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「絢音、今までごめんなさい!やっとあなたの事思い出したわ……また昔のように仲良く暮らしましょう!?」 目を潤ませて僕に近付くお母さんが言う。僕は思わず一歩後ずさる。 「う、嘘だ……お母さんはそんな事言わない……!!」 そう、騙されてはいけない。これは夢だ。何百回と見た僕の夢。幸せな悪夢。 だからこの後の展開だって知ってる。お母さんが僕を抱きしめて言うんだ。 「絢音……愛してる。私にはあなたが必要なの……」 「やめて……これ以上、僕を期待させないで!僕を絶望させないで!!」 僕はお母さんを突き飛ばす。お母さんは後ろによろけて俯いた。 その後、ビックリするくらい低い声で言うんだ。 「あら、そう……」 お母さんが口元に笑みを浮かべる。それを見て体中に悪寒が走った。 「じゃあやっぱり、貴方なんか要らないわ」 「……!!」 ゾッとするようなお母さんの笑顔は一瞬で消えた。 僕はようやく目を覚ます事が出来たから。ここは執事寮の僕の部屋だ。 昨日千早様にお仕置きされて……良く覚えてないけど、今日は大事を取って休むように言われた。 見慣れた天井を見て、目を覆う。 (あの夢、最近は見なくなってたのに……千早様にあんな事言われたからかな……) お仕置きされていた時に、千早様に言われた言葉を思い出す。 『お前は最初から、この屋敷に要らなかったんだよ!居なくても皆に忘れ去られて終わりだ!』 胸がズキンと痛んだ。でも、反論できない。 (本当に……そう、だよね。僕はダメな執事だもん……先輩方みたいに、何でも上手くこなせない。 いつも失敗ばかりで……結局、どうあがいても僕は……) 自分で考えていて、涙が出そうになった。心が真っ黒な海に沈んでいくようだ。 そんな時にノックの音が聞こえた。 トントン 「は、はい?」 思わぬ来客に悪い思考がストップした。 入ってきたのは小二郎君だ。 僕の顔を見るなり、泣きながらベッドに駆け寄ってきた。 「鷹森!鷹森ごめん!オレのせいだっ、全部……オレのせいで!!うっ……うわぁあああん!!」 小二郎君がベッドに突っ伏して泣きだす。 僕は慌てて上体を起こして、小二郎君を撫でさする。 「こ、小二郎君!泣かないで!小二郎君のせいじゃないよ!!」 「オレのせいだ!オレが素直に千早様の言う事聞いていれば……!ごめんなさい!ごめんなさい!」 「違うよ。小二郎君のせいじゃない……ねぇ、泣かないで?お、お願い……うっ……」 涙が出てきた。何やってるんだろう僕……小二郎君を慰めなきゃいけないのに! 千早様の言う通りだ……僕は好きな子の笑顔一つ守れない!! ボロボロ涙が出てきた。止まらないよ……本当に情けない。ほら、小二郎君がうろたえてるじゃないか! 「た、鷹森!!ごめん!オレ、もう泣かないから……!!」 「小二郎君、うっ、僕はね……僕は、人に必要とされる人間になりたくて執事になったんだ…… ぐすっ、不器用でどんくさいから、きっとたくさんの人に必要とされる存在になる事は出来ないからっ……」 どうして僕はこんな話を小二郎君にしてるんだろう? でも止まらない。涙も、言葉も。 「せめてたった一人の「ご主人様」に必要とされたくて、忘れられたり見捨てられたりしない人間になりたくて…… でも、もう……そんな執事になれる自信が……執事をっ、続ける自信が……」 我ながら情けなすぎる涙声だ。もうダメだ。小二郎君に呆れられた。 頭の中がぐちゃぐちゃになって目を瞑ると、ボタボタと涙がシーツに落ちた。 「鷹森……」 優しい声。僕の手を、温かい手がぎゅっと包んだ。 僕はハッとして目を開けた。小二郎君の真っ赤に泣きはらした目が僕を見据える。 「執事、辞めるのか……?この屋敷……出ていくのか?」 真剣な眼差しに僕は目を逸らしてしまった。