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![]() 俺は貴方を愛してたんです。本当です。 「ごめんねチロ。実は僕、好きな子が輪姦されるのを見るのが好きなんだ」 貴方が一度だって俺を抱いてくれなかったのは、こんな事の為に温存してたからなんですか? 「だからお願い。お前の一番綺麗な姿を見せて?」 本当に怖くて、それにショックでした。俺はこう見えて清純派なんです。 “初体験は愛する王子様と……”なんて、本気で考えてたクチなんですよ?それを…… 何度も貴方に助けを求めたのに……無視した挙句、目の前でオナニーだなんてド変態じゃないですか。 でもね、俺も貴方の事は言えないんです。 だって、訳の分からないオヤジ共に犯されても痛くなかったんですもの。ただただ気持ち良くて。 ああ、罰が当たったんですね。母さんや真由の為だなんて言って、貴方と楽しく恋人ゴッコなんてしていたから。 そんな最低な俺の人生はここで終わるんです。でも、 ――良かった。これで心おきなく残りの人生全部、母さんと真由の為だけに捧げられる。 そう考えたら、とても嬉しくなりました。 せっかくなので貴方にもらった“チロって名前”と“家族の為の人生”、ずっと大切にしますね? さようならアオイさん。 死ぬほど憎くて愛しい人。 パンドラBOX〜上倉大一郎の場合(後編)〜 おそらく、地上で最も不浄なるこの屋敷に突然現れた廟堂院という男。 さんざん俺のペースを乱されて手こずらされたけれど、ここでやっと本性を現した。 今から俺の尻を叩いてお仕置きするらしい。 ほらきた!旦那様や以下同等の変態ゲストと同じ性癖!! そうだよ!優しい顔したイケメンの金持ちが一番エグイ性癖なんだ!アオイさんがいい例だ! 俺の目に狂いは無かった!コイツはここで汚い本性を剥き出しにする! つまりは俺の完全勝利!! 分かるだろうか?廟堂院の膝に上る時の俺のこの高揚感!! だから言ってやったんだよこの聖人面した変態に! 「ねぇ廟堂院様?旦那様も他のお客様も……チロのお尻を叩くのが大好きみたいで、 チロも叩かれるとすぐ気持ちよくなっちゃうんです…… つまり、私にとってはお尻を叩かれる事はセックスと同じようなものなんですよね。 廟堂院様も同じような性癖みたいでホッとしました〜〜♥」 「……私は、そんなつもりはないよ。性的な感情抜きで君をお仕置きしたいと思ってる」 「貴方みたいなめんどくさい人、嫌いじゃないですよ♥ ねぇ早く早く♪私をめちゃくちゃにしてください!」 「…………」 廟堂院が無言で手を振り上げる気配。 ゾクゾクと時を待てば間もなく…… ピシィッ!! 「ふぁっ!!(あ……あれ?)」 一発目に感じた違和感。慣れた痛みがある。それはいい。 その不思議な感覚を消化しきれないうちに次々と平手を振り下ろされる。 ピシッ!パシッ!パシッ! 「ひっ!?いっ!?(まっ、待って……何だコレ!!?)」 痛い。そう、それはいいんだ。当たり前だ。俺はマゾだけど痛覚を失ったわけじゃない。 だけど、こない。足りない。痛みに付随するはずのあの感覚が……! パンッ!パンッ!パンッ! 「やっ、あぁっ!!なっ、何っ……うぁぁんっ!?痛ぁぁっ!」 何で!?今日は調子が悪いのか!? 感じない!全然、全く、気持ちよくない!! 何度叩かれてもただ痛いだけで、俺は焦った。 今まで一度もこんな事は無かったのに!! (何でこんな事が……どうしたら……!?) 叩かれるたびに漏れる自分の悲鳴を聞き流しながら俺は必死で考える。 けど、こんなの本当にどうしていいか分からない。 とにかく痛いし混乱するし!!耐え切れなくなって思わず叫んだ。 「や、やめて!やめて下さい!!」 「私は君の本当の言葉が聞きたい」 「は!?」 「君はどうしてこんな事をしてるの?」 「くっ……んんっ!」 パンッ!パンッ!パンッ! 廟堂院の質問に答える気は起きなかった。 それよりも、俺はこの異常事態に自分を落ち着かせるので精いっぱいだ。 (耐えろ……!大丈夫、慌てる事はない!今日はスロースタートなだけだ! すぐに気持ち良くなる!いつもみたいに……!) 歯を食いしばって俺は思いついた。 そ、そうだ!気分を上げるにはまず形から! いつも通り喘いでいればきっと感覚も後から付いてくるはずだ! そう思って早速実践してみた。 「あ、んっ、廟堂院様ぁぁ……気持ち、いいですぅ、いっ、づ!!」 「そうは見えないけど?」 「ぁ、はぁ♪とんだ……節穴お目目ですねぇ、あぅっ!い、た……!」 出来るだけ余裕出そうとしても上手くいかない。どうしても悲鳴が混ざってしまう。 くそっ……演技力だけは自信あるのに……!痛いだけってのが、こんなにも辛いなんて! パンッ!パンッ!パンッ! 「は、ぁ、やっ……痛っ、うっ!」 じわじわ涙が出そうになってきた俺の尻を叩きながら 廟堂院は相変わらずのイラつくお説教を続けている。 「チロ君、こんな事してちゃいけない。君はこんな風に暮らしていいような子じゃないと思うんだ」 「ふっ、ぁははっ、やっぱり節穴ですね貴方の目は!私みたいなド淫乱の変態マゾ野郎こそが この屋敷にジャストフィットじゃないですかぁッ!!あははは、ぁああっ!」 「君だって本当はこんな事したくないんだろう?お父さんやお母さんはどうしてるの? きっと心配してるよ。家に帰ろう?」 「!!」 『家に帰ろう?』 その言葉に、心臓の抉られる様な心地がして、慌てて俺は言い返す。 「ひ、んっ、バカ言わないで下さいよ……私、自分の家族が大嫌いなんです!」 ジクジク嫌な痛み方をする心を振り切りたくて、何よりも俺の未練を振り切りたくて 逃げるように…… 「帰りたくないんです!私の実家って貧乏だし! 父親は不器用でハイパー役立たずのボンクラで、母親はやつれて枯れ果ててるし! 弟は引きこもり気味でおかしくなっちゃってるし!辛気臭いったらありゃしない!」 心にもない事を自分で言って、涙が溢れてくれる。 嘘は付き慣れてるはずなのに。今は泣いてる場合じゃないのに。 でも、涙を堪えようにもだんだん目頭は熱くなるし、声が震えだしてきた。 「そ、その点、この屋敷にはツヤツヤしたイケメンがいっぱいで、 部屋も食事もゴージャスで、皆が私を可愛がってくれるし本当に快適なんです! 私、実家に帰るくらいなら死んだ方がマシです!本当にっ、……!」 泣くな!笑え!笑えってば!笑わなきゃ、騙せない!! そう思って一生懸命笑おうとした。けど…… 「私、私は……あんな家族、大っ嫌っ……うっ」 最後は言葉にならないくらいに泣いていた。 廟堂院の悲しげな声が聞こえる。 「私をあまり見くびらないで欲しい……そんな風に言われたら、嘘だって事ぐらい分かるよ。 本当は家族が大好きなんだね?だったら、どうして……」 「うるさい!嘘じゃありません!」 俺は廟堂院の言葉を遮って叫ぶ。 だんだん、廟堂院が怖くなってきた。コイツは的確に心の中に踏み込んでくる。 これ以上コイツに何も言われたくなかった。 だから必死に黙らせようとしてなりふり構わず言葉を投げつける。 「何も知らないくせに偉そうな事言わないで下さい! 全部上手くいってるんです!俺っ、私が、ここで稼ぎ続ければ、全部上手くいくんだ! どうせ私の事見下してるんでしょう!?可哀想な若者を助けて、優越感に浸りたいんでしょう!? そういうの迷惑です!偽善者ごっこがやりたきゃ他所でやれ!」 「……そうか、だんだん分かってきた。そうやって嘘で全身を着飾って、自分の事まで騙し続けてきたんだね?」 パンッ!パンッ!パンッ! 叩かれ続けている尻が痛かった。 俺は冷静に廟堂院の言葉から身を守らないといけないのに、まとも物が考えられない。 今まさに、廟堂院が何か言っているのに。 「君は家族が大好きで、本当は家に帰りたいんだ」 「ちっ、違っ……あぁああ!」 パンッ!パンッ!パンッ! 「でも、何らかの事情で帰れない。やたらお金の事を言っているから、 君の収入が無いと家族が暮らせないのかな? 