TOP小説
戻る 進む


月夜の後悔





小さい頃、テレビで見た『姫を命がけで守る騎士』というものにずっと憧れていた。
結果、お嬢様を守るメイドを目指そうとした私は無事にメイド学校に入学する事ができて、
いついかなる時もまだ見ぬ『姫』を完璧に守り抜けるようにと、努力を重ねた結果
いつの間にか優秀な成績を残していた。先生方の“最高のメイド”だとの賛辞は正直、むず痒かった。
しかし、“最高のメイド”は“最高の姫”を得る権利を与えられるらしい。

齢13の私の“姫”は信じられないくらい美しい少女だったのだ。
どんなお嬢様がいらしても、不安にさせないよう……緊張せずに堂々と、ふるまわなければ! との、
私の意気込みを一瞬にして打ち砕き、衝撃のあまりほぼ無意識に跪かせた彼女の圧倒されるような美貌……
「初めまして、絵恋お嬢様。月夜と申します。絵恋お嬢様に永久の愛と忠誠を誓う為にやって参りました」
慌てて平静を装い、付け足した言葉の……忠誠の口付けのなんと情けないことか。
けれど、彼女はその瞬間笑ったのだ。とても可愛らしく、無邪気に。
何か、おかしなことを言っただろうか?何か、無礼な事をしてしまったのでは?
そんな風に自分を顧みる前に私は……

彼女の虜になってしまったのだ。

絵恋様と初めて会ったこの時の事を、私はきっと一生忘れないだろう。



こうして私は絵恋様と運命を共にする事になった。
少女時代、母君が病気でお亡くなりになったり、父親が愛人を連れ込んだりと
複雑な家庭環境のせいで、呪い・まじないにふけったり(これは今も好んでいらっしゃるようだけれど……)
暗い表情で言葉少なだった絵恋様も、この廟堂院家に嫁いでからはすっかり元気を取り戻して
毎日笑顔で幸せそうにしている。それが何よりも嬉しかった。
絵恋様の興味のほとんどが、夫である旦那様に持っていかれてしまった事には
少しの寂しさを感じたけれど……私は彼女のメイド。
例え、彼女が私に一片の興味さえ示さなくなっても、私の絵恋様への忠誠心が失われることは無いだろう。
私は彼女を一生守ると……彼女に一生を捧げると誓ったのだから。
それに実際の絵恋様は、今も私にとても良くしてくださる素晴らしい主なのだ。
愛しい我が姫君を日々、いかなる災厄からも守っているつもりだった。つもりだったのだ。

私は驕っていた。
完全に思い上がっていたのだ。
甘かった。嫌になるほどに。
今日ほど自分の無力を痛感した日はない。

「いや……いやぁぁぁっ!」
絵恋様が痛々しい悲鳴を上げているというのに。
「やめて!出て行かないで!月夜!一人にしないで!怖い!怖いの!!ふっ……うぇぇぇっ!!」
「もちろんです。絵恋様、月夜は貴女といますよ」
こんな、気休め程度の言葉をかけることしかできない。
「ぐすっ、本当!?助けてくれる!?痛くなったら助けてくれるの!?」
縋るような彼女の言葉に応えることすらできない。
怯えて泣く彼女がすぐ目の前にいるのに、私は助ける事ができないのだ。
本来なら……本来なら!!
絵恋様に仇なす輩は徹底的に叩きのめして彼女をこの腕の中に取り戻すのに!!
今日だけはそれも叶わない。

だってこれは罰なのだから。
メイドに罪をかぶせて自分のワガママを突き通した彼女への“お仕置き”なのだから。
最後まで我慢して反省していただくのが彼女のためなのだ。
私は、ただ傍にいる以上の事はすべきではないのだ。
そう自分に言い聞かせて、私はじっと耐えた。

絵恋様が旦那様の膝の上で下着を脱がされても、思い切りお尻をぶたれて泣いても……
ビシッ!バシッ!ビシッ!
「ひっ!いやぁあああっ!痛い!痛いぃぃぃっ!」
「いつからそんな悪い子になったの!?」
「うわぁああああん!ごめんなさい!ごめんなさぁぁぁい!」
……お尻をぶたれて泣いても……
「やだぁぁっ!痛い!千賀流さっ……あぁあああん!」
ビシッ!バシッ!ビシッ!
「“君が泣いてもいっぱいお尻を叩く”っていったでしょう!?」
……お尻を、ぶたれて、泣い、て、も……
「うわぁあああん!いやぁああああ!もういやぁあああ!!」
「暴れるんじゃない!きちんと反省しなさい!」
ビシッ!バシッ!ビシッ!
「ふぇええええっ!あぁあああああん!!」

(あの男ぉぉぉぉぉっ!!今すぐ両腕をへし折ってやろうかぁぁぁぁっ!!)

怒りのあまり、つい旦那様に八つ当たりしてしまった私は慌てて心を落ち着ける。
彼の行動は何一つ間違っていないのだ。
今日は絵恋様の悪戯がいつもより酷かったからいつもより厳しいお尻叩きになってしまっているだけなのだ。
そう念じてみても、目の前で泣き叫ぶ絵恋様の姿に心が苦しくなるばかりだ。
「うわぁああああん!ごめんなさい!ごめんなさいもうしないからぁぁぁっ!!」
絵恋様の泣き声。お尻もだいぶ赤くなってしまっている。
(私の所為だ……)
私が、絵恋様の事をもっと気を付けていれば。
絵恋様が小二郎に事を頼む前に止めれ差し上げていれば、こんな事にはならなかった。
彼女がこんな風に苦しむことは無かったのだ。
(私が、もっと……私が……!!)
恨めしい!!
自分の間抜けさが、愚かしさが、無能さが!!
でも、もう私が何を後悔しても何を変えることもできないのだ。
ビシッ!バシッ!ビシッ!
「痛いぃ……痛いもういやぁああっ!やだぁぁぁ!千賀流さぁぁぁん!」
打たれるたびに、絵恋様は飛び上がって泣いている。
目を閉じて、耳を塞ぎたかった。
けれど、そんな事はできない。
(絵恋様が苦しんでいるんだから、私も一緒に苦しむべきだ……!!)
これはきっと、私への罰でもあるのかもしれない。
体の奥底から震えが込み上げるけれど耐えた。耐え抜こうとした。
しかし……
「うわぁああああん!月夜助けて!お願い助けて!月夜――!!」
「!!」
絵恋様の言葉に足元が揺らぐ。
足元どころじゃない。世界全体が歪んだ気がした。

