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廟堂院家の双子の話9



町で噂の大富豪、廟堂院家。
千早が父親からお仕置きされた日、無理やり弟と引き離された千歳は
自分を抱えていた上倉を罵倒しつくして振り切って、
母親の部屋で、母親に縋りついて泣いていた。

「お母様!お父様が……お父様が僕と千早ちゃんのお尻叩くんだ!
ねぇ酷いでしょ!?あんまりでしょ!?僕……ぼくっ……うわぁあああん!」
「あらあら千歳ちゃん、可哀想に……」
「うわぁぁああん!お母様ぁぁぁ!千早ちゃんを助けてよぉぉ!」
絵恋に縋りつきながら千歳は懇願する。
息子の必死な様子を見ても、何でも無い風な笑顔を浮かべて絵恋は言う。
「そうね、でも……千賀流さんがそうしてるなら坊や達が悪いんじゃない?」
「え……?」
「だって、千賀流さんのする事に間違った事なんて一つもないんだもの」
絵恋の明るい声に千歳は絶句する。
今までの激しい感情が、スッと冷えていくのを感じた。
恐る恐る、震える声で母親に尋ねた。
「……お母様……僕達の事愛してる?」
「もちろんよ!千賀流さんの次にね!」
その瞬間、千歳の感情が凍った。さっきまでの怒りも悲しみもない。
おかげで涙も止まって、冷めた表情になれた。
「ねぇねぇ、千歳ちゃんの方はどうなの!?私の事、愛してる!?」
無邪気な絵恋の声。
千歳は冷たい笑顔で母親にこう言った。
「もちろん。千早ちゃんの次にね」
「!!……何か面白くないわ……」
「ふふっ、自分はお父様が一番って言ったくせに……」
「当たり前じゃない!」
「そうだね。“当たり前”だ。じゃあ僕、部屋に戻るから」
千歳はさっさと母親から離れて部屋を出る。
廊下に出て扉を閉めた瞬間、何とも言えない虚しい気持ちになる。
何を期待したんだろう、“あの母親”に……
弟を助けてもらえるとでも思ったんだろうか?手放しで味方をしてもらえるとでも思ったんだろうか?
常に父親しか頭にない、父親に心酔し切ってるあの母親に。
自分達の事は、夫との愛を証明するアクセサリーくらいにしか思っていない母親に。
(僕……バッカみたい……)
自嘲気味に心の中で呟いた瞬間、頭が痛くなった。急に体が重くなる。
千歳は少しふらつきながら自室に戻った。



それから数日間、千歳はずっとベッドにいる。
ネグリジェを着て、ベッドの中で一日中本を読んだり窓から見える空を眺めたりしていた。
最初は少し体調が悪かったのもあったが、それも今ではすっかり回復している。
何もする気が起きないというのが大きな理由だった。
大好きな弟の顔も見ていない。
顔を合わせると言えば、自分の身の回りを世話してくれる上倉だけだった。
もっとも、千歳は上倉に対しても邪険にしてすぐ追い出しているのだけれど。
今日も食事を下げにきた上倉が心配そうに言う。
「千歳様……ここ数日、あまり召しあがってらっしゃらないようですが……」
「食欲が無いから」
「まだお加減が優れませんか?もう一度先生に診てもらいましょうか?」
上倉の言葉を、千歳は本から視線を動かさないまま聞き流す。
無駄だ、と心の中で呟いた。だって今は体調が悪いわけではないから。
少しの沈黙の後に、上倉が傍まで寄って来てわざとらしく明るい声を出す。
「今日は何の本を読んでいらっしゃるのですか?良かったら、上倉が朗読いたしましょう!」
「やめてよ。耳が腐る」
「あぁ……そんな……」
残念そうな、少し嬉しそうな声がした。
千歳はそんな上倉にイライラしながら言う。
「悪いけど、これ以上お前の相手をしてやるつもりはないから。さっさと行って。
罵って欲しいなら千早ちゃんの所へ行けば?死ぬほど罵倒してくれるよ」
「しかし……」
「別に、僕の傍に張り付いてなくてもお給料は出るでしょ?」
「やめてください。そんな言い方……」
先ほどとは違い、悲しそうな声だ。
けれど千歳は余計イライラした。そんなところへ、また上倉の言葉が聞こえる。
「私は、貴方が心配なんです……」
「じゃあどうして裏切ったの!?」
気付けば千歳は、声を荒げて本をベッドに叩きつけていた。
宥めようと体に触れる上倉の手を振り払う。
「知ってるんだから!千早ちゃんの事、お父様に告げ口したのはお前でしょ!?
