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いろはさんはお兄ちゃんになりたい!
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「嵐(あらし)、お母さん、貴方のお父さんと再婚する事にしたの……」

母さんのその一言で、母子二人三脚の生活はあっさり終わる。
あっという間に、母さんの“新しい旦那”と、その連れ子と一緒に暮らすことになった。
家も引っ越すことになって、新しい家は前に住んでいた家より広くて気に入っている。
母さんが再婚する事に関しては、特に嫌悪感も無かった。
と、いうか母さんの再婚相手は俺が生まれてすぐ別れた元夫……
俺の実の父親らしいのでこれは果たして再婚というのだろうか?
ので、俺も小さい頃はたまに会いたかった実の父親と暮らせることになって
たぶん、めでたしめでたし、なのだ。
けれど、たった一つだけこの再婚には問題があった。
それは……

「嵐――っ!!今日こそお兄ちゃんとお風呂に入ろう!!」
……突然、笑顔で俺の部屋に突入してきたこの眼鏡男。
“父の連れ子”なのだが……俺の実の兄らしい。
当然、俺は生まれてすぐに引き離れた兄の存在など知らなかったので、初めて彼を見た時、
“俺にもついに妹(弟?)ができるのか!”と思ってしまった。このトキメキは全くの無駄だった。
俺より体も小さいし、2つしか年が違わないのにやたらと兄面して、世話を焼きたがってきて正直めんどくさい。
俺は今日もテンプレと化したセリフを返す。投げやりに。
「彩羽(いろは)さん、もうそういうのいいんで……」
「えっ!?」
「俺、風呂は一人でゆっくり入りたい派なんで。貴方の後でいいから、上がったら呼んでください。」
「えっ……嵐……」
このやりとりは何度も繰り返されているはずなのに、
俺が断るたびに心底「何故?」という顔をして呆然としている彩羽さん。
彼の記憶は一日ごとに消えるのだろうか?
と、いうか何でこんなに馴れ馴れしいんだろうか?
俺でさえ気を使って……いや、それは最初だけで、今はうっとおしいので距離を保つために
“さん付け+敬語”コンボで遠巻きにしている。
対して向こうは初めて会った瞬間――
『嵐!!会いたかったぞ――!!』
と、いきなり抱き付いてきた挙句……
『あぁ!可愛い!可愛い!俺の理想の弟だ!!
ほらほら、お兄ちゃんだぞ!?お前のお兄ちゃんだぞ!?』
と、やたらテンション高く“お兄ちゃん”を強調していた。
曰く『お前のお兄ちゃんだし、学園では委員長をしているからいつでも頼っていい!』との事。
俺にしてみれば、ずっと一人っ子気分で育ってきたのに、急に見ず知らずの男から“お兄ちゃん”を押し付けられても困る。
一緒に暮らし始めてからずっとこの調子なので、最近は「困る→うざい」にシフトしてきたところだ。
こんな事を思い出していると、まだ部屋にいたらしい彩羽さんの困った声が聞こえる。
「嵐―!俺の事は“お兄ちゃん”って呼んでくれって言ってるじゃないか!」
またこれだ。
意地でも“お兄ちゃん”と呼ばせようとしてくる彩羽さんはやっぱりイライラするので断っておく。
「いきなりそんな事言われても無理です」
「で、でも……一緒に暮らし始めて、かれこれ3週間経つし!そろそろ……」
「呼びたくないです」
「!!」
あ、彩羽さんがすっごく驚いた顔をしている。
今のはちょっと言い過ぎただろうか?と思ったら……
「これは!!お、弟にワガママを言われているのか……!?」
嬉しそうだった。心配して損したな。放っておこう。
「ここはお兄ちゃんらしく叱ってやらなければ!!」
すみません。丸聞こえですけど。
とは、いちいち指摘してはやらないけど。
彩羽さんはひとしきりソワソワして、どう見ても作った怒り顔をした。
「嵐!わがまま言う悪い子はお尻ぺんぺんだぞ!」
…………もう嫌だこの人。
「いい加減にしてください!!もういいでしょ!?出て行って!!」
「わ、あ……!嵐ぃ!」
無理やり彩羽さんを部屋から押し出して、俺はやっと平和を取り戻したのだった。


