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若四判と少年千賀流の話





町で噂の大富豪、廟堂院家……が、今より昔の話。
廟堂院家の息子が二人ではなく一人だった頃の話だ。

「ねぇ四判……僕って皆に甘やかされてるの?」
当時の廟堂院家のまだ幼い一人息子である千賀流(ちかる)が、珍しく物憂げな顔でそんな話を始めたので
世話係の四判(よはん)は何事かと心配そうに言葉を返す。
「そんな事はありません。どうしたのですか急に……」
「友達と話してて思ったんだ。考えてみたら僕はお父様やお母様に叩かれるどころか叱られた事すらあんまりなくて……」
「それは、千賀流様がいつもいい子だからですよ」
「でも考えてみてよ!!」
四判が慰めるのに千賀流は噛みつくように必死で続ける。
「お父様もお母様もあのお優しい性格で、僕が悪い事をしたとして僕を叱れると思う!?
って言うか現に……この前、“今日は勉強なんかしたくない!”っていったら“そうかたまには遊んできなさい”って……
嫌いな野菜を残そうとしたら“具合が悪いの!?無理して食べなくていいよ!”って……!!」
(千賀流様は日ごろの行いが良くていらっしゃるから……)
ワガママを言おうとしてそれがワガママだと認識されない、それもそれで
この悩める小さなご主人様にとっては可哀想な事だった。
千賀流は今にも泣きだしそうな顔をしている。
「僕は不安だよ……このまま甘やかされて育ったら、ロクでもない大人になってしまうかもしれない!!」
「大丈夫ですよ千賀流様。貴方が立派に成長していらっしゃる事は、この四判が一番よく知っております。
ロクでもない大人になんかなりません。決して」
「四判……」
四判の優しい笑顔に、千賀流も納得した……かと思いきや、キッと眉を吊り上げる。
「大体、君も過保護だと思うよ!?」
「!!」
「だ、だって……だって……!!」
千賀流は真っ赤な顔でプルプル震えながら、消え入りそうな声で言う。
「学校の皆は、もう、世話係とお風呂に入ったりしないって……!!」
「あ……!!」
途端に四判もハッとして大慌てで千賀流に謝った。
「も、申し訳ありません!千賀流様がお風呂で滑って転んだりしては一大事だと思いまして!!」
「そんな事にはならないよお父様じゃないんだし!!」
「もしや、その事でお友達に何か言われたりしたのですか!?」
「違う!!言われてたのは別の子!僕は“そんな風に陰でお友達をバカにするのは良くないよ”って言ったよ!
皆分かってくれたし!!」
「さっ、流石は千賀流様……!!」
「…………」
「ああああの、そのっ……!!」
恥ずかしげな涙目で睨みつけてくる千賀流にしどろもどろになりながら、四判はこう付け加えた。
「これからは、四判が一緒にお風呂に入るのは、控えさせていただきますので……」
「そっ、そうしてよ……!」
千賀流が真っ赤な顔でそっぽを向いてギクシャクした会話は一旦終了となるが、再びチラッと四判に視線を戻して言う。
「――それでね、さっきの話の続きで……君に一つお願いがあるんだけど」
「な、何でしょう!?この四判にできる事ならなんなりと!!」
とにかく早く千賀流の機嫌を直したくて、四判は張り切った声を出す。
もちろんどんな要求にも応えるつもりで。だったが……
「君と僕の立場を一日交換してほしいんだ!!」
「何ですと!?」
「一日だけ、僕が君の執事になるんだよ!いいでしょう!?」
「なぜそのような事を!?」
「だって、君や執事の皆は毎日きちんと働いていてカッコいい大人に見えるんだ!
僕も執事の仕事をやってみれば何かを学べるかもしれないって!!」
「いけません!!廟堂院家のご子息が使用人の真似事など……!そんな事をしなくても、
千賀流様なら学校やいつもの生活の中で自然と立派な大人になってゆけますから!」
そのお願いは予想外で、四判は困り顔で千賀流を宥めようとするも、千賀流は一歩も譲らないという様子。
無垢な瞳を潤ませて四判に縋る。
「僕は君みたいな大人になりたいんだよ四判!!
それに、一日だけど、いつもお世話になってる君への恩返しにもなるでしょう!?」
「ですが……!」
「君のその制服、とてもカッコいいよ!?僕も着てみたいよ!!」
「で、では、次のパーティーにはこのような服を仕立ててもらって……」
「四判!!」
これ以上跳ねつけると、千賀流が泣いてしまいそうだった。それだけ切羽詰った表情だった。
だから四判は断りきれなかった。
「うぅ、分かりました……」
「やった!!じゃあ今度の休みに交換ね!?」
「え、えぇ……」
「よーし、頑張るぞ!」
張り切る千賀流。四判の方は困った事になったと思って……いるはずだったけれど、
そんな千賀流を畏れ多くも“可愛い”と思ってしまった。