何も答えられない。 僕の沈黙に、小二郎君は悲しそうに俯いてしまう。 「……鷹森がいなくなるなら……オレ、言っちゃおうかな……」 「え?」 「お前と離れ離れになる前に面と向かって……オレの気持ち、言っておかないと……後悔しそうで……」 涙でぬれた小二郎君の頬は赤くなっていた。何を言われるか想像がついて、心が不安に揺らぐ。 「鷹森……オレ、お前の事が……」 「小二郎君!!」 僕は遮ってしまった。せっかくの小二郎君の勇気を。 彼女の手をぎゅっと握って、声を絞り出すように言った。 「その先は……言わないで。ここを、離れるのが辛くなるから……」 半分本当だったけど、半分は嘘だ。 本当はその先を聞くのが怖かったんだ。だって僕は小二郎君に好かれる資格のある人間じゃない。 彼女を置いて、自分の弱さでこの屋敷を出るつもりなのだから。彼女を守ると約束したのに……。 小二郎君は僕の身勝手な言葉に素直に頷いてくれた。 「……分かった」 「ご、ごめ……」 最後まで言えなかった。小二郎君が、ベッドに乗り上げて僕を抱きしめたから。 小二郎君の体温に包まれて、耳元で彼女の声を聞く。 「オレ、鷹森がこの屋敷を出て行くのは寂しい。嫌だ…… でも、ここにいる事で鷹森が辛い思いをするのはもっと嫌だ…… お前は、お前が一番幸せに暮らせる世界を選べ……!」 「こじろうくん……!!」 「手紙書くから……離れても、お前の友達でいさせて……」 僕は泣きたくなった。大声で泣いて、謝りたくなった。 どうして!?どうして僕なんかにこんな優しい言葉をかけてくれるんだろう!? どうして僕なんかをこんなに好いてくれるんだろう!? 「うん。ありがとう……」 こんな簡単な言葉しか返せない僕を……。 僕は小二郎君に抱きしめられたまま、動くことすらできなかった。 本当は彼女を抱きしめ返してあげたいのに体が動かない。 そうして、ますます自信を無くしてしまう。 そんな時…… 「ゴホン、ゴホンゴホン!」 わざとらしい咳払い。 ドアの傍にいつの間にか執事服をビシッと着た上倉さんが立っていて、ジトッとした目で僕らを見ていた。 小二郎君が慌てて僕から離れる。 「小二郎?休憩時間はとっくに終わっていますよ?」 「ご、ごめんなさい!」 「夜にお仕置きをしますから、仕事が終わったら私の部屋に来なさい」 「……」 「分かったら走って戻る!」 一瞬ぽーっとしていた小二郎君は、そう言われて走って部屋を出ていった。 上倉さんは僕に『あの子は仕方ないねー』っていう感じの笑顔を向けて、傍に来てくれた。 僕の目線に合う様に腰を落として、心配そうな顔をする。 「お加減はいかがですか?お尻が痛むなら薬を持って来ましょうか?」 「い、いえ!大丈夫です……あの、それより千歳様は体調が悪いんですか? 千早様が……看病がどうとか言ってた気がして……」 上倉さんの顔を見たら急に思い出した事を聞いてみる。上倉さんは笑顔で答えてくれた。 「ええ、お風邪を召されたようで……昨日一日で回復しました。今日はお元気ですよ。 今頃千早様と遊んでいらっしゃるのではないでしょうか?」 「そうですか。良かった……」 「鷹森君は本当に優しいんですね。君みたいな子がいなくなると寂しくなります……」 「あ……」 さっきの話を聞かれてたのかな……また胸がズキンと痛んだ。 たちまち上倉さんに申し訳ない気分になって、心が曇る。 「鷹森君?どうかされましたか?」 「……怒らないんですか?」 上倉さんはキョトンとしていた。僕は恐る恐る聞いてみる。 「僕は……小二郎君を守るって、約束したのに……上倉さんにも…… なのに、この屋敷を出るつもりで……自分が、弱いばっかりに……小二郎君を最後まで守れなくて……」 うまく言葉が出てこない。次に何を言われるかと思うと、上倉さんの顔もまともに見られない。 