次の日
「おはよう、嵐!」
俺が起きていくと、制服の上にエプロン姿の彩羽さんが母さんとキッチンに立っていた。
何だか嫌な予感がする。
「今日はお前の為にお弁当を作ったぞ!」
はぁ、やっぱり。
彩羽さんがよりによって“手作り弁当”を作っただけでもげんなりだが、
その弁当の中身を見てさらにげんなりする。
どう見ても、幼い子供か女子に持たせるようなファンシーな“キャラ弁”だった。
クマだの、ウサギだの、ハートだの、お花だの、ピンクだのが弁当箱の中でひしめいている。
俺はこれでもいい歳をした男子学生だ。頭が痛い。
「……良く、出来てますね……」
「だろう?!嵐の為に心を込めて作った自信作だ!ママさんにちょっと手伝ってもらったけど!」
やりきった感に満ち溢れた彩羽さんには悪いが、俺は言わせてもらう。
「俺コンビニで買うから要らないんで、自分で持っていってください」
「えぇっ!!?そ、そんな!コンビニ食なんて栄養が偏るじゃないか!
それに、嵐の為に作ったのに……!!」
横の母さんが、彩羽さんの悲しい顔に同情したのか加勢してくる。
「嵐ったら、彩羽がせっかく作ってくれたんだから、照れずに持っていけばいいじゃないの!」
「いや、照れてるわけじゃないから」
「そうか!照れてるのか……!!可愛いぞ嵐!!」
「違います。とにかく、そのお弁当は母さんか父さんか彩羽さんが持って行ってよ」
「ちょっと待て!お父さんを“父さん”と呼ぶのに何で俺は“お兄ちゃん”じゃないんだ!?」
「先に着替えてくる」
「嵐ぃぃっ!!」
また彩羽さんが絡んできそうだったので、俺は無理やり着替えに戻る。
着替えて出てきたら、彩羽さんはすでに学園に行ってしまったらしく、ゆっくりと朝の時間を過ごすことができた。

俺は自分の学園に着いて、彩羽さんと同じ学園じゃなくて本当に良かったと思う。
悔しいけど、彩羽さんは俺より頭のいい学園に通っている。ここらでは有名なセレブ男子校だ。
対して俺の学園は平々凡々な中級学園。とはいえ、不良も優しいし治安もいいし楽しくて俺は気に入っている。
もし同じ学園だったら俺のクラスにまで押しかけて世話をしてきそうだからな、あの人。
しかも委員長らしいし。うちのクラスの委員長から俺のあらゆる情報を搾取しそうだ……考え過ぎか。
はぁ、学園にいる時ぐらいあの人の事は忘れよう。
そう思って、いつもと変わらぬ学園生活を送ったのだが……

甘かった。下校時にそれを思い知る。
いつものように友達と帰ろうとして校門へ向かうと……
「おい、アレ……リヴィル学園の制服じゃないか?」
「やだ、あの人可愛くない!?誰か待ってるのかな?」
人々の噂話。
「なぁ、嵐……あれってもしかして……」
友達の驚いた声。
「嵐!良かった、まだ帰って無くて!迎えに来たんだ!一緒に帰ろう!!」
ここでまで聞きたくなかった彩羽さんの声。
周りのヒソヒソと彩羽さんの笑顔と大声……すべてにカチンときてしまった。
もう我慢の限界だ。
「……何でこんな所まで来るんですか?」
「え?」
「帰ってください」
「あっ……でも……」
「迷惑なんです!!」
「!!」
つい大声を出すと、彩羽さんがみるみる泣きそうな顔になってくる。
「す、済まない……嵐……」
「早く帰れよ!!」
「そんなつもりじゃ……」
怒鳴りつけると、一歩二歩と俺から後ずさる彩羽さん。
すると、どこからともなく大柄な男がやってきた。彩羽さんと同じ制服を着たその男は、
彩羽さんの手を取って、慰めるように言う。
「もういい。彩羽、帰ろう」
「……っ……」
彩羽さんは勢いよく俺から顔を背けて、男に手を引かれて帰って行った。
男は去り際に俺を睨みつけてきた。
何なんだ。気分が悪い。
「嵐……大丈夫?」
友達が俺を気遣って声をかけてくれる。
周りの好奇の視線も嫌だ。
「平気……帰ろう」
俺は重苦しい気分のまま帰った。
ああ、全部彩羽さんのせいだ。