お前がそんな事しなきゃ、僕も千早ちゃんもお尻なんて叩かれなかったし
僕がこうして部屋に閉じこもる事も無かったよ!」
「小二郎が泣いてたんです」
間髪いれず帰ってきた言葉に、千歳は目を丸くする。
「小二郎が泣いてたんですよ」
そう言って上倉がにっこりと笑う。
べらべら喋られるよりよっぽど納得できた。
そうだ、この男はこういう男だった。
コイツが一番忠誠を誓っているのは、自分でも父親でもこの屋敷でもなく、あの弟だ。
最も従順な犬のふりをして、主人の事なんか実は何とも思っていない。
あの弟の害になると判断すれば平気で裏切って叩き潰す。自分だけじゃない。きっと自分の父親さえも。
そう思うと、悔しくて涙が出た。
「腐っても……兄ってわけ……」
「それに、千歳様……私は千歳様や千早様の事も同じくらい大切に思っていて……
千早様にこれ以上、あんな酷い事を繰り返して欲しくなかったんですよ」
「出て行って!!お前の顔なんか二度と見たくない!」
「ご命令に背く事をお許しください。言ったでしょう?貴方が心配なんです。
やっぱり千歳様、旦那様にお尻を叩かれた事がショックだったんですね」
頭に血が上った千歳は、上倉の横っ面を思いっきり引っ叩いていた。
パァンと甲高い音が響いて、上倉の頬が赤くなる。
それでも上倉は出て行かなかった。悲しそうな笑顔を千歳に向けるだけだ。
「これは何のご褒美ですか?こんな事をされてしまったら、ますますお傍にいたくなる」
「もう出て行ってよぉぉぉぉっ!!」
千歳はその場で泣き崩れた。
触れてこようとする上倉の手は何度も振り払い、何を言われても「黙れ」「出ていけ」を言い返し続けて、
最後はベッドにうずくまって泣き続けて……
そのまま泣き疲れて眠ってしまったらしい。


千歳が次に目を覚ました時は、部屋に自分以外はいなかった。
自分がどのくらい眠っていたのか分からないけれど、窓のカーテンが閉じているので
日が沈んだのかもしれないと思った。
何気なく上体を起こしてみると、同時に扉をノックする音が聞こえた。
「千歳?入るよ?」
聞こえた声に、千歳は身を固くする。
部屋に入ってきたのは父親の千賀流だった。

「……まだ具合が良くないのかい?ご飯もあまり食べてないようだけど……」
すぐ傍まで近づいてきた千賀流が、声も表情も心配そうに言う。
「食欲が無くても、しっかり食べないと余計に弱ってしまうよ?」
優しく千歳に触れようとする千賀流。
しかし、その手を乱暴に薙いだ千歳は笑顔で言う。
「気安く触らないでくれる?このサディストペドジジイ」
その場の空気が間違いなく凍った。
しかしそれをものともせず、千歳はニコニコしながら続ける。
「僕にもっとご飯を食べてほしいって?ああ、そう。
じゃ、またお尻叩いて無理に言う事聞かせればいいんじゃないかなぁ?」
「千歳……私は君を力で思い通りにするためにお尻を叩いたんじゃないよ」
千賀流の悲しそうな表情に、千歳も一瞬泣きそうな顔になった。
けれども、また無理やり笑顔を作る。
「へぇ、じゃあそういう趣味なの?最低の変態だね。
そういう特殊嗜好はお母様で試してくれる?それとも、抵抗しない相手じゃ興奮しないクズ?」
「愛する息子にいい子になってほしいから、叩きたくは無かったけど心を鬼にしてお尻を叩いた……
そういう親心は、まだ小さい千歳には理解できないかな?」
少し語気を強めた千賀流にそう言われて、千歳は悔しげな顔をした。
売り言葉に買い言葉な親子喧嘩。先に冷静さを失っていくのは千歳だった。
「親心だなんて……普段無関心なくせに、都合のいい時だけ父親面しないで!