本当はこんな事したくはないけれど、大好きな家族の為に仕方なく……」 「違う!やめて!ぁぅぅっ、やめて下さい!」 パンッ!パンッ!パンッ! 「可哀想に。辛かっただろうね。そういえば、よくお尻を叩かれるんだって? 今までたくさん痛い思いをして、怖かっただろう? それでも君は、“自分はいい暮らしをしているから幸せだ”って無理に言い聞かせて……」 「やめてください!言わないで下さい!本当にやめてぇぇっ!」 自分の中の世界が壊れそうで、俺は必死で泣き叫んだ。 でも…… 「助けて欲しい時は、“助けて”って言ってもいいんだ。チロ君、今がその時なんじゃないのかな?」 「うわぁああああああん!!!」 大声で泣いてしまった。 必死に見ないようにしてたのに!気付かないようにしてたのに! それを剥ぎ取られてしまったら、俺は本当は“ここに居たくない”と、気付いてしまうから!! でも、廟堂院はいとも簡単に最後の壁を壊してしまった。 悔しくて、悲しくて、感情が溢れて……俺は喚いた。 「無責任!!貴方は無責任です!偽善者!最低だ!貴方が何をしてくれるって言うんです!? じゃあ貴方が俺達の生活費を払うんですか?!貴方が真由の学費を払うんですか?! 貴方が真由の為に貯金するんですか!?貴方が……!」 声が詰まった。でも俺は自分の言葉を止められなかった。 「貴方が父さんを生き返らせてくれるんですか!?」 「チロ君……!!」 父さん!父さん父さん父さん父さん!! 心の中で叫びながら、俺は止まらない涙を流していた。 「もう何もかも遅いんです!俺達が幸せに暮らすにはこうするしかないんです! 放っておいてくださいお願いですから!!」 「違うよ!こんな事していて君の家族が幸せになれるはずがない! そんなの、君のお父さんやお母さんは喜ばないよ!?」 「喜ばない!?当たり前です!父さんや母さんがこんな事喜ぶわけないじゃないですかバカですか貴方!?」 「本当はもう分かってるじゃないか!今は君が一人で犠牲になってるだけだ!そんな幸せ、家族の誰も望んでなんかない! 生活費なら払う!ここを出て、私の屋敷で働けばいい!もう、何も心配しなくていいんだ!」 「……え……?」 「帰れるよ?ここを出よう……大丈夫、またやり直せるから」 「……」 感情だけが止まってしまった様に、涙だけがハラハラと零れる。 もう一度、廟堂院の言った事を整理する。 雇って、くれる?俺を?廟堂院家で雇われるなんて、きっとここより稼げる…… もう、こんな生活をしなくても……稼げて、俺は帰れて…… 「……いや、無理です……」 勝手に口がそう言っていた。 全部解決したというのに、俺は急に怖くて堪らなくなった。 とにかく怖くなって、無意識に否定的な事を喋り続けていた。 「夢とか学歴とか自由とか、家族とか、捨てて……プライドとか貞操とか……大切なもの、全部売ってしまいました…… もう俺には母さんや真由と暮らす資格なんて無いです……」 「そんな事ない!きっとお母さんや真由さんは君に会いたいと思って……!!」 「お、俺、いや、私、は、ダメなんです……父さんも母さんも、真由も裏切って、戻れない……! 父さんはきっと全部見てる!!誰にも許してもらえるわけがない!!」 「そうか……それか……」 「……?」 「それだったんだね?本当に君をこの屋敷に閉じ込めてるものの正体は……」 「な、何言って……?」 「この親不孝者!!」 ビシィィィッ! 「うわぁあああっ!?」 急に強く叩かれて堪らなく痛かった。 冗談抜きで跳ねてしまって、そこをまだ何度も叩かれる。 ビシッ!バシッ!バシィッ! 「親にもらった体を安売りして!お父さんとお母さんに謝りなさい!」 「痛い!痛いです!やっ、やだ痛いぃぃぃぃっ!」 「痛いじゃないだろう!?君がどれだけ取り返しの付かない事をしてしまったか分かってるの!? お父さんとお母さんと、あと真由さんに申し訳ないと思わないのかい!?」 「うぇっ、うわぁあああああん!ごめんなさぁぁぁい!」 バシッ!バシッ!