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![]() お父様なんて嫌い!あの女はもっと嫌い! だからもう口なんてきかないわ。でも…… ああ、どうしよう……このままじゃ私も『人形』になってしまうわ……。 パンドラBOX〜廟堂院絵恋の場合〜 名門、二城条家の妻、二城条絵玲奈(にじょうじょう えれな)。通称『人形夫人』。 とっても美人だけど笑わない、泣かない、怒らない、何も話さない。ただ、綺麗な姿でそこにいるだけ。 言葉通りの生きた『人形』。それが私のお母様。 「お母様!遊びましょう!今日はお庭へピクニックへ行くの!さぁ、立って!」 そう言うと、椅子に座っていたお母様はすっと立ち上がる。私が手を引くと一緒に歩き出す。 お母様は話さないけど、私の言っている事は分かるから。だから私は子供の頃たくさん遊んだわ。 お庭の木陰にクロスを引いて、持ってきたパウンドケーキの包みを開けて 「はい、これはお母様のぶん。食べて」 切り分けられた一つをお母様に渡して声をかけたら、お母様は小さなお口でパウンドケーキを食べる。私も一緒に食べる。 こんなピクニックごっこ、素敵でしょう?もちろん美味しい紅茶もあるわ。 「見て、あそこ。大きな花と小さな花が仲良く並んで咲いてる。きっと親子なのよ!私とお母様みたいね!」 私が笑う。お母様は笑わない。けれど、花の方は見ているの。ちゃんと私の話を聞いてるの。 ああ、優しい綺麗なお母様!私の大好きなお母様!私はお母様の胸に顔をうずめながらこう言うのよ。 「お母様、愛してるわ!お母様だってそうでしょう!?」 お母様は何も話さないから、お母様の言葉は代わりに私が…… 傷一つない白くて綺麗な手を、私の頬にあてがって、心の底から言うの。 「私も、愛してるわ絵恋……」 自分でそう言って、涙が出てきたの。どうしてだか分からなかったわ。 でも止まらなくなったからお母様の胸で泣いたの。 お父様はお母様が何も話さないのが嫌だったみたい。いつもお母様にイライラしていたわ。 私はお母様に辛く当たるお父様が嫌いだった。お父様も、もっとお母様に優しくすればいいのに。 でもお父様はめったにお母様に関わろうとしないから、それはそれで良かったの。 お母様にはいつもお世話をしてくれる侍女のアンリがいて、彼女がいれば事足りる。 アンリは少しぽっちゃりした優しいおば様で、私はアンリも大好きだった。 この日も私はお母様と遊ぼうと思ってお母様のお部屋に来たの。たまたまかしら?アンリはいなかったわ。 「今日はかくれんぼをしましょうお母様!私が隠れるから、50数えたら探して見つけてね! じゃあ今からよ?目隠しして数を数えて?」 お母様が目隠しをしてじっとしてる間に、私は部屋にあった大きな洋服ダンスに隠れた。 50秒たって、お母様は私を探し始めた。キョロキョロしながらベッドの掛け布団をめくっているお母様が可愛らしくて 私は小さな声でクスクス笑ってしまったの。 けれどその時、ドアが開いたわ。入ってきたのはお父様だった。 「絵玲奈……何をしてるんだ?」 いつもみたいに冷たい口調で言うお父様。お母様はお父様の顔をじっと見つめて黙っていた。 そうしたら、お父様の口調が余計厳しくなった。 「いつまでそんな態度を続ける気だ?わざとやってるんだろう!?本当は喋れるんだろう!?」 「…………」 「おい!いい加減にしろよ!もう俺も限界なんだ!どうしてお前は一言もしゃべらないんだよ!?」 お父さんが乱暴にお母様の肩を掴んだから私は緊張した。 お母様がもし叩かれそうになったら助けに行かなくっちゃ!と思って二人を見守ったわ。 でもお父様は手を上げなかった。ゾッとするような笑みを浮かべて言ったの。 「そうか……そっちがその気なら、俺にも考えがあるんだ。本当は、口がきけるくせに!」 お父様はお母様を乱暴にベッドに押し倒した。 