そして約束の休日。
四判は千賀流の姿を見て驚くことになる。
「ち、千賀流様!!?」
「すごいでしょ四判!お父様が作ってくれたんだ!」
その姿とは、執事部隊の制服をそのまま縮小したような、
まさに“千賀流用オーダーメイド執事服(半ズボン)”を着た姿だった。
嬉しそうに両手を広げて今着ている服を四判に見せてくれている。
「本当はね、四判と……皆と同じように長いズボンがいいって言ったんだけど、お父様が
“半ズボンの方が動きやすい!”って力説するから。僕は執事初心者だし、動きやすい方がいいかなって♪」
(旦那様……!!)
旦那様直々に用意したとなれば、四判も文句は言えない。
やり場のない気持ちを飲み込むしかなかった。
「ねぇ四判!僕はまず何をすればいいの!?」
傍では目を輝かせる千賀流。四判は“何か簡単そうな命令を……”と考える。
しかしその時、千賀流が「あ!」と声を上げた。
「しまった!やり直すね?執事っぽい話し方にしなくっちゃ!」
「え?」
「君の真似をすればいいんだよ!簡単さ!聞いてて?」
千賀流は得意げにそう言うと、極上の笑顔を四判に向けて
「四判様?千賀流はまず何をすればよろしいでしょうか?」
「くはっ……!!?」
この発言に四判大ダメージ。色々な意味で。
「お、おやめください千賀流様!!私に向かってそのような……!」
オロオロする四判に、千賀流はムッとした顔で言い返す。
「貴方の話し方こそ、使用人に対する口ぶりにしては少々威厳に欠けるのでは?
四判様は本日千賀流のご主人様でしょう?」
「お願いですから!私にそんな風におっしゃらないで下さい!“様”付けなどとんでもない!
話し方など、普段の話し方でいいのです!」
「……それはご命令でしょうか?」
「滅相もございません!!」
「では、千賀流はこの話し方で問題ありませんね?」
千賀流はニッコリと笑う。
ムムムと唸って四判も負けじと言い返した。
「で、では!四判も貴方に対する話し方を変えたりしませんぞ!
執事ならご主人様の話し方に口出しはできませんでしょう!?」
「む。……かしこまりました」
この勝負、引き分けと言ったところか。
こうして“お互い敬語”という奇妙な主従関係が始まった。
小さな執事が再び瞳を輝かせて若いご主人様に言う。
「そう言えば四判様、何か千賀流にお仕事をください!むずかしい事でもいいですよ!」
「えーと……では、何か飲み物を持ってきてくださいますか?喉が渇いてしまって……」
「……飲み物を取ってくるだけですか?」
「そうです!貴方の元執事として言わせてもらえば、
小さな仕事でもきちんとこなすのが立派な執事になるための心得です!」
「!!なるほど……!勉強になります!取ってきますね!」
嬉しそうに走り出しそうな千賀流に慌てて四判は声をかけた。
「あ、あの!くれぐれも冷たい飲み物でお願いしますね!?少しでいいですから!コップ一杯程度で!
それから、廊下を走ってはいけませんよ!?」
「はい!」
行ってしまう千賀流を心配そうに見守る四判。
ほどなくしてトレイにちょこんとジュースを乗せた千賀流が戻ってきた。
ホッとしつつ千賀流にお礼を言って、ジュースを飲み干す四判。そして褒めちぎる。
「ああ美味しい!こんな美味しい飲み物は飲んだ事が無い!一気に寿命が延びました!
さすがは千賀流様、ご立派な執事っぷりでございます!もうこの四判が貴方様に教えることは何も……」
「では四判様、次のご命令は?」
「無……つ、次……ですか?」
「はい。なんなりと」
可愛らしい笑顔の千賀流。四判は逆らえず……