でも、上倉さんは優しくこう言ってくれた。 「君は十分小二郎を守ってくれています。今までも、きっとこれからも。 傍にいる事だけが、『守る』って事じゃないと思うんです。 鷹森君が小二郎と友達でいてくれるだけで、それは小二郎の心を守ることになっているんですよ。 君と仲良くなってから、小二郎はずいぶん明るくなりました。それに、少しずつ強くなってます。 きっと君がいれば、あの子は少々辛い事があっても乗り越えられる……」 上倉さんの言葉は優しかった。優し過ぎて辛かった。僕はそんなすごい存在じゃない。 小二郎君に救われてるのは僕の方で、僕は小二郎君に何も……。 上倉さんが一呼吸開けて言う。 「小二郎が好きになったのが、君で良かった」 「上倉さん……!!」 違うのに!僕はそんな、上倉さんに信頼されるような人間じゃない!そんな風に言わないでください! いっそ千早様みたいに『要らない』って打ち捨ててもらった方が楽だ! 僕は耐えられなくなって叫んだ。 「上倉さんは、僕を買い被りすぎなんです!僕は執事としても先輩方みたいに上手く仕事をこなせない! 何をやってもダメで、何もできなくて、人間としても弱くて……!小二郎君に好かれる資格のある人間じゃない!」 「そんな事言わずに。鷹森君は小二郎の……真由の事が好きですか?」 上倉さんは僕を慰めるように肩に手を置く。その瞬間に、色んな感情が溢れてまた涙が出てくる。 さっきみたいにボロボロ流れて止まらなくなった。 「好きです……僕は、真由ちゃんの事が好きです……」 「それだけで十分です。あの子は見返りを求めて君を好きになってるわけじゃない。 あの子が好きなら、それが資格です。堂々とあの子の気持ちを受け止めてあげてください。 それが何よりあの子の救いになる……」 上倉さんの言葉に、しゃくりあげることしかできなかった。 肩にあった手が何度も頬を撫でてくれる。 「鷹森君、真由は人の悪意にすごく敏感なんですよ。 あの子の胸が膨らんでから今まで、変な目で見られたり、好き勝手に噂されたり、陰口を言われたり…… 理不尽な差別を受けた事が何度かありました。そのせいでずっと人の目や悪意に怯えています。今だってそう。 だから悪意に満ちた人間はすぐに見抜いて、ずっと怖がって警戒し続けます。 このセンサーが本当に良く当たるんですよ?」 少し冗談めかしているけど、上倉さんの言葉が真剣だって事は分かる。 僕は改めて小二郎君が今まで辛い思いをしていた事を知って、悲しくなった。 そして、そんな彼女を見捨てようとしている自分がますます情けなくなった。 「真由は君をとても好いています。それは君の心が綺麗だという証拠。 この屋敷には、頭の回転が速くて器用な方が沢山います。皆さん名門執事学校を出た優秀な方々ばかり。 でも、君ほど優しくて心の綺麗な方はいません。心が綺麗な事は、仕事ができる事よりずっと価値のある事です。 断言しますよ。君はダメな子じゃありません。もっと自信を持ってください。 できればここで一緒に働きたいですが、鷹森君ならどこへ行っても大丈夫……」 「で、でも僕は……自信なんて、持てません……!」 最低だ。せっかく上倉さんがここまで言ってくれたのに……それを否定してしまった。 やっぱりこんな自分に自信なんて持てないよ…… こんな僕、さすがの上倉さんも呆れるんじゃないかと思ったけど…… 「んもぅ、意気地なし……」 困ったような笑顔でそう言われた。 今“意気地なし”だなんて言われたら相当落ち込むんだけど、不思議と落ち込まなかった。 上倉さんの明るい声に心を包まれるみたいな感じがする。 「いつまでもウジウジと……いけませんね。男の子は元気がなくては! ここいらで一発、スパーンと活を入れてあげましょうか?ね?」 「あ、え……?」 「ほら、どうぞどうぞ」 まるで素敵な特等席を勧めるような軽やかな声と動きで、ベッドに腰掛けて自分の膝をポンポンと叩いている上倉さん。 