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ある時、伯父さんが教えてくれた。
僕の名前は、お母さんの「絢(あや)」とお父さんの「音也(おとや)」から一文字ずつ取った名前だって。
「絢音」なんて女の子みたいで好きじゃなかった名前が、それを聞いてから大好きになった。

パンドラBOX〜鷹森絢音の場合〜

小さい頃は、よくお父さんとお母さんと僕と3人で海に出かけた。
お父さんは海が好きだったから。僕も家族で海に行くのが大好きだった。

「お父さんお母さん見て!きれいな貝殻拾ったよ!」
潮風と波の音が気持ちいい浜辺で、僕は声を張り上げる。
小さなピンク色の貝殻を早く見せたくて、お父さんとお母さんの待っているビーチパラソルに向かって走った。
「あんまり走ると危ないわ絢音」
白いワンピースを着たお母さんが、長い髪を押さえながら心配そうに言う。
隣でTシャツに水着姿のお父さんが優しく微笑んでいた。
僕が貝殻を見せると、二人は短く感嘆した声を上げて僕に笑いかけてくれた。
「本当に綺麗ね……」
「うん。絢音はこういうのを見つけるのが本当にうまい」
「あのね、向こうの方にいっぱい落ちてたんだよ!もっともっと集めるんだ!」
お父さんとお母さんに褒められたのが嬉しくて、僕はよけいに張り切った。
お母さんが僕の頭を撫でてくれて言う。
「遠くへ行っちゃダメよ?危ない所もあるんだから」
「大丈夫!お父さんとお母さんの分も、いっぱい拾ってあげる!」
「気を付けて行っておいで」
お母さんとお父さんに見送られて、僕はもう一度貝殻を集めに出かけた。
そして両手のひらに零れそうなほど持って、大はしゃぎで戻ってきた。
「お父さん!お母さん!見て!こんなにいっぱい……」
途中で僕は叫ぶのを止めた。
お父さんとお母さんが、ビーチパラソルの下でキスをしているのが見えたから。
見てはいけない気がして、慌てて二人に背を向けた。けど、何だか嬉しくなって一人で笑ってしまった。
優しくて、仲の良い両親が大好きだった。
僕は本当に幸せだった。

お父さんは「海の近くに家を買って3人で住むのが夢だ」っていつも言っていた。
そのうち、お父さんが仕事の都合で単身赴任する事になった。
そこで仕事を頑張って、軌道に乗ったら僕らを呼んで一緒に暮らす……お父さんの夢がもう少しで叶う。
お母さんにそう聞かされた。僕もお母さんも嬉しくて……今は寂しくても頑張ろうって、二人で笑いあった。
でも、僕らがお父さんに呼ばれる前にお父さんは海難事故で帰らぬ人となってしまった。