以下、怪我をする恐れが無くてなおかつ体力の要らない、
子供にもできそうな簡単な命令をいくつか絞り出すのに苦労する四判。
一つ終えるたびに、千賀流が「次を」とせがむので参ってしまう。
(あぁ、命令をするご主人様の方にも苦労があったんだ……私は慢心していたな……執事で良かった)
ただ今並んでソファーに座って“絵本を読んで聞かせて欲しい”という命令を千賀流が実行中。ほっと一息つく四判。
もちろん彼が感じている苦労は使用人(=ご主人様)を思い過ぎるが故の苦労であり
本当のご主人様達が感じている苦労ではなさげだけれどそんな事に気付く余裕は今の四判に無い。
意識を戻すと耳に可愛らしい声が聞こえる。
「――で、幸せに暮らしました!おしまい!」
「っと……す、素晴らしいお話でした!なんと言っても語り手が素晴らしいというところが大きいでしょうな!」
「ふふっ、四判様は褒め上手でいらっしゃる」
「四判は本当の事しか申しません」
「ねぇ四判様、千賀流は思ったのですが……」
身を乗り出して新たな提案をしそうな勢いの千賀流に四判はドキッとする。
「やはり与えられた命令をこなすだけでは立派な執事にはなれないと思うのです!!
だから千賀流が自分で考えて仕事をしてきたいのですが!」
「(ななななな何ですと!?)いえいえいえ!それはもっと経験を積んでからと言うもの!」
四判がそう言うと……
「でも僕は今日一日しか執事でいられないんだよ!?」
「そ、それは……!!」
「貴重な一日だよ!学べる事は全部学びたいんだ!四判お願い!
これが最終試験だと思って頑張るから!」
また必死に言い募る千賀流。頑張っていた敬語も飛んでいって、
どうしても自分の納得のいく形で“一日執事”を終えたいらしい。
四判は迷いながらも答えを出す。
(やる気が、何でも学ぼうとする意欲が、あるのはいい事じゃないか……!
守るばかりが執事じゃない!この前“過保護”と言われてしまったし……よし!)
そして覚悟を決めた。
「分かりました千賀流様!どうかご自身の力でお勤めを果たしてください!
でもくれぐれも、無理は止めてくださいね?貴方にできる事を、やればいいのですから!」
「うん!ありがとう四判!!」
千賀流がパァと表情を明るくして、四判も嬉しくなる。
でもその直後
「本当に手伝っちゃだめだよ!?」
「うっ!!せめて見守るくらいは……!!」
「それもだめ!結果だけ見て!終わったら言いに来るから!」
「わ、分かりました……」
念を押されてしまう。もう四判にはやる気十分の小さな執事を見送る事しかできない。
「行ってまいりますご主人様!」
「行ってらっしゃいませ」
千賀流は駆けていく。何をするつもりかは四判にも分からない。


30分後

(遅い……!!こんなにも時間がかかる作業なのか!?
まさか何か問題が起きて困っていらっしゃるのでは!?)
さっそく痺れを切らした四判は千賀流を探しに出かけた。
案外早く見つかって、ちょうど千賀流がとある部屋から出てきた所にはちあう形になる。
「ハッ!違うんです千賀流様!私はただ見回りをしていただけでして!」
「あ、あのさ……四判……」
慌てた四判の言い訳も耳に入らない様子で、俯いた千賀流が言う。
明らかに様子がおかしい。胸元を握ったまま元気がない。それに何かが……
四判は心配になって屈んで声をかける。
「どうかいたしましたか?」
「やめていい?“執事”。疲れちゃって……」
「そうですか……それはいけませんね。もう十分ですから、どうかゆっくりお休みください……。
今日は本当にありがとうございました。千賀流様は大変立派な執事でしたよ」
「……あり、がとう……」
四判と目を逸らし気味に、駆け足で立ち去る千賀流。
(千賀流様……)
四判は追いかけようか迷ったけれど、とりあえず千賀流がさっきまでいたであろう部屋に入ってみる。
小奇麗な部屋の中、特に変わった様子もない。
(掃除をしてくれてたんだろうか?)
あたりを見回しながら四判はそんな事を考えた。
ふと、視線が部屋にあったゴミ箱に。
(これは……)
ぐしゃぐしゃと、無造作に……いや、何かを覆うように捨てられていたのは
千賀流が付けていたアスコットタイだった。
(そうか、だから違和感が……)
さっき会った時胸元を隠すように握っていた千賀流。違和感の正体が分かった。
そして、どうしてわざわざアスコットタイをこんな風に捨てたりしたのか、それを拾い上げたら瞬時に理解した。
彼のアスコットタイは割れた陶器人形を隠していたのだ。
それを見た四判は
(ち、千賀流様……が、お怪我をしているかもしれない!!)
全力で千賀流の部屋へ向かった。