その意味するところを感じて僕は戸惑った。 (ど、どうしよう……これって、お尻を叩かれるって事かな?) たぶんその可能性が高い。正直、昨日の痛みがまだ引いてない上にお尻を叩かれるのは辛すぎる。 それに、上倉さんのお仕置きはミスしまくった時に受けた事あるけど、痛い。本気で。 でも…… (僕は、叩かれるべきかもしれない。上倉さんや小二郎君を裏切るつもりなんだから……) この程度の報いは当然。むしろ2人は優し過ぎる。そう考えた。だから僕はお仕置きされる事にしたんだ。 上倉さんの膝の上に腹這いになって……パジャマのズボンや下着を下ろされた時は布が擦れてお尻が痛かった。 それに何だか恥ずかしくなって、そしたら上倉さんが「あ」って、小さく声を上げるのが聞こえた。 「か、上倉さん?」 「いいえ。何でもないんですよ?私の弟を、よくもまぁ……こんなに可愛がってくれたなぁ〜と……」 「おと……うと……?」 「気を悪くしたらごめんなさいね。鷹森君の事なんで」 ぱぁんっ!! 「ぇあっ……!?」 痛みと驚きが同時にきた。 悲鳴と重なって上手く聞きかえせなかったけど、上倉さんはスラスラ話してくれる。 「私は執事長ですから、執事部隊の皆……って言っても、さすがに先輩は省きまして、後輩の皆は私の可愛い弟。 でも実は、鷹森君と真由が一番可愛いんです。他の子には内緒ですよ?」 「う、あ……!!」 ぱん!ぱん!ぱん! だ、ダメだ……そう言ってもらえたのは嬉しいけど、やっぱり痛い!そんなに強く叩かれてないんだけど、痛い! まだいくつもいってないのに、体が勝手に暴れてしまう。 「やっ……上倉さんっ、痛いです!ご、ごめんなさい!」 「謝らなくてもいいんですよ。今も跡や痛みが残るくらい叩かれて……辛かったでしょう? 良く頑張って耐えました。叩かれてる間も真由を庇ってくれてありがとう」 「あっ、あっ……!!」 「まさか真由の為に体を張れる人間が私の他にいるなんて、思いもしませんでした。君は弱くなんかない」 「痛い、です……!上倉さん、痛いんです……!僕は……!」 ぱん!ぱん!ぱん! お尻が痛くて上倉さんの言葉にまともに返せない。僕を褒めてくれてるのに。 褒められて嬉しくて、でもそれを否定したくて……自分で自分の気持ちが分からなくなって ベッドにしがみつく様にして痛みを耐える。 これ以上叩かれたくなくて、謝罪の言葉が口をついて出てくる。 「ご、ごめんなさい!僕は、上倉さんも小二郎君も裏切って……ここを出ようとしてる! やっぱり、ダメなんです!僕はこんなにも弱い……!」 「まーたそんな事言って……鷹森君って、意外と頑固者ですね? それに全然元気が出てないじゃないですか!仕方がない……ここは景気よく、三三七拍子でいきましょうか♪」 「いっ!?」 「3回くらいやれば、こう、盛り上がる感じになって元気が出ますよね?」 「なっ……39回も!?」 「おや、暗算がお早い。さすが!」 上倉さんは明るいけど僕は気が気じゃなかった。 ダメだ!今でさえ限界なのにこの上からそんなに立て続けに叩かれたら…… 「許してください」と叫びたかったんだけど、とっさに声も出なくて……! ぱんぱんぱん!ぱんぱんぱん!ぱんぱんぱんぱんぱんぱんぱん! (本当に三三七拍子だ……!!) 痛かった。本当に痛かった。三三七拍子って何だっけと思うほど。 「やっ、いやです!本当にっ、限界で……ああっ、ごめんなさい!!」 「あよいしょっ!」 ぱんぱんぱん!ぱんぱんぱん!ぱんぱんぱんぱんぱんぱんぱん! 「ごめんなさい!やだぁ!痛い!痛い痛い痛いぃぃッ!!」 「もう一丁!」 ぱんぱんぱん!ぱんぱんぱん!ぱんぱんぱんぱんぱんぱんぱん! 「うわぁああああん!ごめんなさいぃ!助けてくださいぃぃっ!」 我慢できなくなって泣いてしまった。 