないと私もいい加減怒る」
優しく諭すようなその言葉を、球里が首を横に振って泣きながら否定する。
「嫌だ!!嫌だ!どうせ主上様はお分かりにならない!私みたいな耳付きごときの気持ちなんてぇぇッ!」
錯乱気味の球里に小さくため息をついて、
境佳は話題を変えた。もっと言えば、本題に入った。
「長里から連絡があった。今、何故だか分からないけれど、
耳付きの精霊達が次々と発情期の状態になっているらしい。
自分の異変に気付いた者達がどんどん山に戻って来て、
薬が効かないと訴えていると……どうやら、単なる時期外れの発情じゃないみたいだな。
耳付き達も他の山の精霊達も混乱しているみたいだ」
境佳の言葉に、球里はハッとして俯く。
また自分の不甲斐なさを発見してしまった。
(皆、すぐに山に戻って……!私はそんな事にすら気を回せずに!!)
「……また自分を責めているか?こっちを向きなさい」
境佳が俯く球里の顔をぐっと上げさせて、目を合わせながら話を続けた。
「山の医師らが、即席でとりあえず発情を抑える薬を作ってくれたんだ。
今、大急ぎで山の内外に配って回ってるらしい。
これで3日は持つと……逆に言えば3日しか持たないんだが……。
詳しい原因を調べて、本当の薬ができるのはいつになるか分からないとの事だ。
とにかく、これを飲んでみろ」
手渡されたのは可愛らしい小瓶に入った綺麗な赤い水薬。
飲んでみると、苺風味のきつい甘みが口の中に広がる。
後に残る苦味も無くて飲みやすい薬だ。しかも……
「……すごい!!一瞬で全部無くなった!!」
球里が思わずはしゃぐほどの即効の完璧な効き目。
「効いたか、良かった」
境佳がホッとしたように笑うと、球里は慌てて赤くなっていた。
「あっ……!お見苦しいところを……!」
「気にするな。それよりも……私の大切な球里を散々貶めてくれた無礼者を
たくさんお仕置きしなくては」
「え……」
ただ、声を発したその一秒で球里はあっさりと境佳の膝に引き倒されてしまう。
遅れて状況を把握した時には、慌てて叫んでいた。
「主上様!!床に!床に座っていらっしゃる!!」
「……今更どうした?少しくらい平気だ。お前の部屋はいつも綺麗に掃除をしているだろう?」
「わ、私は何て事を……!!主上様を床に座らせるなど……!!」
変なところで慌てている球里に、笑ってしまう境佳。
ついつい球里に合わせて返事をしてしまう。
「ベッドに座ればいいか?」
「いっ、いえ!!それは待っていただいて……(確か昨日はシーツを洗っていない!!
い、椅子を……今すぐ綺麗で質の良い椅子をこの部屋に用意しなくては!!)」
あれこれ考えていた球里に、ふと尻尾を優しく掴まれる感触がする。
「触っても平気か?」
「はっ、はい!!」
球里は顔を赤くした。
さっきまでの自分の身体状況を考えての質問だろうけれど
今はもう、尻尾を触られようが押さえつけられようが平気なのだけれど、
改めて聞かれると恥ずかしくなってしまう。
それに、答えた事によってお仕置きの準備が進んでしまう。
着ていたものがどんどんズリ下ろされて、今やお尻が丸出しだ。
この時点で少々怖くなっている球里なのだが、
彼の頭の中にはまだ大事な事が一つ……。
(い、椅子が……椅子がまだ……椅子を、誰か、椅子……!!
いや、椅子……椅子は、もういいのか?)
そろそろ考え過ぎて“椅子”がゲシュタルト崩壊寸前だった時、
ちょうどお仕置きが始まったようだ。

パァンッ!
「ひっ!?」
痛みで椅子の事は完全に頭から抜け落ちる。
2度、3度と痛みを重ねられると“痛い”という事意外何も考えられなくなる。
パンッ!パンッ!パンッ!
「うっ、あっ!!」
「長里がお前の事をとても心配していた」
(里様……!)