「千賀流様!!」
勢いよく部屋の扉を開けると、振り返った千賀流と目が合う。
「四判……!」
千賀流は着替えもしないままベッドに座って泣いていた。
四判は血相を変えて千賀流に飛び掛かる。
「千賀流様!!痛いのですか!?どこですか!?どこにお怪我を!?」
「ごめんなさい!すぐに謝ろうと思ったんだけど!でも!」
叫び声がぶつかる。
先に黙ったのは四判だった。
両手を押さえつけて千賀流に覆いかぶさったままで、千賀流の半泣きの声を聞く。
「失敗したって、思われたくなかったんだ!
ちゃんと、できたんだって……君に、イイカッコしたかったって言うか……!
褒めて、欲しかった、違う、違う……僕だって、できるんだって、君に、僕が、見せたかったって言うか……!」
自分でも何が言いたいのか分かっていないような拙い言葉だったけれど、
四判は泣きそうな千賀流に優しく笑いかけて言う。
「お怪我は、無かったんですね?」
「無いよ……でも……」
「だったらよいのです」
「え?」
四判は体を起こして、千賀流の事も助け起こして優しく頭を撫でた。
「失敗くらい誰にでもあるものです。私にも。だから千賀流様が気に病むことはありません。
四判は今日一日、千賀流様の勇姿をこの目に焼き付けました!
十分に、カッコよかったですよ。最高の執事でした。そして、この四判の最高のご主人様です」
「で、でも……!僕は、謝らないで隠そうとしたよ……?」
「ふむ。確かにそれは悪い事ですな。それに怪我をするかもしれないのに
危ない物を一人で片づけてしまって……どうしてすぐに私に言ってくださらなかったのです?」
「ご、ごめんなさい……」
しゅんとして俯く千賀流に、四判は明るく言う。
「ですが、まぁ1度目ですし、反省していただいてるようですし、大目に見ましょう!」
これで終わると思った四判。けれど千賀流は悲しそうな声で、さっき聞いたような言葉を呟いた。
「……四判……僕は今日一日しか執事でいられないんだよ?」
そう言うと、泣きそうな顔で必死に四判に縋り付く。
「ねぇ、さすがに今日の事は自分でも“悪い事をした”って自覚があるよ!
君もそうやって僕を甘やかすの?!」
千賀流の言葉に上手い返しが思いつかずに、四判は戸惑いつつ呆然と千賀流の声を聞いていた。
恐れや不安、悲しみが混ざった声だ。
「正直さ、あのガラスが割れた時ちょっとスッとしたんだ。
もちろんわざとじゃないけど!そんな自分が怖かった!
それなのに、君にそんな風に許されたら、僕はもっと悪い事して君を……
お父様やお母様を試してしまいそうだよ!そんな事したくない!お願い!君になら何をされても構わないから!」
千賀流はそうは言いながらも震えていた。
明らかに怯えた様子なのに、“何をされても構わない”と言うのだ。
裏を返せば“悪い事をした自分に何かをしてくれ”と。
(千賀流様にここまで言わせて……!
あぁ、真面目すぎる方だから、ここまで苦しんでいるなら……私はきっと、彼の望みを叶えるべきだ!
信頼されたんだ、私は!しっかりしなければ!)
四判は迷いながらも意思を固める。
「分かりました千賀流様……貴方がそこまでおっしゃるなら、私が罰を与えましょう」
「う、うん……!」
緊張気味に頷く千賀流。
その表情でせっかくの決心が揺らぎそうになってので、これ以上気持ちがブレる前にと
四判は強引に千賀流を引っ張ってきて膝の上に横たえてしまう。
「わっ!?」
(お許しください千賀流様!!)
四判は歯を食いしばって千賀流のズボンや下着を脱がせてしまう。
「あっ……!」
(くそっ!いちいち千賀流様の声でうろたえるな私!!)
自分を奮い立たせて、半ばその勢いで、千賀流の小さなお尻に平手を振り下ろす。
バシィッ!
「いっ!!」
千賀流は体を跳ね上げて悲鳴を上げた。
「やっ、痛い!痛いよ四判!!」
早くも悲痛な叫び声を上げるご主人様の姿に四判は反射的に手を止めてしまい、
それを誤魔化すように慌てて声をかけた。
「当然ですね、これは悪い子へのお仕置きなのですから!」
「うっ、……そうだよ、ね……!ごめんなさい……!」
(のぉぉっ……!そこで納得されると罪悪感がぁぁっ!!)
内心で冷や汗を垂らしまくりながら、それでも平手打ちを続ける四判。
ビシッ!バシッ!ビシッ!
「んっ!あぁっ!」
(聞こえない!私は何も聞こえない!!)