頭が空っぽになって、何もかも謝りたくなった。 「ごめんなさぁぁい!僕は最初から誰からも必要とされない人間だったんです!! それなのに、こんな素敵な場所で働いて、できもしないのに『小二郎君を守る』だなんて言って! もう上倉さん達に迷惑かけませんからぁ!もう誰かに必要とされたいなんて……高望みもしません! 許してくださいお願いですからぁ!」 「……いつ誰が、君を迷惑だなんて言いました?」 「ひっ……」 僕は思わず短い悲鳴を上げる。上倉さんの声が急に低くなったから。 すぐに上倉さんを怒らせたんだって分かった。 後方で手が振りあがる気配が怖くなって、歯を食いしばってぎゅっと目を閉じる。 「人の話をきちんと聞かない悪い子は……」 「ぅ……!」 「痛いのはやめて、少しお話しましょう♪」 ぺちん。 「ふ……ぁ……?!」 予想したような痛みはこなくて、すごく弱く叩かれて。そのままのペースで、緩く叩かれ続ける。 ぺちん、ぺちん、ぺちん。 「あ、あの……!」 「千早様に『要らない』と言われたのを気にしているんですか? でも君のショックの受けようを見ると、どうもそれだけとは思えない…… 君の伯父様に話していましたね?『“また”要らないって言われちゃった』と。 最初に君に『要らない』と言ったのは誰ですか?」 ぺちん、ぺちん、ぺちん。 あまりにも痛くなくて、くすぐったい感じで、どう反応していいか分からないから 僕は素直に聞かれた事に答えた。 「お、お母さん、です……僕、子供の時にお母さんに『要らない』って言われちゃって…… ショックで、ずっと消えなくて……!!」 「そうですか……さぞお辛かったでしょうね……」 「…………」 何も言えなかった。 その時の事を思い出して悲しかったのもあったし、上倉さんに共感してもらえて嬉しかったのもあったし 誰にも話した事のない過去を思いがけず話した動揺もあった。 今日は本当に、心の持ち方が分からないよ…… あやすような感じでお尻を叩かれながら、僕はじっとしていた。 「子供の頃は親が世界のすべてですから…… きっと鷹森君は全世界から『要らない』って言われたような気になったんですね…… でも冷静に考えてください。君は元気に育って大人になりました。もうお母様が世界のすべてじゃない。 君を『要らない』と言う人は、お母様と千早様と……それに君自身。たった3人です。他にはいます?」 「いいえ……」 ぺちん、ぺちん、ぺちん。 上倉さんの言葉がゆっくりと頭の中に広がっていく。 『もうお母様が世界のすべてじゃない』『たった3人』……頭の中で復唱してみる。 「3人です。君の広い世界で、たったの3人。それでも君は『要らない』人間なんですか? 君が『必要』だと言う人は本当にいないんですか?」 「それは……」 きっといない……そう喉まで出かかった。でも、上倉さんの声の方が早かった。 「私は、君が必要ですよ。これで1人目。 次は旦那様。ここに来た時に言われていましたね?『ここには君のような子が必要だ』って。 私が聞いていたから間違いありません。これで2人目。他に誰か心当たりは?」 「伯父さんが……伯父さんと伯母さんと七美お姉ちゃんが……」 言ってから、こんなに素早く答えられた事に驚いた。でも、この3人はいつも僕に言ってくれた。 『お母さんに要らないって言われた!』って泣くと、『絢音は要らない子なんかじゃない!私達の大切な子だ!』って。 思い出したら泣きそうになった。 「これで、3,4,5。おっと、軽く3を超えてしまいました。分かりましたか? 君は、ちゃんと誰かに必要とされています」 「上倉さん……僕……!!」 「鷹森君は過去にお母様に言われた言葉に怯えているだけです。そして、無意識に君も自分に言い聞かせ続けてる。 『自分は要らない人間だ』って。過去の大きなショックは簡単には消えません……無理に消さなくてもいい。 