ブラウスを乱暴に手で左右に引き裂いて、ブラジャーをずり下げる。 露わになったお母様のふくよかな胸を鷲掴みにして、強引に揉みしだく。 (お母様……!!) 私は何が何だか分からなかった。 ただ、お父様がお母様に乱暴な事をしているって……目の前でとても恐ろしい事が起こっている事だけは分かったの。 すぐにでも助けに行きたかったけれど怖くて体が動かなかった。 外では恐ろしい獣のようなお父様の叫ぶ声が聞こえる。 「ほら!どうした!?お前は感度も死んだ人形か!?」 「んっ……ふっ……!!」 「あ……!!」 かすかに聞こえたお母様の声。初めて聞いたその声はとても苦しそうで胸が締め付けられたわ。 なのに、お父様は……お父様は嬉しそうだった!! 「……ほ、ほら、話せるじゃないか!声が、出るじゃないか絵玲奈!こんな時だけお前は声が出るんだ! 何でだよ!?毎日抱いてやればいいのか?!なぁ、絵玲奈!絵玲奈!!」 「……っ、ぁ……!!」 お父様が、乱暴にお母様の胸をこね回す。指をぐりぐり動かしてその頂きを弄ぶ。 そのうち胸に吸いついて……いや……やめて!!やめてやめてやめてやめて!!これ以上お母様を虐めないで!! (誰か来て!アンリ!アンリ来て早く!!) 見たくも無いのに目が離せなかった。怖くて怖くて、震えながら声を殺して涙を堪えるしかなかった。 お母様の苦しそうな声が耳から離れないの……気が狂いそう!! お父様の乱暴はどんどんエスカレートしていって、ついにスカートを押し上げて、下着を脱がせたわ。 (ダメ!!そこに触ってはいけないって、前にアンリが!!) 私は知っていたもの。女の子のそこは絶対に触ってはいけない場所だって。 女の子が一番守らなきゃいけない場所だって、前にアンリが言ってたもの! でもお父様は私の声なんて聞こえない。優しさのかけらも無い手つきで、お母様の大事な場所に触る。 ああ、触るなんてもんじゃなかったわ。吐き気のする様な手つきでさすって、指を突き立てる。何度も何度も。 私は叫びたかった。心の中の叫びを、声に出してしまいたかった。でも、声が出ないの……全然出せない……。 (大切な場所にあんな事をされて、お母様はどうなってしまうの!? 死んでしまうの!?嫌よ……大好きなお母様を、殺されてたまるもんですか!!) お母様を助けたかったの。それしか考えてなかった。 足が動かなかったから倒れ込むように全体重を扉にかけて、私は洋服ダンスから転がり落ちるように飛び出した。 「アンリ!!アンリぃぃぃぃぃっ!!うわぁああああああん!!」 泣きながらアンリの名前を叫ぶことしかできなかった。その場で腰が抜けてたもの。 私の泣き声が届いたのか、アンリはすぐに飛んできてくれたわ。 悲鳴を上げてお父様を怒鳴りつけて、私を抱きしめてくれた。あの時は本当にホッとしたの。 お父様?さぁ、どんな顔をしていたかしら?知らないわ。 それから私はお父様と一切口をきかなくなった。 お父様が大嫌いになった。当然よ。お母様にあんな事をしたんだから。 お母様やアンリとは今まで通り仲良くしたわ。でもその頃から、お母様の体調が悪くなった。 最初はピクニックごっこができなくなって、次はかくれんぼができなくなって、立つことができなくなって…… ゆっくりゆっくり、でも確実に弱っていった。お母様がベッドにいることしかできなくなっていた時、私は13歳だったの。 お母様と遊べなくなって寂しかった。アンリもお母様の看病で付きっきりだったし。 でもね、この頃に新しい遊び相手が出来たの。新しく私の世話係としてやってきた、5つ年上のメイドの『月夜(つきよ)』。 背が高くて(胸は無さそうに見えるけど)すごくスタイルが良くて、褐色の肌が色っぽいのに凛々しい感じ。不思議な子だったわ。 「初めまして、絵恋お嬢様。月夜と申します。絵恋お嬢様に永久の愛と忠誠を誓う為にやって参りました」 そう言って、どこかの王子様がするみたいに膝を折って私の手の甲にキスをするの。 