控えめに身を捩る千賀流のお尻を叩き続けながら、四判は冷静に頭の中を整理しようと試みる。
(今日の目標は、千賀流様にこのお仕置きで“自分は甘やかされてるわけではない”と安心していただく事。
そして、“お仕置きされるなんてロクな事じゃない、普段からいい子にしてる自分は正しかったんだ”と
自信を持っていただく事。この2つをクリアして……私はもう二度とこんな事はしたくないです千賀流様!!)
バシッ!バシッ!バシンッ!
「うぁぁっ!やっ、やだぁっ!!痛い!」
「“罰を受けたい”と言い出したのは貴方です!大人しくしていただきますよ!」
苦痛に喘ぐ幼い主を無理やり押さえつけて蹂躙している今の状況では
むしろ自分の方が罰を受けている気分になってくる四判。
けれども(彼の為、彼の為)だと言い聞かせながらバシバシとお尻叩きを繰り返していく。
「うぅっ!ごめんなさい……!ごめんなさい四判!!これからは悪い事したらすぐ、謝るからぁ!!」
「えぇ、そうしてください!まったくこの私を欺こうなど100年早い!」
「ご、ごめんなさい!ふっ……あぁっ!」
「素直に謝れるのはいい事ですな千賀流様!けれど、謝ってすぐ許されるほどこの世界は甘くないのです!
(あぁ、何を言っているのか私は……)」
罪悪感というか、千賀流が可哀想なあまりやや錯乱気味になって
いつもなら言わないような事を口走っている四判だったが、正常な感覚など吹き飛ばさなければ
彼はこんなお仕置きなんてやっていられなかった。
ビシッ!バシッ!パァンッ!
「あぁっ!ふ、ぇぇっ……!反省したからぁっ……!」
「そうでしょう!?もう二度とこんなお仕置きはごめんだと思うでしょう!?」
「うん!うんっ……!!」
涙声で力強く何度も首を縦に振る千賀流。
四判は内心(良かった!)と喜んだ。
少なくともこれで千賀流が“罰を受けたい”だなんてせがんでくる事はなくなるだろう。目標の一つは達成だ。
後は……
「うっ、ぐすっ……!よはッ……もうやめて!痛くしないでぇっ!!」
ふいに、千賀流がそう懇願しながら四判の膝に縋り付いてくる。
その弱弱しい姿とそろそろ真っ赤になっているお尻を見た時、四判の中の混乱がスッと消えていく。
(そうだ……!今、一番辛いのは千賀流様なのに、私がしっかりしなくてどうする!!
私の胸の痛みなど、この方が今感じている恐怖と苦痛に比べれば!!)
不思議な気分だった。さっきまでこんな事をしているのが嫌で嫌で堪らなかったのに。
今では驚くほど安らかな気分だ。
「う、ぇっ、ひっく!ぐすっ……!」
(申し訳ありません千賀流様……この一瞬だけご辛抱くださいね。今をピークにいたしますから)
そう謝ってから、四判は今までで一番力強く平手を振り下ろした。
バシィッ!!
「うぁああっ!!――うわぁああああああん!!」
「そろそろ分かりましたか?四判はこんな風に、千賀流様が悪い事をしたらお仕置きして叱る事ができる。
貴方が今まで叱られなかったのは日ごろの行いが良かったからですよ。
決して甘やかされているわけでは無いのです」
パシッ!パシッ!
ここからやや手を緩めたけれど、千賀流は先ほどの一発に驚いたのか痛かったのか……
相変わらず大泣きしながら謝った。
「ご、ごめんなさい!ごめんなさぁぁぁい!痛い!痛いよぉぉっ!」
「言っておきますが、私だからこのような“優しい”お仕置きで済んでいますが、
貴方のお父様やお母様にお仕置きされるときはもっと厳しくされると思ってください?
反省して、今後はいい子でいてくださいね?」
「分かったぁぁぁっ!ごめんなさいぃぃっ!」
千賀流は必死で頷いているけれど実際、この一種の脅迫は四判の優しさのようなもので、
本当に千賀流の両親にこんな事をさせようものなら、心労で寝込んでしまいそうなほど、息子を溺愛している両親だ。
「うぇぇっ!うわぁあああああん!!」
(さて、お尻も真っ赤になってしまったし、そろそろいいだろうか……)
ピシッ!パシッ!ピシッ!
「あっぅ、ひっく、四判ごめんなさいぃぃっ!うわぁぁぁああん!」
一旦冷静になった心でも、やっぱり泣いている千賀流を見ていると可哀想になってきた。
なので手を止めて言う。
「千賀流様も反省してくださったようですし、お仕置きはおしまいです。よく耐えてくださいましたね」
「わぁああああああん!!」
それでも泣き止まない千賀流を、四判は改めて助け起こして落ち着くまで抱きしめていた。