「音也が死んだなんて信じない!いい加減にして!貴方、本当に音也の兄弟なの!?
絶対に信じないんだから!そんなに言うなら証拠を見せなさいよ!ねぇ!?」
「絢さん落ち着いて!船は破損がひどくて……遺体が上がらなかった。きっと、海の底に……」
「やめて!!よくそんな最低な事が言えるわね!?信じられない!鬼!悪魔!アンタなんか、アンタなんか……!!」
伯父さんとお母さんが喧嘩しているのを聞いて、僕は怖くてどうしていいか分からなかった。
ただ、従姉の七美お姉ちゃんに抱きついて泣いていた。
お母さんはずっと「音也が死んだなんて絶対に信じない!」って繰り返していた。
それはお父さんのお葬式の最中も、お葬式が終わった後も変わらなかった。
ずっとずっと、変わらなかった。
「絢音、あんな酷い伯父さんとはもう一切かかわっちゃダメよ!?」
僕にそう言ったお母さんは、人が変わったようだった。
ううん。実際、人が変わってしまった。
優しかったお母さんは、お父さんが死んだ事実を受け入れられないあまり、奇行を繰り返すようになっていた。
繋がってもいない電話に向かって、ずっと話す様になった。まるでお父さんと会話してるかのように。
家事も一切してくれなくなった。伯母さんとお母さん方のおばあちゃんが交代で家事をしに来てくれていた。
でも、伯母さんは自分の家の事もあるし、おばあちゃんはおじいちゃんの看病があったから
ずっと僕の家にいるわけにもいかなくて……
僕は少しずつ家事を教えてもらって、2人の時もどうにか生活ができるようにはなった。
学校もあったし大変だったけど苦にはならなかった。
“僕がお母さんを守ってあげなくっちゃ”って、思ってたから。
その頃から、伯父さんが僕を引き取りたいっていう話が頻繁に出るようになっていた。
でも、その話をするたびにおばあちゃんと口論になっていた。
「絢さんがあんな状態じゃ、もう絢音を育てるのは無理だ!私達が責任を持って面倒を見ますから!
このままこんな生活は絶対に続かない!絢音の事を考えてください!」
「お願いです!あの子から絢音を取り上げないでください!あの子は、夫を失って……もう絢音しかいないんです!
しばらくしたらあの子だって、現実を受け入れてくれるはず!息子まで取り上げられたら、あの子が不憫で……!!」
「染井さん!気持ちは分かりますが、このままでは絢音が……!!」
「お願いです!!後生ですから!あの子から絢音を取り上げないでください!あの子を一人にしないでください!ううぅぅっ!!」
いつもこんな感じで、おばあちゃんが泣きだすと伯父さんは何も言えなくなっていた。
でも、この頃は僕も伯父さんと暮らす気は無かった。
だって僕も信じてたから。いつか、お母さんが現実を受け入れてくれるって。
僕がいい子にしてたら、きっと昔の優しいお母さんに戻ってくれるって。
僕がお母さんを守って、二人でも、幸せに暮らしていけるって。
だから僕は頑張った。毎日寝坊せずに学校に通って、テストで100点を取って、体育はダメだったけど……
誰もいない日は掃除も洗濯もして、ご飯も作った。
けれど僕がどんなに頑張っても、お母さんは部屋に閉じこもってお父さんに電話をかけ続けた。