フリフリのメイド服の、黒髪を左右編み込みにしてお団子に束ねてる綺麗な女の子が。 そのチグハグな感じに思わず笑っちゃったわ。月夜はキョトンとしていたけど。 私はすぐ月夜と仲良くなった。色々な遊びをしたけど、彼女の長い髪を色々な形に結って遊ぶのが楽しかったの。 だって月夜ったら自分ではいつも編み込みのお団子ヘアしかやらないんだもの。 だから私が、うんと女の子らしくしてあげて、月夜は困ってる。それが面白いの。 「絵恋お嬢様……このような髪型は私には似合わないのでは?」 「そんな事ないわ。可愛いもの」 「しかし……このように髪を遊ばせておくのはメイドとしての清潔感にも欠けますし……」 「あら、そんなワガママを言うなら短く切ってしまえばいいのよ」 「そうすると男に間違われます」 「メイド服を着ているじゃない」 「女装した男に間違われます。いちいち訂正するのが面倒なのです」 大真面目な顔でそう答えた彼女に、私は大笑いしたの。本当に月夜は楽しいわ。 けれど、月夜がうちに来てくれて楽しい半面……気に入らない女もやって来だしたの。 嫌な女。何もかもが嫌な女よ。 お母様と同じくらいの年齢が嫌い。強欲さが透けて見える綺麗さが嫌い。 白々しい聖母の様な笑顔も嫌い。狡猾に私に優しくするのが嫌い。 媚びるような優しい香水の香りも嫌い。 そんな女がこれ見よがしにお父様と仲良くしてるの。 許せない!お父様にはお母様がいるのよ!?この女の入る隙なんか無いわ!! 私はお母様に代わってこの女を追い出さなくっちゃって思ったの! どうすればいいか本で色々調べたわ。それで結局、悪魔や悪い妖精の力を借りることにしたのよ。 月の満ち具合も完璧な決行日。 いつものようにやってきたあの女の、目の前に立ったわ。 「あら、こんにちは絵恋ちゃん」 いつもの猫なで声にはうんざりよ。私は素早く小瓶を取り出して、中身をあの女にぶちまけてやったの。 キラキラした下品なドレスが赤黒く染まる。驚いた女が一歩後ずさった。 「な、何なのこれ……?」 「私の血よ」 女が真っ青になる。私は胸がスっとしたわ。 「死になさい。メス豚」 「いっ……いやぁあああああああっ!!」 あの女、大声で悲鳴を上げて走って帰っていった。 ああ、最高の気分だったわ!本当に達成感でいっぱい! 「ふ、ふふっ、あはは、あはははははははは!!」 笑いが止まらなくて、ずっと笑い続けた。 でも……この後が最悪たっだの。 「何て事をしたんだ絵恋!!彼女がもう来てくれなくなったらどうしてくれる!?」 お父様が鬼みたいな顔で私を怒鳴る。無理やりお父様に手を引かれて歩かされたわ。 手は痛いし、すごくイライラした。 「離して!身の程知らずのメス豚を追い払っただけじゃない!お母様のために!」 「雌豚だと!?いつも彼女に良くしてもらってるくせに、この恩知らず!!今後一切こんな事はしないと、彼女に謝ると誓え!」 「イヤよ!絶対イヤ!何で私があんなメス豚に……あんな女、もう一生ここに来なくていいわよ!」 「このクソガキ!!」 「きゃっ!!」 いきなり廊下のど真ん中で地面に突き飛ばされたかと思ったら、無理やりお父様にうつ伏せにさせられて下着を脱がされたの。 私は急に怖くなった。お父様がお母様にした事を思い出したの。 あの時のお母様と同じように、大事な所に乱暴されるかと思うと我慢できなくて思いっきり暴れたわ。 「離して!離してよ!いやぁあああ!誰かぁぁあああっ!!」 「うるさい!言っても分からないならこうしてやる!」 そのまま乱暴に横抱きに抱えられて、お尻を打たれた。 大事なところには触られなかったけど、お尻はすごく痛かったの。 パァンって大きな音が何回も鳴るのよ? 「いっ、いや!痛い!痛い!」 「二度と彼女に妙なマネするなよ!?分かったか!?」 「な、何よ!あんなメス豚!泥棒猫!」 「ノエルの悪口を言うな!」 パン!パン!