その“愛してる”ってのもイライラする!お母様にだけ言ってればいいのに!
そんな風に言えば僕らが懐いてくると思ってる!?バカにしないでよ!!僕がどんな思いで……!!」
「千歳……」
トン、と優しい音。一瞬の出来事だった。
千賀流が千歳を力いっぱい抱きしめたのだ。
驚いた顔の千歳に、千賀流はゆっくりと語りかけた。
「いいよ。君の気持ち、全部聞かせて?
君は賢い子だから自分達が悪かったってちゃんと分かってるはずだ。
それでも気持ちが収まらないんだよね?」
「な……!」
「寂しい思いばかりさせてごめんね。お父様だって、好きで家にいないわけじゃないよ?
お母様もあんな人だから、ついつい構ってしまうけど……
何と言われても私は君と千早の父親だし、君達を愛してるんだ」
「……騙されるもんか……そんな安い言葉に……」
千歳は思いっきり千賀流の体を突き離す。
そして挑発的に言った。
「そんなに言うなら僕の足、舐めてよ。僕を愛してるならできるでしょう?
ああ、それとも裸に首輪付けて家の中一周してもらうのがいいかな?」
驚いた顔をする千賀流に、千歳は何のためらいもなくスラスラ続けた。
挑むような余裕の態度を崩さないまま。
「どうしたの?できないの?上倉は全部やってくれたよ?
お父様の言う“愛してる”ってその程度?上倉以下なんて話にならないよ。
アイツは僕の事、何とも思ってないんだから」
「……分かった。それで信じてもらえるなら、そうするよ」
意外な父親の言葉に千歳は驚いた。
けれども同時に勝利を確信してしまった。
このバカな父親は、自分に懐いて欲しい一心でこの理不尽な要求を飲むつもりだと。
もともと自分達を放置する割に甘い顔をする父親だったじゃないか、と。
(この前は虚勢を張って精いっぱい“父親らしい事”をしてみただけだったんだ……。
何で僕はこんな男を警戒してたんだろう……)
父親に足を舐めさせたり無様な姿を晒させたりする所を想像して、千歳はうっすら笑みを浮かべる。
そんな千歳に千賀流が言う。
「他に大一郎は何をしてくれたの?君の言う事を全部聞くから」
「後はね……床を舌で掃除してくれたり、気の済むまで僕に叩かせてくれたり……」
もっと、もっと……もっと屈辱的に貶める事……!お尻を叩かれた事なんて帳消しになるほどの復讐……!
上倉にやらせた事……いや、この際上倉にやらせた事ない様な事でもいい!
千歳は必死で残酷な仕打ちを考えるのだけれど、こんな時に限ってなかなか思い浮かばない。
なので、一旦考えるのをやめて興奮気味に言った。
「本当はっ……もっともっといっぱいあるんだけど……それは後でいいや!
とりあえず今言った事……ねぇ、どれからやってくれるの?」
「そうだね……それじゃぁ……」
千賀流がすっと千歳にかかっている布団を外す。
この流れだと足を舐めてくれるのかな……?などと、のんきに考えていた千歳は
そのまま抱き上げられて、ベッドに腰掛けた千賀流の膝の上にうつ伏せにされた。
(え……?)
思いもよらない状況に、頭が追いつかない。
下着を下ろされた瞬間にわけも分からず叫ぶしか無かった。
「ちょっと!!何するの!?僕の言った事やってくれるって……」
「生憎、私が君の為にしてあげられる事はこれしかないんだ」
ピシャンッ!
「!?」
痛みでやっと状況が……“自分がまたお尻を叩かれている”という事が分かった。
「あ……ぁっ……!!」
何か言おうにも、あまりにも予想外で上手く言葉が浮かばず、声が出ない。
その間にもどんどん叩かれてしまう。
パンッ!パンッ!パンッ!