小学校3年生の冬休み前日だった。
この日、図工で提出したお母さんの絵返ってきて、先生にすごく褒められた。通知表も体育以外全部◎。
体育は△だったけど、頑張って跳び箱の3段が飛べた事を先生が書いてくれていた。
僕は嬉しくて嬉しくて……お母さんに褒めてもらえると思って、大急ぎで家に帰った。
すぐにでもお母さんの部屋に行きたかったけど、電話が鳴ったので電話に出た。
「絢音?七美お姉ちゃんだけど……ごめんね、今日お母さんが風邪ひいちゃってそっちに行けないの。
お父さんも出張中で今日は帰って来なくて……私だけでも、お母さんの看病の合間に行ったの方がいいかな?
絢音は一人で大丈夫?今日一日の事だけど……やっぱりお姉ちゃん行こうか?」
心配そうな七美お姉ちゃん。僕はそんな事より早くお母さんの所へ行きたかったらから、急いで答えた。
「一人で平気!伯母さんにお大事にって伝えて!じゃあね!」
「あっ、絢音……」
僕は電話を切った。そしたらまた電話が鳴った。僕はまたやきもきしながら電話に出た。
「絢音?おばあちゃんだよ。ごめんね、おじいちゃんの病院に付き添わなきゃいけないから、
明日絢音の家に行けそうになくて……一人で大丈夫?
どうにか先生に言って絢音の所へ行けるようにしてもらおうとは思うんだけど……」
「だから!一人で大丈夫だってば!おばあちゃんはおじいちゃんの傍にいてあげて!平気だよ!僕にはお母さんがいるから!」
僕は早口でそう言って、電話を切った。
次の電話が鳴らないうちに、お母さんの絵と通知表を持ってお母さんの部屋に飛び込んでいった。
「お母さん見て!お母さんの絵、先生にすごく褒められたよ!それにね、通知表も◎ばっかりでね、体育はダメだったけど、
跳び箱は頑張って3段飛べたよ!!ここに書いてあるよ!ねぇ、お母さん!」
「うふふっ、音也ってばもう……」
「ねぇ!お母さんってば、ねぇ!見て!お母さんのこと大好きだから頑張って描いたんだよ!
お母さんの為に学校頑張ったんだよ!」
「音也……愛してる……早く迎えに来て……」
「お母さん……!!」
僕はだんだん悲しくなった。お母さんは僕の方を見向きもしない。
頑張ったのに……こんなに頑張ったのに……学校も家の事も全部……お母さんに、僕の事見て欲しかったから!!
積もり積もった物が一気に爆発して、僕はお母さんに後ろから抱きついて叫んだ。
「お母さん!!お父さんは死んじゃったんだよ!いないんだよ!電話なんてしても無駄なんだから!!
どうして僕を見てくれないの!?こんなに頑張ってるのに!!お母さん僕を見て!僕を見てよぉっ!!」
心の中を思いっきりぶつけた。半分泣きながら叫んだ。
すると、お母さんはゆっくり僕の方を見た。その目は酷く生気がなくて、僕は怖くなった。
「ご、ごめんなさい……」
お母さんから手を離す。お母さんは何だか不気味な視線のまま、僕に言う。
「誰よ?アンタ……」
「え……?」
僕は混乱した。お母さんが言っている事が信じられなくて、でも必死で説明した。
「な、何言ってるのお母さん!僕だよ!絢音だよ!お母さんの子供の絢音だよ!?」
「子供?私の?そんなわけ無いじゃない……」
お母さんは、全く感情の読みとれない瞳のまま口元だけ笑みを浮かべる。
そして僕に向かってハッキリとこう言った。
「だって私、子供なんて要らないもの。最初から作らないわ」
「……!!」
ショックだった。ショックなんて言葉じゃ言い切れないけど、それ以外の言葉が見つからない。
言葉が出なくて、体から力が抜けて、呆然とする僕をお母さんがうっとおしそうに部屋から連れ出す。
「出て行って!音也と電話してるの!邪魔しないで!早く!」
お母さんに無理やり手を引かれて、ドアの外に突き飛ばされた。
乱暴にドアが閉まって、僕はその場に座り込んだまま動けなかった。
「要らないって言った……お母さんが、僕の事要らないって言った……」
呟いた言葉に、涙が止まらなくなって、僕はそのまま泣き叫んだ。
「何で!?どうして!!僕、いい子にしたのに!頑張ったのに!どうして!?何がいけなかったの!?
お母さん!ねぇ何で!?お母さん!お母さ―――ん!!」
ドアに向かって叫んだ。返事は無かった。聞こえたのはお母さんの本当に楽しそうな笑い声だ。
僕は泣きながらその場に倒れ込んだ。
どれだけ泣いても誰も来なかった。お母さんも出てこない。
そのうち涙も出なくなったけど、もう何もする気が起きなくてその場に寝転んでいた。
時間の感覚も分からないまま、ずっとそうしていた。どれだけ時間が経っただろう?
(お腹すいた……ご飯……作らなきゃ……お母さんは、僕がご飯作らないと食べないのに……)
ぼんやりとそう考えた。でも、やっぱり体は動かない。心は重く沈んだままだ。
(このまま食べないと……死んでしまう。僕もお母さんも……そしたら、お父さんと会えるかな?
天国で昔みたいに……3人で仲良く暮らせるかな?)
お父さんが生きていた頃、よく海に行った頃を思い出した。あの頃はお母さんも優しくて……皆幸せで……。
思い出したらじんわり涙が出た。本当にこのまま死んじゃって、それでもまた、あの頃に戻れるなら……
(だったら、それでいいや……)
僕は目を閉じた。
もう何も考えなかった。


遠くで声が聞こえる。
「……さん!!……っ、早……車を……!!」
「…………ぁぁ!!……音!……音!」
「……け!!絢……私……!!」
誰?何?ダメだ……よく見えない……よく聞こえない……。
ふっと体が浮く。誰かが僕を抱きかかえている。
「……音!絢音!しっかりして!すぐに病院へ連れて行ってあげるからね!」
お父さん?よく見えないけど、お父さんなの?
「……お父さん……お母さんを助けて……!!」
あんまり声が出なかったけど、僕はお父さんに言った。
お父さんは悲しそうに顔を歪めていた。