球里の脳裏に、故郷の実家に置いてきた狐耳のお爺ちゃん精霊の姿が浮かぶ。
物心ついた頃からずっと暮らしてきた、球里の育ての親だ。
その“里様”の姿も、痛みですぐに頭から消える。
次に入ってくるのは境佳の声だ。
「こんな事になって、山に戻らなかった者達も
すぐに主に自分の不調を訴えて不安がっていたらしい。
閻廷なんかは電話で半泣きになりながら私に対処法を聞いてきた。
アイツのところにも耳付きが一人いたらしくてな。……お前は、何故すぐに私に言わなかった?」
「うぅっ!あぅ、申し、訳……!!」
「謝るな。怒っているわけじゃない。ただ、少し悲しい……」
「主上様……ひっ!!」
パンッ!パンッ!パンッ!
こんなにも、力強く自分のお尻を叩いているのに……
境佳の声は本当に悲しそうで球里は胸が締め付けられる。
「申し、んっ、訳、ありません!私は、あぁっ、貴方を傷つけるつもりは、無くて……!」
「分かっている。けれど球里……お前にとって私は信用ならない主か?」
「そ、そんな事!!……そのような事がある訳が……んっ!!」
思わず痛みで声が詰まった。
黙っている、その間も叩かれるので余計に痛みが増してくる。
パンッ!パンッ!パンッ!
「私はお前を不当に評価しているか?満足のいく様な扱いをしていないのだろうか?」
「ち、違います!!主上様は、私に、っ……とても良くして下さいます!!」
途切れ途切れになりながらも、痛みと戦いながらも球里は叫ぶ。
全部本心だ。彼は心の底から境佳に感謝して尊敬している。
けれども境佳はますます……
「あぁ済まない球里!私はなんて愚かな主だろう!
ずっと一緒にいたのにお前の信用を勝ち取れないとは……きっと私は
お前の望みなど何一つ叶えられていないのだろう!不幸にしてしまったのだろうな!主失格だ!
もうお前は私などに仕えるべきではない!もっと素晴らしい主の下で働いてもらわないと申し訳ない!!」
「あぁ主上様!!主上様ぁっ……!どうか、そのような事をおっしゃらないで下さい!!」
境佳の言葉を聞いていると、球里はすっかり悲しくなって、ボロボロ泣きながら必死に叫ぶ。
「わ、私は貴方を尊敬しています!貴方は素晴らしい主君だ!
貴方にお仕えしていて今まで、不幸であった事なんて無い!ずっと幸せでした!
望みはすべて、叶えていただきました!私、私は……
貴方以外にお仕えするなど考えられなうわぁあああああん!!」
パンッ!パンッ!パンッ!
言い終わらないうちに球里は大泣きしていた。
「球里、どうして泣くんだ?尻が痛いか?」
境佳にそう問われて球里は首を横に振る。
叩かれ続けた彼のお尻はもう真っ赤だ。けれど、理由はそれではなかった。
「ちがっ……痛い!痛いです!けど、だって……
主上様がご自分の事をそんな風におっしゃるので悲しくなってしまってぇぇぇッ!!
うわぁああああん!!私は主上様をお慕いしているのに、ご自分で悪く言わないでぇぇぇぇ!!」
「そうか。ありがとう……」
「んぁぁあぁあああっ!!」
ピシッ!
リミッター外れ気味にオイオイと泣く球里に、
少しだけ手をゆるめながら、境佳は優しく言う。
「お前は私の為に泣いてくれたけれど……私はどちらかというと怒るタイプだ」
「うっ、ぐすっ……?」
「お前の事をとても大切に思っているのに、お前が自分の事を
“獣”だの“耳付きごとき”だの“この城にふさわしくない”だの言うから、私は悲しくて堪らない……」
「ひっく……あ……」
「覚悟はいいな?」
「まっ……!!」
今頃焦った。遅かった。
ビシィッ!バシィッ!バシッ!バシィッ!バチィンッ!
「うわぁあああっ!?うわぁあああん!!」
絶叫してしまうほどの痛みだった。
十分赤くなっているお尻に、威力の増した平手打ちをされたので一たまりも無い。
球里にとって、我を忘れて泣き叫んで暴れるほどに痛かった。
「痛いっ!痛い痛い!!ご、ごめんなさい!ごめんなさぁぁぁい!」
バシィッ!ビシィッ!バシッ!バシィッ!バチィンッ!