「い、嫌っ……痛い!!」
真っ先に言えた言葉がそれで、千歳は悔しくなる。
心の中では(どうして!?さっきまでお父様が僕の言いなりになる、流れが……!)と
叫んでいるのだが、その問いに答えてくれる人は誰もいない。
代わりに聞こえたのは千賀流の冷静な声だった。
「驚いた……君まで千早と同じような事をしていたなんて……。
今日君と話してみて良かったよ。見過ごすところだった。大一郎は何で黙ってたんだろう?」
「ひゃっ……いやぁぁっ!」
「ずいぶん色々大一郎に酷い事をしてたみたいだね。
そんな事をさせる為に彼を君の世話係にしたわけじゃないよ?」
「くっ……うぅっ!!」
パンッ!パンッ!パンッ!
お尻を痛めつけられながら、千歳はだんだんと思い違いに気づいていく。
『……分かった。それで信じてもらえるなら、そうするよ。
他に大一郎は何をしてくれたの?君の言う事を全部聞くから』
あの言葉……最初から罠だった。
自分が上倉にした仕打ちを喋らせるための。
それが分かった途端に、千歳は悔しくて堪らなくなった。
「嘘つき!!最低!僕の言う事聞くって言ったくせに!!」
お尻は痛いわ悔しいわで涙声になった。それがまた千歳の新たな悔しさを誘う。
イライラが募って叫び続けた。
「そんな、嘘つきの、“愛してる”なんて信じられるわけないじゃない!!
そう言って僕らが喜ぶのを見て心の中で笑ってたんでしょう!?最っっ低!外道!信じられない!」
「……そうか、私が“愛してる”って言ったのを、喜んでくれてたんだね?良かった……」
「はぁっ!?」
千歳は赤面した。
もう口の中には戻せない言葉を必死で覆い隠す様に、首を横に振って叫ぶ。
「違う!違う違う!!僕らはそんな言葉に騙されたりしない!喜んでない!調子に乗らないで!!」
「騙してなんかないよ。私が“愛してる”っていうのは本当の事だからね。君達は信じてないみたいだけど。
ああ、信じてないふりをしてるのかな?」
「黙れクソジジイ!!」
「……千歳?」
パシィンッ!!
「あぁあああっ!」
強めに叩かれて、千歳は大きな悲鳴を上げる。
小さなお尻が跳ねた後は、そのままの力加減で叩かれ始めた。
「前から言おうと思ってたんだけど、君達たまに口が悪くなるね?
親に向かって“クソジジイ”なんて言うもんじゃないよ?
今まで何も言わなかったのがいけなかったのかな……」
バシッ!バシッ!バシッ!
「いやぁぁっ!!痛い!痛い――――っ!」
「君は……君達は時々、自分が小さな子供だって事を忘れてるみたいだ。
大人を見下して、自分の思い通りになると思っている。この私でさえも。
だから、執事達をいじめたりできるし、大人に向かってそんな口もきける。
私が何も言わないと思って……」
「あぁあんっ!お父様ぁっ!」
強く叩かれ始めてからというもの、千歳はまともに反論できなくなっていた。
叩かれ続けるお尻がどんどん真っ赤になっていく。
「やめて!やめてってば!離してぇぇっ!」
「まだダメだよ。これからは言葉使いも含めて、君達に厳しくしていこうかなと思うんだ。
そんな態度じゃ許すわけにはいかないね」
バシッ!バシッ!バシッ!
「いっ、やぁああああっ!痛いぃ!痛いよぉ!」
「ただ、言葉使いの件は君より千早の方が酷いから……あの子も根気よく躾ないと……」
「千早ちゃんにっ……また何かしたら許さないから!!」
「どう許さないんだい?」
ビシィッ!
「うあぁぁぁっ!!いや!もういやぁぁああっ!」
また強く叩かれて千歳は暴れるけれど、何の意味も無かった。
変わらない痛みが続くだけ。けれどもずっとお尻を叩かれ続けている千歳にとっては我慢の限界だった。
「いいかい?君や千早はまだ子供なんだ。子供の領分をわきまえないといけない……
ああ、ええと……子供らしく、大人をバカにしたらいけないって事。
千早にも言ったけど、執事達は君達の玩具じゃないんだから。
彼らは私達の生活を色々支えてくれてるんだよ?感謝の心を持たないと。
暴力を振るったり酷い事をするなんてなんてもっての外だ。分かったね?」
「うっ、うぅぅっ……!!」
千賀流の言葉を肯定も否定もできずに、千歳は呻く。
肯定すれば父親に屈する気がするし、否定すればもっと酷く叩かれるだろう。
「ごめんなさいは?」
「……くっ、ぅ」
「どうしたの?千早はちゃんと言えたよ?」
(可哀想な千早ちゃん……!!)