そして、泣いている時は年相応の子供らしい姿だった千賀流も、
泣き止めばいつもの千賀流に戻って……。
「まだ痛みますか千賀流様?」
「あ……ううん。大丈夫だよ、心配しないで。
泣いたり暴れたりしたけど……元々は僕が君に無理を言って頼んだことだし、
君が僕の為にしてくれたことだって分かるから。あまり悲しそうな顔をしないでね?」
少し疲れたような笑顔でこの発言。さらに。
「……僕は、“叱られる”とか“叩かれる”って事をあまりにも軽く見ていたみたいだね……。
やっぱり、学校の皆よりずっと子供だったのかもしれない……」
ため息をつきながらこの発言。挙句……
「君のおかげでいい勉強になったよ。ありがとう、四判」
トドメに笑顔でこの発言。
(あぁあああ……なんかもう、本当に申し訳ありません千賀流様……!!)
土下座したい勢いに襲われる四判であった。



それからしばらく経ったある日。
四判は千賀流にある贈り物をした。
小さなワイン色の箱に入った、小さな金色のバッジだ。
千賀流は突然のプレゼントに戸惑っていた。
「これは何?」
「これは、“執事長のバッジ”です。
執事長から次の執事長へ……代々、この屋敷で最も優秀な執事に贈られます。
本物は執事が持っていなければいけませんので、千賀流様の為に同じ物を作ってもらいました」
「え!?」
千賀流は驚いて、慌てて首を横に振る。
「もしかしてこの前の事で!?こ、こんなの受け取れないよ!
僕は最後失敗しちゃったし、それで隠そうとしたし、それで君に……っ、全然優秀な執事なんかじゃない!」
「大切なのは、失敗をしない事ではなく、“失敗した後どうするか”という事です。
千賀流様はきちんと謝ってくださいましたし、罰にも耐えてくださいました。
その他の仕事っぷりも、心意気も……優秀な執事そのものでした。四判が言うのですから間違いありません!」
「で、でも……!!」
不安げに、箱を突き返そうとする千賀流の手を、四判がそっと押し返す。
「どうか、受け取っていただけませんか?
貴方が受け取ってくだされば……私には大きな目標ができます」
「?」
不思議そうな顔をする千賀流に、四判は笑顔で言う。
「貴方と同じバッジを手にいれるために、私は執事長になります」
瞬間、千賀流は目を見開いてキラキラと輝かせる。
あんなにもらい渋っていた“執事長のバッジ”をギュッと抱きしめて興奮気味に捲し立てた。
「もらう!!僕、このバッジもらうよ!や、約束だよ!?
絶対、執事長になってね!僕と、おそろいのバッジにしようね!」
「ええ。必ず」
「四判!!大好き!!」
千賀流は四判に抱き付いて喜んだ。四判もとても嬉しそうに千賀流を抱きしめる。