「あぁあっ!もう、言いませ痛いぃっ!ご、ごめんなさいぃあぁああああっ!!」
バチィンッ!ビシィッ!バシッ!バシィッ!バシィッ!
「やっ、嫌だ痛い!!うわぁあああん!ごめんなさい!」
ビシィッ!バシィッ!バシッ!バシィッ!バチィンッ!
「やぁあああっ!もうヤダぁ!!うわぁああああんごめんなさぁあああい!!」
ハッキリ言って嵐の様な連打だ。
何を言っても叫んでも、痛みだけが轟々とお尻を襲ってくる嵐。
涙も豪雨並みに流れるし、お尻はさらに真っ赤になる。
冷静な判断力は吹き飛ばされて、ただ泣き惑って過ぎ去るのを待つしかない。
けれどなかなか去ってくれない。
バシィッ!バシッ!バシィッ!ビシィッ!バチィンッ!
「ぃぃったい!うわぁあああん!ごめんなさい!ごめんなさいぃぃ!痛いぃぃ!!」
バシィッ!ビシィッ!バシッ!バシィッ!バチィンッ!
「あぁあああっ!助けてぇぇっ!もう助けて!やだぁぁぁあああっ!」
だんだん叫ぶのも苦しくなって、暴れる体力も無くなって、
叩かれるたびに体がこわばるので息が切れるし……
耳と尻尾は一足お先に気絶してしまった……かのようにぐったりしている。特に耳が重い。
お尻が痛い様な熱い様な、そんな感覚になってきて
次に尽きるのは言葉を紡ぐ気力だ。“ごめんなさい”すら言えずにただ泣き叫ぶ。
「うわぁあああっ……うぇぇぇっ!あぁああああん!」
「……反省したか?」
やっとそう聞かれたけれど……
バシィッ!ビシィッ!バシッ!バシィッ!バチィンッ!
「は、ぁっ……あぁああああん!!」
激しく叩かれていて、答えが言えない。
するとまた叩かれる。
「ほら、したか?」
ビシッ!!
「いだっ、しま、しましたぁぁぁっ!」
今度は言えた。
すると、今まで散々苦しめられてきた痛みがいとも簡単に止まるのだった。
「球里……」
「うぇっ、ぐすっ、ふっ、ぅっ……!!」
優しい声に呼ばれて抱き起こされて、球里は痛くも無いのにまた涙が溢れてくる。
抱きしめられると余計に感極まって声を殺すのが一苦労だ。
境佳は球里の背中を優しく撫でながら言う。
「お前は獣なんかじゃない。真面目で、優しい子だ。
お前以上に私にも立佳にも、この城にもふさわしい従者は
いないと思っているし、お前を誇りに思っている。
耳付き達は皆が助け合いながらゆったりと自然と共存できて、
私達に無い技術や知恵を持つ素晴らしい種族じゃないか。
もっと自分に自信を持ちなさい」
「あ、ありがとうございます……!ありがとうございますぅぅっ!
今日は、ぐすっ、本当に色々、申し訳ありませんでした……!」
『自分に自信を持て』と、立佳にも同じ事を言われた気がする。
球里は泣きながら何度も頭を下げ、境佳に縋りつく。
頭を擦りつけるみたいになっていたけれど境佳の方は気にしなかった。
「気にするな。実は今のお仕置きは……遊磨と玲姫と琳姫にイタズラをした分も含まれるから、
そこも気にするなよ?彼女らも事情を理解してくれたから、許してもらえると思うぞ」
「うぅっ……謝っておきます……」
境佳は恥ずかしそうに呻く球里の頭を撫でた。
「薬は不完全なものだし、お前は一度山に戻るといい。
長里に顔を見せた方がいいだろう。それでいいか?」
「は、はい……私も実家にいた方が不安が無いと思います……」
「よし。原因は……我々が絶対に見つけてやる。
きっとすぐに本当の薬ができる。そうしたら、戻っておいで」
そう言って笑った境佳に、球里も心から頷いた。
心からの感謝を込めて。




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【作品番号】HS7
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