パン! お父様があの女を庇うのが悔しかった。 だから私も言い返して、そしたらますます叩かれて…… お尻は痛くなるばっかりだったわ。私も謝る気は無かったから、全然終わらなかったの。 泣きたくなったわ。 「絵恋、大人しくする気になったか!?反省したか!?」 「ふっ、ふざけないでぇっ!わたしっ、悪くないものぉっ!」 パン!パン!パン! 叩かれたくらいじゃ、私の闘志は折れないの!お母様の為よ! 泣きながら頑張って言ったの! 「何度だって、ひっく、追い返すわ!あの女、何度でも、血を!あぁ、血まみれにしてやる!何度でも!」 「気味の悪い!お前、頭おかしいんじゃないのか!?さすが、あの気狂い女の腹から生まれただけある!」 お父様にそう言われた瞬間、思わず痛みを忘れたの。 『さすが、あの気狂い女の腹から生まれただけある』ですって……? ……気狂い女?何……?お母様の事……? 頭が真っ白になるっていうか、真っ赤になるっていうか……一気に頭に血が上って、私は叫んだ。 「な、何よ……気狂いはどっちよぉぉぉっ!!」 お母様にあんな事して、女を作って、バカにして……!!今までの事を考えたらお父様が一気に憎くなったの! 「許さない!許さない許さない!お母様を侮辱した!絶対に許さないんだから!」 「お前が許さないも何もないだろうが!とっとと謝れ!」 バシィッ! 「いやぁああああっ!!うわぁああああん!」 お父様の平手が痛すぎて泣き叫んだわ。もう嫌。限界。 「お母様!お母様ぁぁぁっ!!うわぁああああん!」 「うるさい!うるさいんだよ!絵玲奈を呼んだって返事もしないのに!!」 バシッ!ビシッ!バシッ! お母様を呼べば呼ぶほど強く叩かれた。何度も叩かれた。 痛くて、涙が止まらなくて、怒りがおさまらなくて……私はずっと喚いたわ。 「お母様ぁぁああああ!!うわぁああああん!」 「旦那様、もうそのくらいで」 月夜の声だったわ。月夜が私を助けに来てくれた!痛いのが止まったの! 彼女がお父様の手を掴んで止めてるみたい! 「離せ!このっ、メイドの分際で……!」 「もうそのくらいで」 有無を言わさない低い声だった。 お父様は叩きつけるように私を地面に放り出したけど、そんなのは気にならなかった。 私の心は、お母様を侮辱された怒りでいっぱいだったもの。 「月夜!!お父様をブン殴って!お母様を侮辱したわ!『気狂い女』って!」 月夜に叫んだの。 そしたら、月夜は迷わず手を振り上げて、お父様の頬を叩いた。 パァンッ!! 乾いた音が鳴って、お父様がヒステリックに怒鳴る。 「貴様っ……主人に向かって……!!」 「私の主は絵恋お嬢様ただ一人です!!」 「月夜……月夜ぉぉぉぉっ!!」 私は月夜に抱きついて泣いた。月夜は私を撫でて、お姫様みたいに抱きかかえてくれたわ。 「参りましょう絵恋お嬢様。こんな『気狂い男』は放っておいて」 月夜の物言いがとっても気持ち良かった。 お父様が後ろから何か喚いてたけど、ざまぁみろと思ったわね。 それからも、ずっとあの女は来ていた。 お母様の容態が悪くなればなるほど、頻繁に来ていた。 私はといえば、あの女を追い払うよりお母様の傍にいる事で精いっぱいだった。 毎日話しかけたの。“早く元気になって”とか、“私を置いて行かないで”とか、色々。 月夜もアンリも一緒にお母様の看病をしたわ。アンリは私達に隠れて泣く事が多くなった。 何となく、お母様とお別れする時が近いのかもって思ったわ。 そして私の勘は当たったの。 ある朝、いつもと同じようにベッドに横たわるお母様に話しかけてたら、お母様が私の方に腕を伸ばしてきた。 お母様が自分から動く事なんて、今までなかったから……こんな事初めてで、びっくりして!! とにかく焦って、腕の中に飛び込むようにお母様を覗きこんだの。 「どうしたのお母様!?苦しいの!?」 お母様は話さないから、もちろん返事は無かったけれど、弱弱しい両腕が私を抱きしめたの。 