気が付いたら僕は病院のベッドで寝ていた。
周りには伯父さんと伯母さんと、七美お姉ちゃんとがいた。
僕が目を開けると、伯母さんが大泣きしながら僕を抱きしめた。七美お姉ちゃんも泣いていた。
「ねぇお母さんは?お母さんはどこにいるの?」
その場にお母さんがいない事に気づいて、僕は辺りをキョロキョロしながら言った。
伯父さんが僕の頭を撫でて悲しそうに言う。
「お母さんはね、まだ体が元気じゃないんだ。だから今は会えないんだよ。もう少ししたら会えるようになるから」
「もう少しってどのくらい!?僕、今すぐお母さんに会いたい!」
「分からないけど、とにかく今は会わないで。いいね?絢音、いい子だから……」
「やだ!!お母さんに会いたい!」
僕は伯父さんの手を払いのけてベッドから飛び出た。
走って病室を出たら、丁度隣に『鷹森 絢』という名前プレートが見えた。
(お母さんの名前だ!!)
僕は勢いよく病室に飛び込んだ。
「お母さん!!」
「あら……」
ベッドから上体を起こしたお母さんが、僕に笑いかけてくれた。
(お母さんが笑ってる!!お母さん、僕の事思い出したんだ!!昔のお母さんに戻ってくれたんだ!)
僕はそう思って嬉しくて、お母さんに駆け寄る。でも……
「どうしたの坊や?人のお部屋に勝手に入っちゃダメよ?ママは?早くお部屋に戻らなきゃ、ママが心配するわよ?」
優しい笑顔のお母さんはそう言った。聞き違いだと、思いたかった。
すぐにでも“冗談よ”って言って欲しくて、僕はお母さんに抱きついた。
「お母さん!!」
僕が抱きつくと、お母さんはビックリした顔をした。
「や、やだ、何この子!?やめなさい!誰か!誰か――――!!」
「絢音!!」
その時、入ってきた伯父さんが大慌てで僕とお母さんを引き離す。お母さんは伯父さんを睨みつける。
「この子、お義兄さんの知り合い!?ちゃんと面倒見ててください!」
「ごめんね絢さん……行こう、絢音」
「お母さん……お母さん……!!」
僕はただ泣きながらお母さんを呼ぶ事しかできなかった。

僕は病室に連れ戻されて、伯父さんに縋りついて泣いた。
「お母さんが!お母さんが僕の事忘れちゃった!僕の事、要らないって……うわぁああああん!!」
「絢音……!!」
伯父さんは僕をきつく抱きしめてくれた。泣いている間ずっと。
「絢音、伯父さんと暮らそう。伯父さんと伯母さんと、七美お姉ちゃんと暮らそう。きっと絢音を幸せにするから……」
「お母さん!!お母さん!お母さ――――ん!!うわぁああああん!!」
「伯父さんと伯母さんが、絢音のお父さんとお母さんになるから。
もう泣かなくていいんだよ……」
「うわぁああああん!!」
伯父さんがずっと僕に語りかけてくれていた。


僕は結局、伯父さん一家に引き取られる事になった。
お母さんはもう完全に僕の事を忘れてしまっていたから、おばあちゃんも納得してくれた。
それどころか、僕はおばあちゃんに泣きながら謝られた。
「もっと早く伯父さんのところに預けていれば、絢音を傷つける事も無かった」って。
僕は首を振った。おばあちゃんは何も悪くない。もちろん、お母さんも悪くない。
きっと誰も悪くないんだ。


伯父さん一家は、本当に僕に優しくしてくれた。
伯父さんと伯母さんは僕を本当の息子の様に扱ってくれた。
美味しいご飯を作ってくれて、ちゃんと学校に通わせてくれて、お母さんの事を思い出して泣いたら、ずっと傍にいてくれた。
何より愛情いっぱいに接してくれて、僕は健康な心で育つ事が出来た。
七美お姉ちゃんは僕を本当の弟みたいに扱ってくれた。
僕が学校で誰かに虐められてないか、悲しい思いをしてないかといつも心配してくれていた。
いつも明るく僕を引っ張ってくれた。僕が悩んでいたら、一生懸命話を聞いて勇気づけてくれた。

臆病で不器用な僕が、どう考えても執事なんて向いてない僕が、最高の形で夢を叶えることができたのは
伯父さんと伯母さんが高い学費を惜しまずに執事学校に通わせてくれて、
七美お姉ちゃんが勉強に付き合ってくれて、悩みを聞いてくれて、
皆が、挫折した僕を見捨てないで一生懸命立ち直らせてくれて……
そして、お父さんが……きっとお父さんが、奇跡みたいな幸運を僕にくれたから。


伯父さん達と暮らした日々は、お父さんとお母さんが生きている時と同じくらい、幸せだった。
だから僕は、きっとこれからも大丈夫。
お父さんが天国で胸を張れるような、お母さんが風の噂で聞いて、すごいと思ってもらえるような
伯父さん達に恩返しできるような、立派な執事になります。

お父さんお母さん、伯父さん伯母さん、七美お姉ちゃん、僕はこれからも頑張って、きっと立派な執事になります。



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