元々優秀だった四判が、その後千賀流との約束を果たしたのは言うまでもない。



それから多くの年月が流れ……千賀流は廟堂院家の一人息子から当主になった。
本人の心配とは裏腹に、驚くほどの人格者に成長した彼と結ばれるのは誰かという事が、
彼の結婚がなかなか決まらないというのもあって、長らく周囲の富裕層のいい噂の種だった。
そして、その相手が好奇の目で見られ続けた二条城家の“人形夫人”の娘、“人形令嬢”だった事は大きな話題なり
「乱心か」とまで囁かれたが、結婚後の“人形令嬢”の豹変っぷりに周囲は愕然とし、
千賀流の評判はますます良くなったという。
そして“人形令嬢”を遠巻きにしていた男達を心底悔しがらせる結果となった。
今は二人の息子にも恵まれ、幸せに暮らしている。
執事長は四判から次の上倉という青年へと代替わりしたが、四判はまだまだ “長老”として執事達に慕われていた。

そんな現代の廟堂院家での出来事。

「わぁ、旦那様何ですかそれ!?」
千賀流が見ている年季の入った小箱の中身を、現・執事長の上倉が同じように興味深げに覗き込む。
「これ?これはね、私が子供の頃に“一日執事”をしてもらった“執事長のバッジ”だよ」
「え!?」
「一日だけ執事の仕事をさせてもらったんだよ。執事服も仕立ててもらって……懐かしいな。
ふふっ、でも……たった一日で執事長になれちゃったんだから、誰かさんの採点も甘かったんだね」
「……何ですかそれ!すごく見たかったです!!」
「そうかい?でも、君は生まれてもいなかっただろうから……」
「ああ!私がもっと早く生まれてこの屋敷に来てさえいれば!」
本気で悔しそうに頭を抱えている上倉を、優しい笑顔で見つめる千賀流。
けれど上倉はコロッと表情を変えて嬉しそうに言う。
「今気づきました!っていうことは!旦那様のそのバッジは上倉とおそろいなわけですね!?」
「ん?そうだね」
「やっぱり!私と旦那様は運命の赤い」
テンション高く言いかける上倉の口元に、千賀流が人差し指を添えて黙らせた。
どこで誰が聞いているか分からない。
特に千賀流の愛妻及びそのメイド達が聞きつけた場合、彼は命を狙われることになる。冗談抜きに。
この手の発言はさせないに限るので、千賀流の方から笑顔を崩さずに言う。
「大一郎、私も君とおそろいだなんてとても嬉しいよ。
お互いそのバッジにふさわしい生活をしないとね。お仕事、頑張ってきて」
「はい♥」
上倉は嬉しそうな笑顔ですんなりと去っていく。スキップ気味に。
それを見計らったかのようにササッと近づいてきたのは元・執事長の四判。咳払いをしてこう言った。
「千賀流様?お言葉ですが、上倉君の代から執事長のバッジは微妙にデザイン変更しましたので、
厳密に言えばそのバッジは上倉君とはおそろいではないのです!」
「知ってるよ。君が今も大切に持っている物とおそろいなんだよね?
でもあそこはああ言わないと大一郎が可哀想じゃないか。あんなに嬉しそうなのに」
「そ、それはそうですな!あれで上倉君が少しは真面目に仕事をすればいいのですが!」
歯切れ悪く慌てる……と、いうか照れている四判に千賀流はクスクス笑う。
「四判、大一郎は私にとって息子みたいに大切な存在だけど……彼は千歳の世話係だよ。
私の世話係は君しかいないんだ」
「千賀流様……!」
「大好きだよ四判」
「やはり、今も昔も貴方には敵いませんな……」

互いに微笑みあう主人と執事には、かつての面影が残っていた。





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【作品番号 BSS27】

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