バシッ! どうして廟堂院が急にこんな風に俺を責めてくるのか分からなかった。 でも言われている事に反論のしようが無いし痛いしで俺はとっさに謝っていた。 「ごめんなさい!ごめんなさぁぁぁい!」 「ダメだ!もっとちゃんと謝りなさい!一体どれだけ家族皆の想いを踏みにじってきた事か…… ご両親がお仕置きできなかった今まで分、全部叩いてあげるから覚悟して! ほら、“ごめんなさい”はどうしたの!?」 「うわぁああああん!ごめんなさい!父さん母さんごめんなさいぃぃぃっ!」 バシッ!バシッ!バシッ! 謝っても謝っても廟堂院の叩き方は厳しかった。 されるがままに何度も謝っているうちに、本当に父さんや母さんに叱られている気分になってきて 気がつけば俺は泣きながら心底両親に謝っていた。 「ごめんなさい!本当にごめんなさい!父さん、母さん、ごめんなさい!本当に、本当に……!」 「そうだよ、もっと謝って!気の済むまで謝って!」 「あぁっ、真由……真由!ごめん、なさい!ごめんなさい!!」 謝るたびに罪悪感が込み上げてきてふっと軽くなる。そんな感覚を繰り返す。 「父さん、母さぁぁぁぁん!うわぁああああん!ごめんなさぁぁぁい!」 バシッ!バシッ!バシッ! 「ごめっ、なさい!と、さん、かっ、さん!うっ、ぇっ、ごぇん、な、さい!」 本当に叩かれているのが辛くて、尻が痛いのか熱いのか分からないくらいで、 それでも、俺はいつまでも謝り続けたかった。 だんだん言葉がおぼつかなくなっても俺は謝るのをやめられなかった。 「ぐすっ、ひっく、ごめんな……さっ……ひっく!!」 「……チロ君。もういいよ。君が心から後悔して、反省してるのがよく分かった。 お父さんもお母さんも真由さんも、きっと許してくれたよ」 「いっ、いいえ!いいえ!どうかもっと叩いてください!」 廟堂院に叫んだ言葉で自覚した。 俺は……ずっと、こんな風に父さんや母さんや、真由に謝りたかったんだ。 そう思ったら涙が止まらなくなって、廟堂院の服を握りながら懇願した。 「こんなんじゃ足りない!!うっ、全然足りないんです!!全然っ!!」 「チロ君……」 けれども廟堂院はそれ以上俺の尻を叩かなかった。 抱き起こして、強く抱きしめてくれた。俺も思わず縋りついた。 「ごめんなさい!ずっと……ずっと謝りたかったんです!父さんと母さんと真由を、裏切ったから! でもこんな事言えなくて!母さんは絶対自分を責めるし、真由だって、きっとショックで!! 2人に嫌われるのも怖かった!!」 「うん……」 「本当は、学校やめたくなかった!母さんや真由と一緒にいたかった! でも、怖くて……お金が無かったら、真由が……母さんがっ!!」 「うん……」 「父さんさえ死ななきゃ、こうならなかったって、何度も恨もうとしたんです!! でもっ、父さん笑ってて、思い出すと、いつもヘラヘラ笑ってて!! 何度思い出しても恨めなかった……!!俺っ……俺ぇぇ……!」 「チロ君……きっと、お父さんが私達を巡り合わせてくれたんだね。 今まで、君は十分頑張った。もう大丈夫だよ。帰ろう、君の家族のところへ」 「うぅっ……うわぁああああああん!!」 俺は大声で泣いた。 どれだけ、この瞬間を待ち望んだ事だろう。 父さんと母さんに、それに真由にも謝って、全部の心配が無くなって。 もう一度、やり直すことができる。 この人が全部与えてくれた。 俺の話を聞いてくれて、温かくて大きな優しさで俺を包み込んでくれた。 喜びと安堵感で俺はいつまでも泣き続けて、 廟堂院は――いや、廟堂院様はそれをひたすら受け止めてくれた。 この人は何て素敵な人だろう。この人に付いていきたい。 心からそう思った。 そう、決めた。 そして 廟堂院様に付いていくと決めたものの、俺はすっかり他の事を考えて無かった! あの旦那様がそう簡単には俺を手放さな…… 「廟堂院さん、チロを、よろしくお願いします」 「もちろんです」 「…………」 いともあっさりと俺を手放した。 正直ビックリだ。一体、どうやって説得したんだ? 脅した?