そのまま、お母様は死んでしまったわ。 私は涙が止まらなかった。その日一日、声が出なくなっても泣き続けたの。 忘れもしない、14歳の冬の話よ。 お母様が死んで、色々変わったわ。 まずはアンリが家から出て行った。私は引き止めたんだけど、 “私の主は絵玲奈様ただ一人です。これからは、天に召された絵玲奈様に想いを捧げながら、静かに生きてゆきます”って。 そして月夜が長かった髪をバッサリ切った。男の子みたいになるって嫌がってたのに。 “これから、よりいっそう絵恋お嬢様を守る覚悟の証”なんですって。何だか嬉しかったわ。 あと、あの女がこの家に住みつく様になった。こうなる気はしてたの。 直接手を出せないけれど……こっそり毎日あの女を呪っていたの。上手くいかなかったけど。 最終的に、お父様にもあの女にもうんざりして口をきかなくなったわ。 家でもパーティーでも、とにかく月夜以外とは何も喋らなくなった。2人の前では特にね。 そんな生活が続くと私にも『人形令嬢』っていう名前がついたみたい。 『心労で母親と同じになってしまった……』『まだ若いのに可哀想な……』なんて、周りの声もどうでも良かった。 お母様がいない生活は味気なくて、それでも月夜が色々気にしてくれて満足で……何となく生きてた。 いつの間にか15歳になってたわ。 そうね、15歳……これが私の運命を変える年齢だったの。 事の発端は、お父様の陰湿な罠だった。 ある日の食事の時間に言われたの。 「絵恋。お前、櫛籠(くしごめ)氏と結婚しろ」 命令の様な物言いにイラついて無視したら、舌打ちが聞こえた。 うっとおしそうなお父様の声が続く。 「櫛籠氏は、奥さんを亡くして後妻を探してるらしい。 お前の事を話したら喜んで妻に迎えたいと言ってくれた。良かったじゃないか」 「ねぇ待って!櫛籠さんって60越えてるわよ!?絵恋ちゃんとは歳が離れ過ぎてるわ! それに、絵恋ちゃんの気持ちも聞かないで押しつけるような言い方は……」 「大丈夫、ノエルは何も心配しなくていいんだ……俺だって娘の幸せぐらい考えてるさ」 メス豚がしゃしゃり出て、お父様が優しい声を出す。 ねぇ、お父様のその目に映ってるのは自分の幸せでしょう? 『娘の幸せ』?……笑っちゃうわ。やだ、可笑し過ぎて、本当に冷ややかな笑いが喉の奥から漏れたじゃない。 そのままの勢いで言ってやったの。 「厄介払い?」 「だったら何か問題があるか?」 「何の問題も無いわ!」 テーブルを勢いよく叩いて立ち上がる。 食事する気も失せて、そのまま部屋に戻ったの。 「絵恋ちゃん!!」 「黙りなさい。メス豚」 メス豚にメス豚って言ったらまたお父様に怒鳴られたけど、無視して部屋に戻った。 月夜がお父様とメス豚に軽く一礼して、後ろからついてきた。 お父様が私を疎ましく思ってるのは分かってたもの。こんな話、本当にどうでも良かったわ。 あの2人を見なくて済むなら、その櫛籠とかいうお爺様と結婚してやってもいいと思った。 でもね、何日か経つとやっぱり怖くなったの。 だって私は櫛籠のこと何も知らないんだもの。歳に似合わず若い娘を嫁にもらおうだなんて……変な人かもしれない。 私は思い切って月夜に打ち明けたわ。 「ねぇ月夜……私怖くなってきた。櫛籠ってどんな人かしら?変態で怖い人だったらどうしよう……」 「ご心配なら、一度お会いしてみますか?」 「そ、そんないきなり……!!」 月夜は私に分厚い本を差し出した。中身は細かい字がびっしり書かれてて、豪邸の写真なんかが載ってる。 とても全部読む気にはなれなかったけど、何かの報告書みたいな感じだった。 私が困惑してると、月夜がスラスラ言うの。 「櫛籠様はお歳は召されていますがとても品行方正。心根は優しく、野蛮な趣味、異常な性癖、一切ありません。 親族、友人、知人におかれましても同じく。私が責任を持ってすべてを事前調査いたしました。 