でも、それに囚われて真実を見失わないでください」 「ごめんなさい……うっ、ぅ……」 また涙が出てきた。痛いからじゃなくって、嬉しかったから。 上倉さんが一生懸命僕が必要な人間だって事を証明してくれたのが嬉しくて。 今、上倉さんにお尻を叩かれている事も忘れそう。叩かれているのに、心が軽くなっていく。 ぺちん、ぺちん、ぺちん。 「寂しいですが……君がこの屋敷を出るのには別に反対しません。その方がいいと思うなら、そうしてください。 ただし、過去じゃなくて未来の方を向いて判断してくださいね?」 「ぐすっ、はい……ありがと……ございます……」 「では、最後はやっぱり景気よく一本締めで!」 「えぇっ!?」 僕は心からお礼を言ったのに、今しっとりした気分なのに、まさか本当に……!! 「いよーお!」 パァンッ! 「うぁあっ!」 うん。上倉さんは本当にやるから。 最後にとびっきり痛くされて、僕は上倉さんの膝の上で跳ねちゃった。 でも、その後は一切叩かれなかった。上倉さんが優しくお尻を撫でてくれた。 「大好きですよ鷹森君。恋敵が真由じゃ無かったら、きっと寝取ってました☆」 「そ、それは……あの、困ります……!」 「あはは!でしょうね!いいんですよそれで。君は真由と幸せになってください。 そして余裕ができたら……たま〜〜にでいいのでご一緒させてくださいね?」 「なっ、何の話ですか!?」 「何って、ナニですよ♪」 「上倉さんッ!!」 上倉さんがこんな風に冗談を言ってくるから、涙はすぐ乾いた。 しばらくして僕はまたベッドに入って、上倉さんが僕の部屋を出ようとした時、勢いよくドアが開いた。 「た、鷹森―――――ッ!!」 いきなり小二郎君が元気よく入ってきた。 僕は呆然としたんだけど、上倉さんはすぐに小二郎君を叱った。 「またですか小二郎!お前は何度仕事をサボったら……」 「おにぃうっさい!」 「こ、コラ!仕事の時は“執事長”と呼びなさいとあれほど……」 「うっさい!どうしても……鷹森に言い忘れた事があるんだ!10秒待って!」 小二郎君の剣幕に、上倉さんは押し黙る。 それを押しのけながら小二郎君は僕の方にやってくる。 ベッドの横に来て、床と僕を何度も交互に見つめて……やがて意を決したように…… 「あの……っ、鷹森ッ!!」 「こ、小二郎君!?」 ベッドに乗り上げて、また勢いよく僕に抱きついてきた。 ビックリした僕に小二郎君が言う。 「オレ、オレには……お前が必要だから!!」 「あ……!!」 「お前、さっきさぁっ、自分が人に必要とされたいけど、そうなれないみたいな事……言ったけど! オレにはお前が必要だから!絶対、ずーっと、お前が必要だから!本当は、ずっと一緒にいたい!」 抱きしめられて、そう言われて……体が震えた。 今まで感じた事のない感覚だった。なんて力強い言葉だろう……なんて嬉しい言葉だろう!! 心に羽が生えたみたいだ。どこまでも天に昇れるような、そんな気持ち。 「ありがとう……ありがとう小二郎君ッ!!」 思わず折っちゃいそうなほど強く彼女を抱きしめた。感情のセーブがきかなかった。 舞い上がって、心の中を包み隠さず捲し立てた。 「僕だって君が必要だ!一緒にいたい……小二郎君と、ずっと一緒にいたい!!」 「鷹森!!」 「小二郎君!!」 僕らはお互いに抱き合ったまま、しばらく動かなかった。 「長い10秒ですねぇ……」 上倉さんの声が聞こえて声の方を見た。 僕と目が合うと、上倉さんはウインクして片手をヒラヒラ振って、静かに部屋から出ていった。 小二郎君は僕にしがみつくのに必死で気がついてないみたい。 (ありがとうございます。上倉さん……) 僕は、心の底から二度目のお礼を言った。 |
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