千早がこんな風に叩かれて泣いていたかと思うと、弱っていた心はまた奮い立った。
父親への反抗心も一緒に。千歳は謝らなかった。
「結局っ……そうやって僕に謝らせれば満足!?
こんな事して父親ぶった気になってるんでしょう?!バカみたい!!」
「……はぁ。どうして伝わらないんだろう……?
あのね千歳、君は悪い事したからお尻を叩かれてるんだよ?」
バシッ!バシッ!バシッ!
「んぁあああっ!!」
「何を意地になって怒ってるの?君は本当はもっと素直な子なのに。
いくら泣いても、君がきちんと反省して謝るまで終わらないよ?」
「泣いてない!!」
その言葉はほとんど嘘に近かった。
このまま叩かれ続ければ5分も持たずに大泣きする事になるのは自分が一番良く分かっている。
けれど、千歳はまだ謝る気にはなれなかった。
躊躇している間にもお尻はまだまだ痛くなって……
バシッ!バシッ!バシッ!
「やだぁぁっ!痛い痛い離せってばぁぁっ!!助けて……!」
助けて、と、誰かの名を呼ぼうとして声が続かなくなった。
(助けてって誰に?上倉?ダメ、あいつはもう信用できない!!
お母様?あの女もダメ、論外だよ!千早ちゃん?ダメだ……僕があの子に縋れない……!!
どうしよう……誰も、いない……!!)
そう結論付けた瞬間、泣くまいと保っていたものが全部崩れた。
「うわぁぁぁぁん!!もうやだぁぁぁぁっ!!」
一旦泣きだせば後は幼い理性もプライドも残らない。
本当にただの子供の様に喚き続けるだけだった。
「痛いよぉ!!やだぁっ!もうやめてぇぇぇっ!」
「千歳、ごめんなさいは?」
「うわぁぁぁぁんっ!!(もうダメだ……負けるしかないんだ……僕一人じゃ、勝てない……!)」
謝りたくなんかないのは山々だったけれど、本当に我慢の限界だった。
千歳は必死で湧き上がってくる反抗心を押さえつけて叫ぶ。
「う、ぁぁっ、ごめんなさい!お父様ごめんなさぁぁい!!」
「ちゃんと謝れたじゃないか。いい子だ」
千賀流にそう言われて、あっさりとお仕置きが終わって……。
自分を抱き起こした千賀流がそのまま抱きしめようとしたけれど
「触るな悪魔!!」
また差し伸べられる手を跳ねのけていた。
息を切らせながら精いっぱい千賀流を睨みつける。
「僕の事、騙して痛めつけて……さぞ良い気分だろうね……」
「違うよ千歳。一体どうしたの?何をそんなに怯えてるの?」
『怯えてる』の言葉に反論したかった。
けれどお尻を打たれて体も精神も衰弱している千歳には、冷静に言葉を選ぶ余裕は無い。
言い返したくて叫ぶ言葉は、本音に限りなく近かった。
「お母様が言ってたよ!?僕らよりお父様の方を愛してるって!
どうせお父様だってそうなんでしょう!?別にいいよ!!僕には千早ちゃんがいるし!!
なのに……っ!!」
千歳の目に涙が溢れて、次々と流れ落ちていく。
その顔を俯けて目をこすりながら、千歳は独り言のように言う。
「千早ちゃんに、お仕置きされてるところ見られちゃった……ひっく、
あの子は僕の事……神様みたいに思ってるのに!!
あんな、あんな恥ずかしい姿……ふ、ぇ、どう思われたか……っ、
見損なわれてたら……どうしよう……!」
「そっか……千早は、そんな事で君を見損なったりしないよ。本当に千歳の事が大好きなんだから」
「分かったような事言わないで!!千早ちゃんの事を、一番よく分かってるのは僕!!」
「そうだね。ごめんごめん」
千賀流は、泣いている千歳をそっと抱きしめる。
「お母様を許してあげて。あの子は、色んな事が少し分かってないんだ。
君達が生まれる前に……お母様が子供の時に亡くなった絵玲奈おばあ様の話をした事があるだろう?