そして絵恋お嬢様とのご結婚を大変喜んで、“必ず幸せにする。是非一度会ってみたい”と仰っています」 「で、でも……」 「大丈夫です。この月夜が、絵恋お嬢様のお傍にいてお守りいたしますので。もちろん嫁いだ後も、一生涯ずっと……」 月夜の言葉が心強くて嬉しくて、私は月夜に飛び付いたの。 「月夜……確かに貴女がいれば百人力だわ!ありがとう!」 「メイドとして当然の事をしたまでです。共に未来の旦那様の品定めに参りましょう」 「ええ!」 数日後、私は櫛籠の屋敷に招かれたわ。 古そうだけど手入れの行き届いた、落ち着いた屋敷だった。 櫛籠は本当にお爺様って感じ。でも立ち姿はシャキッとしてたし、小奇麗だったし優しそうだった。 嫌な感じじゃなかったの。 テーブルに可愛らしくて美味しそうなケーキをたくさん並べて、嬉しそうに私に言う。 「いやぁ〜〜本当にお人形さんみたいな可愛い娘さんが来てくれたものですなぁ〜〜ふぉっふぉ! ささ、絵恋さん、遠慮せずにどんどん食べなされ!ふぉっふぉっふぉ!」 「い、いただくわ……」 良く笑うお爺様ね……って思いながら一番可愛いケーキを食べたの。すっごく美味しかった。 「あ、美味しい……」 「そうですか!それは良かった! 絵恋さんが甘いもの嫌いじゃなくて良かった良かった!ふぉっふぉふぉ!」 ずっと優しく笑ってる櫛籠を見てたら、コイツはいいヤツなんじゃないかと思ったの。 だから、私は恐る恐る聞いてみた。 「ねぇ……奥さんを愛してた?」 「ふぉっふぉ……うむ?」 それまで笑ってた櫛籠は急に笑うのを止めて、穏やかに言ったの。 「愛していました。世界一、愛していたと言っても構わない。 置いて行かれた時は……本当に悲しかった」 「……私も……そんな風に愛してくれる?」 「もちろん。私は、一生愛し続ける事が出来る女性しか妻にしません」 「と、当然よ!!」 優しい笑顔を見たら涙が出そうになったから、慌てて黙々とケーキを頬張ったの。 それから色々話して……楽しかったわ。 櫛籠邸の帰り、月夜と話したの。 「櫛籠っていいヤツね。アイツと結婚したらきっと、幸せになれるわね」 「もちろんです。そうでなければ、安心して絵恋お嬢様を任せられません」 「でもきっと櫛籠とは、『夫婦』にはなれないわね……アイツの目はずっと、娘を見るような目だったもの」 「絵恋様……」 「いいの!いいのよ!私、櫛籠のこと気に入った!新しい素敵なお父様ができると思えば、嬉しいわ!」 櫛籠の言葉に嘘は無い。私の言葉にも嘘は無い。 小さい頃思い描いたような、カッコいい王子様との結婚生活はできなくても 私はきっと絵本の中みたいに『いつまでも幸せに』暮らせる。 もう心は決まったわ。私は櫛籠と結婚する。 いつになく清々しい気分だった。 櫛籠との結婚準備は進んでいたわ。お父様が張り切って進めていたもの。 何だか癪だけど、私も少しはワクワクしていた。櫛籠の事は好きだったしね。 そんな時、パーティーがあったの。 何て事ない、いつものパーティーよ。着飾ったお父様とあのメス豚が仲良くするのを黙って見つめる作業。 私は今日も、月夜と一緒に会場の端の方でじっと座っていた。周りが囁くわ。『ほら、人形令嬢だ』って。 でも無視して話さずに座ってたの。お母様の真似。 櫛籠が来ていたら少しは違っただろうけど、今日はあいにく来てなかったみたい。 (つまらないわ……早く帰って『超☆黒魔術〜中級編〜』が読みたい……) そう思ってたら、目の前に誰か来た。 「こんばんは、素敵なお嬢さん。パーティーは楽しんでいるかな?」 「……!!」 その人を見た瞬間、全身に電気が走ったみたいになった。 そう、これは運命だったのよ!運命の出会い! 一目惚れっていうのかしら……とにかく抑えきれなくて、私は言ったの。 「私……」 「ん?」 「私……貴方と結婚する!!」 私の王子様は、こんなにも簡単に見つかった。 「と、言うわけで千賀流さんと結婚することになったの!