(私は……私は何の為にここにいるんだ……?
絵恋様が、助けを求めているのに、助けることもできない私は、何の、為に……!?)

「コラ絵恋!どうして月夜に助けを求めるの!?
お仕置きから逃げるつもり!?きちんと反省できないのかな!?」
「わぁああん!違う!違うの!違うけどぉぉぉぉぉ!!」
ビシッ!バシッ!ビシッ!
「うぇええええっ!わぁああああん!!」
大粒の涙をとめどなく流して、真っ赤になってしまったお尻を振って逃げようとしている絵恋様。
こんな事をしてはいけないと分かっていたけれど、本当に見ていられなかった。
私は崩れ落ちるように地面にひれ伏す。床に頭をつけて、全身全霊で叫んだ。
「お願いです!お願いです旦那様!!もう許して差し上げてください!」
「……ごめんね月夜……」
「――っ!!」
旦那様の、控えめな声に絵恋様の泣き喚く声が続く。
「……っ……ぅ……!!」
私は、立ち上がる事もできずに地面にひれ伏したまま嗚咽した。
なんてザマだ。
本気の自己嫌悪と共に、心の奥底で声がする。
(立て!こんな姿を晒して、絵恋様が不安になったらどうするつもりだ!?)
「……!!」
何とか気力を奮い立たせて立ち上がる。
「絵恋、反省した!?もう絶対にこんな事はしないね!?」
「いやぁあああっ!もうしない!もうしないわ!うっ、ぐすっ!」
ビシッ!バシッ!ビシッ!
「小二郎にも謝るんだよ!?」
「わぁあああん!わかったぁ!ごめんなさぁぁぁい!!」
そこで、やっとお仕置きは終わったらしい。
旦那様が絵恋様を助け起こして、絵恋様は旦那様に飛びつこうとするけれど……
「ダメだよ絵恋!君は今日とっても悪い子だったから、しばらくここで反省してなさい!
私がいいって言うまでじっとしてるんだよ!?」
突き放して、驚く絵恋様をベッドの傍に立たせて部屋を出ようとする旦那様。
いわゆる“コーナータイム”をやろうとしたらしいけれど、絵恋様にそれが理解できるはずがない。
「ま、待って千賀流さん!!いや!置いていかないで!!」
すぐに旦那様を追いかけて後ろから縋りついて泣き出した。
「ごめんなさい!もうしないから見捨てないで!!
わ、私っ……千賀流さんに嫌われたら死んじゃう!!ごめんなさい!千賀流さんごめんなさい!
うぅっ……わぁあああああん!!」
「…………」
後ろから抱きついてわぁわぁ泣いている絵恋様に、旦那様は一瞬困った顔をする。
しかし、絵恋様に対しては厳しい顔つきで、腕を引いて……
無理やり彼女をベッドに押さえつけてお尻を叩いた。
バシィッ!
「きゃぁぁああ!わぁぁぁんごめんなさぁぁぁい!」
真っ赤なお尻をまた叩かれた絵恋様が泣いている。
旦那様はそんな絵恋様の頭を優しく撫で、少し口調を和らげて言う。
「絵恋、私は君を嫌いになったりしないよ?」
結局コーナータイムはやめにしたらしく、いつものようにベッドに座って絵恋様を抱きしめて撫でる旦那様。
その姿を見て、私も心底ほっとしてしまって……
「あら?月夜、泣いてるの?」
「あ……」
旦那様に甘えながら不思議そうな顔をする絵恋様に、そう指摘されて気づいた。
自分が涙を流していることに。
「っ、これは、だ、大丈夫……!!」
「全然大丈夫じゃないわよ。いらっしゃい?」
私は恥ずかしくなりながらも絵恋様の前に歩み寄って膝をつく。
「貴女に心配をかけてしまったわね……ごめんね、月夜……」
絵恋様にそっと頭を撫でられ、泣き止もうとした私の涙が一気に溢れてくる。
「わっ、私は……うっ、うぅっ!!」
いつだったか、絵恋様が父親の愛人に呪いをかけるために自分を傷つけて
血液を使ったことがあった。その時は、頭が真っ白になってみっともなく泣き喚きながら
“お願いですからこんな事は今後一切やめてください!!”と彼女に縋った。
あの時から、二度と絵恋様の前で泣くまいと思っていたのに……。
「ほらごらん。こんな風に月夜を悲しませて。反省しなくちゃいけないよ絵恋?」
「う……ごめんなさい……。月夜、私、反省したから泣かないで?」
「月夜……辛い思いをさせてしまってごめんね?」
こんな風に旦那様と絵恋様に気を遣わせてしまって……
やはり、私はメイドとしてまだまだ鍛錬が足りないらしい。

そう思った一日だった。




気に入ったら押してやってください
【作品番号】BSE10

戻る 進む

TOP小説