お母様のお母様はずっと口が聞けなくて、お母様は一言も言葉をかけてもらった事が無いんだよ。
だからきっと、“母親として”君達に何を言えばいいか分からないんだね。
でもそれは、君達の事を私より軽く見てるって事じゃない」
千賀流に抱きしめられている温かさと、その優しい声。
心がだんだん安らいで、言葉を無意識に受け入れていくのを、千歳は止める事が出来なかった。
「愛してるよ千歳。もちろん、千早もね。そろそろ信じてくれてもいいんじゃないかな?」
「……お母様よりも……?」
「あははは!意地悪な事を言うね。比べられるわけ無いじゃないか。
お母様も君達も同じくらい愛してる。どっちも愛し過ぎて怖いくらいだ。
きっとお母様も、とっさに言ってしまっただけで、同じ気持ちだから安心して。
もっと私にもお母様にも甘えていいんだよ」
「っ……」
やっと自分から千賀流に体を預けた千歳。そして、乱暴に叩きつけるように言う。
「仕方ないから、信じるけど、だから……ちゃんとこれから、態度で示してよね!
また僕らを放ってばっかりだったら許さないんだから!」
「分かった。頑張るよ。これで君と仲直りできたかな?」
「そういう事にしといてあげる!」
「ありがとう。君も、もう大一郎に酷い事をしてはいけないよ?」
「……分かった」
そこだけは、少し不服そうな音色で言った千歳にクスリと笑って
千賀流は千歳の頭を撫でた。
「新しい髪型、良く似合ってるね」
「そ、そうかな……千早ちゃんの方が似合ってると思うけど……
おっ、お父様のセンスって当てにならないしっ!!」
千歳が赤くなりながら千賀流の服をいじっていると、ノックの音が聞こえた。
「千歳様……よろしいでしょうか?」
聞こえた上倉の声に、バッと驚いた様子でドアを振り仰いで……
同時に慌てて千賀流から体を離し、ベッドに腰掛けて優雅な声で答える。
「いいよ。入って」
その完璧な態度の変わり様に、吹き出しそうになった千賀流。
千歳に睨まれたので必死でこらえていると上倉が入ってきた。
「失礼します。あぁ、旦那様……こちらにいらしたのですか。四判さんが旦那様をお探ししてましたよ?」
「そうなのかい?どうしたんだろう?行ってこようかな……いいかな千歳?」
「どうぞ。また明日ね、お父様」
「ありがとう。おやすみ」
いつもの隙のない上品な笑みで父親と別れの挨拶を交わした千歳。
千賀流が出て行った後は、同じ人物とは思えないほど冷めた表情で上倉を見た。
「何しに来たの?」
「はい。もう一度千歳様にお詫び申し上げようと……けれど千歳様……もしかしてまた……」
「何?」
睨みつけると、「いいえ、何も……」と笑う上倉から視線を外し、
千歳は髪をいじりながら言う。
「大体、お詫びも何も……僕はお前を許すつもりは無いから」
「それなら、それでも構いません……」
「え?」
「……私が、何の覚悟も無く貴方様を裏切ったとでもお思いですか?」
上倉が胸に手を当てて千歳の前に跪く。
「千歳様からの罰はいくらでも受けるつもりでおりました。
許してもらえなくても当然だと思っています。
いっそ私から、執事長や世話係の地位を剥奪していただいても……
一部の皆さん仰いますが、元より私にふさわしい役職ではありませんし。
ただ、貴方の傷ついた心を癒せるのなら私は……どんな報いも受けたいと、
貴方が望むなら……」
「そう」
上倉の必死の言葉を遮って、千歳は冷たい視線で上倉を見下していた。
「駄豚の割に見上げた心がけだね。その覚悟とかいうのがどれほどものもか、
試してみたい気もするけど……お父様がまたうるさそうだなぁ」
「私は、上の口だけはダイヤモンドより硬いですよ千歳様。どうかお気の済むまで」
「へぇ。そこまで言うなら、そうだね……」
幼い顔に嗜虐的な笑みを浮かべて、千歳は言う。
「久しぶりにとことん虐めてあげるよ。“大一郎”?」
その言葉に、上倉は穏やかに目を閉じて頭を垂れた。




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【作品番号】BS9

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