残念だったわね櫛籠!」 「こ、こら絵恋ちゃん!!」 しばらく経って、千賀流さんと一緒に櫛籠に事情を説明しに行ったら櫛籠は笑ってた。 「ふぉっふぉっふぉ!いやぁ〜〜こりゃ、やられました! 確かに私と廟堂院家の若旦那なら、若旦那の方が絵恋さんにピッタリだ! 私もあと30年若かったら……やっぱり、勝てませんな!ふぉっふぉっふぉっふぉ!!」 「櫛籠さん……貴方に大変失礼な事をしました。何とお詫びしていいか……」 「いいえ。若い人が若い人と幸せになるだけ。堂々としていればいいのです。 老いぼれが守る落ち目の櫛籠家より、未来と栄光ある廟堂院家の方が嫁ぎ先としても申し分ない。 どうか……絵恋さんを幸せにしてあげてください。末長くお幸せに」 一生懸命頭を下げている千賀流さんと、それを励ましてる櫛籠。 何だか急に、櫛籠が可哀想になったの。 「ねぇ櫛籠……アンリを紹介してあげてもいいわよ?」 「アンリ?ふぉっふぉ!それは是非に!絵恋さんはやっぱり優しいですなぁ!」 「耳を貸してちょうだい」 櫛籠は素直に耳を貸してくれた。私は彼の耳元で囁いたの。『ごめんなさい』って。 そしたら、急に唇にキスされちゃったわ。いきなりすぎてビックリした。 「櫛籠さん!!」 千賀流さんが櫛籠の肩をグッと掴んで引き離したけど、すぐに冷静になって手を離したの。 それで、複雑な表情で櫛籠に謝ってた。 「いや、失礼、しました……」 「こちらこそ大変失敬。これで、絵恋さんへの未練は完全に断ち切りました。 今度こそ本当にお別れです。くれぐれも、末長く幸せにおなりなさい。絵恋さんも貴方も……」 最後に櫛籠にそう言われて、私と千賀流さんは櫛籠邸を後にした。 そして今。 私は千賀流さんと結婚して、すごく幸せに暮らしてる。(結婚を機に実家とは縁を切ったの。) 今日は久々にアンリから手紙がきたから、ソファーに座って読んでるの。横には千賀流さんもいるわ。 「ええと……こちらは夫婦共々、幸せにやっています。 本当に、私達を引き合わせてくださった絵恋お嬢様には感謝しきれません。ですって! あとは……野菜を残さずに食べる事、夜更かしをしない事、お勉強を怠けない事……って、ちょっと!! アンリは一体私をいくつだと思ってるの!?」 「あっはははは!」 「わ、笑い事じゃないの!」 「ごめんごめん……どれどれ、私も見てみよう」 千賀流さんが私に寄り添って、アンリの手紙を覗きこむ。千賀流さんの体温に触れるだけで、私は幸せな気分になる。 私だって、千賀流さんと引き合わせてくれた偶然には、感謝してもしきれないわ。 「櫛籠さん達、幸せそうで良かったね」 千賀流さんの声。私は吸い寄せられるように体を預けた。優しく抱き寄せられて、もっと幸せな気分になるの。 「私達も幸せよ……千賀流さん」 「うん。そうだね」 「ねぇ、あり得ないんだけど、もしもの話だけど……あのね、私の口がきけなくなっても、私を愛してくれる?」 千賀流さんは一瞬驚いた顔をしたけど、すぐに笑顔で答えてくれたわ。 「もちろんだよ。口がきけなくても、ずっと君を愛してる」 そう言って、正面から私を抱きしめてくれた。 「言葉を繋げられなくても、心を繋げることができる。こうして抱きしめたり、手を握ったりして 君と君のお母様みたいに愛し合う事が出来るよ。そうやって私達も愛し合おう。ずっと……」 「千賀流さん……」 ああ、お母様……聞こえる? 「私、幸せよ……」 お母様と千賀流さんに聞こえるように、心の底から言ったの。 愛するお母様……私はきっと人形にはならないわ。千賀流さんが傍にいてくれる限り。 ねぇ、私、本当に今幸せよ……。 |
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【作品番号】PB2 |
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