いや、旦那様はまるで憑き物が落ちた様な晴れやかな顔をしている。 顔の造りはキモ……ん、変わらないのに別人のような爽やかさと言うか…… (ま、まさかこの方は現代に蘇った救世主!?浄化の光で醜い心を解き放つ特殊能力が……? ハッ!!だから、俺のドMセンサーが効かなくて!?) 俺がそんな事を考えつつマジマジと廟堂院様の顔を見ていても、彼はいつも通り穏やかに笑うだけ。 真相はよく分からなかった。 最初は俺をあんなに敵視していた執事の男もすっかり友好的になって “君を廟堂院家の名に恥じない立派な執事にしてみせますぞ!”と張り切っていた。 とにかく俺は、この屋敷を去る事になった。 その記念……と言ってはなんだけれど……俺は勇気を出して廟堂院様に言ってみた。 「廟堂院様!私と付き合って下さい!」 「「!!」」 二人は驚いて、執事男はワナワナと震えだす。 「き、き、君っ!!また性懲りもなく千賀流様を……!」 「待って四判!落ち着いて!あの、チロ君?私は結婚しているし……」 「この屋敷で、私の事を、“抱く”んじゃなくて“抱きしめて”くれたのは貴方が初めてでした。 貴方の優しさと深い愛……好きになってしまったんです……愛人でも、構いません!!」 彼は真実を汲み取ってくれる人(顔面蒼白の執事男は無視だ)。この誠実な告白も伝わるはず。 そう、久しぶりの本気の恋なんだ!俺は彼に惚れた! でも廟堂院様は困った顔をしていた。少し視線を彷徨わせて、そして申し訳なさそうに言う。 「ごめんね。君の気持は受け取れない。君の事はいい子だと思う。 でも、私が愛してるのは妻の、絵恋一人なんだ」 「……そうですか、分かりました……」 失恋してしまった。でも、不思議といい気分だ。 それでこそ、廟堂院様だと思った。 彼の絶対的な誠実さを見て、安心したというか……どこかで俺は振られる事を、望んでいたのかもしれない。 だから、笑顔でこう言えた。 「あ〜あ、廟堂院様ったら、後で後悔しても遅いですからね♪」 「……ごめん」 「構いません。私を抱きたい男は他にいくらでもいますから♥」 「こらチロ君?……あ」 廟堂院様が急に何かを考え込むように黙って、こう言う。 「“チロ”っていうのは、あまり現実的な名前じゃないね…… この屋敷での名前、だよね?本当の名前は何て言うの?」 「……大一郎です」 「いい名前だ」 「父が付けてくれたらしくて……」 「素敵なお父さんだね」 こんなにも自然に褒められて、俺も嬉しくて笑顔になる。 すると、廟堂院様がそっと俺の手を握ってくれた。 「大一郎君。改めて、よろしくね。今日からは私が君の“旦那様”だ」 「旦那様……」 「そう。これから全部新しくなるね。 だから、“チロ”っていう名前もここへ置いていこうか?」 「…………」 俺は黙って俯いた。少しだけ寂しくて。 廟堂院様……じゃなくて、旦那様が俺の顔を覗きこんだ。 「嫌かい?」 「いいえ。ただ、少し名残惜しくて。大好きな人がくれた名前ですから……。 でも、元カレの思い出を引きずってても仕方ないですよね?」 「も、モトカレ……?」 「私、今日からきちんと“大一郎”として生きていきます! だって、この名前も“大好きな人” がくれた名前ですから! よろしくお願いします!旦那様!」 笑顔で言い切ってしまえば意外と未練も無い。 旦那様も優しく笑ってくれた。 俺は新しい一歩を踏み出した。もうきっとここへは戻って来ない。 来週には母さんや真由とも会える予定だ。 久しぶりの外の景色は何もかもが輝いて見えた。 空を見上げれば清々しいほど青い。 父さん、嘘つきなんて言ってごめん。 父さんはちゃんと俺を守ってくれたんだね。 ありがとう。 今度こそ、父さんの代わりに全部守ってみせるから。 |
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【作品番号】PB3・3 |
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