「彩羽、今日はお友達の家に泊まるんですって」
帰ってきて着替えて、母さんと顔を合わせた第一声がそれだった。
「へーそう」
「後でお友達が着替えと日記だけ取りに来るって……。
彩羽が自分で取りに来ないなんて……ねぇ、嵐ケンカでもしたの?」
「別に」
母さんにそっけなく答える。
あれはケンカじゃない。正当な主張だ。
「……じゃあ、お母さん何かしたかな?」
「!!母さんのせいじゃない!!」
「そうだと、いいけど……」
母さんの元気の無い声を聞いて、俺はまた一段と嫌な気分になった。
どうしていいか分からなくなって、自分の部屋へ引き返す。
(何なんだ!!いつもは強引に俺に絡んでくるくせに!
いくらそっけなくしても、ヘラヘラしてたくせに!!
俺にちょっと迷惑がられただけで家に帰って来れないほど、ナイーブキャラじゃないだろ!?
平気な顔して帰ってきて、楽しそうに“お兄ちゃん”ぶってればいいだろ!!)
自分の部屋の隣は、彩羽さんの部屋だ。
“お兄ちゃんの部屋”と文字を張り付けた、手作りっぽい木のプレートが目に入る。
どこまでお兄ちゃん主張激しいんだこの人……。
と、考えていたら、俺は母さんの言葉を思い出した。
“後でお友達が着替えと日記だけ取りに帰って来るって”
(日記……つけてるのか?)
彩羽さんに容姿なら、性格なら、それも納得できる。
外泊先にも持って行きたがるほどの“日記”が、どうも俺は気になった。
(……これだけ、迷惑かけられたんだから日記くらい読んだって……)
好奇心?が抑えきれずに、そっと彩羽さんの部屋に忍び込む。
部屋の中はきっちりと片付けらえているのが彼らしい。
その中で、机の上にぽつんと乗っている分厚い日記帳が目立ち過ぎてる。
洋書の様なデザインだが、鍵もかかってない。
(こんな……読んでくれって言ってるようなものじゃないか……!!)
ドキドキしながら手に取ってみる。
表紙には印刷の“Diary”の文字だけで、彩羽さんの名前も無い。
意を決してページをめくった。
初っ端のページからいきなりこんな内容だ。

○月×日
なんと俺には弟がいたらしい!
弟が欲しいと思っていたので、とても嬉しい!
今日から俺は、その弟にいつ会っても恥ずかしくないような
立派なお兄ちゃんになる事に決めた!
そのために、記録を取る事にした!
まず何を始めたらいいだろうか?


○月×日
まずは、お兄ちゃん関連の本をたくさん読んで勉強する事にした!
そして、弟に勉強を教えてあげられるように勉強を頑張ろうと思った!
そう思ってテストを引っ張り出して分析してみたけれど……
俺は特に学力には問題は無いと思った。
でも、勉強を教えてあげる練習をしようとおもった!
誰に教えてあげたらいいだろう?

――以下、勉強を教えていたらいつのまにか相手と親友になっていた事、
弟を守ってあげられるようにムエタイを習いたいと言ったら却下された事、
たくさん遊んであげられるように、スポーツもできるようなろうと頑張った事、
弟が頼りやすいように、ガッシリした体になりたいけど筋肉がなかなかつかなくて悩んだ事、
そうこうしていたら、いつのまにか委員長に抜擢されて、これは弟も鼻が高かろうと嬉しかった事……

彩羽さんが色々努力した事と、それがすべて俺の為だった事が日記から読み取れた。
“弟”についてあれこれ書いてある文章はいつも生き生きしていた。
ほとんど“弟”の事しか書いてない。
一目でいいから会いたいと、何度も書いてあった。そのたびに父さんに断られて悔しがっていた。
弟に会ったら、あれをしてあげたい、これをしてあげたい、書かれていたのは全部、
俺やってもらって無下にした事だ。
どんな弟かと想像していたページもあった。彼の想像の中の“弟”は俺の容姿とも性格とも程遠かった。
それでもあの人は……
『あぁ!可愛い!可愛い!俺の理想の弟だ!!』
初めて会った時、本当に嬉しそうにそう言ってくれた。
俺と暮らし始めてからの事を書いてあるページもあった。
俺への不満も、ましてや悪口なんて一言も書いてない。
念願の弟と暮らせるようになった喜びと、俺が可愛くて仕方ない事、
どうしたらもっと懐いてもらえるのか……そんな事ばかり書いてあった。
(彩羽さん……!!)

こんなに大切に想われているなんて、知らなかった。
いや、知ってた。知ってたけどそれがうっとおしく感じていた。
きっと俺が思っている以上に、俺は彩羽さんを傷つけたんだ。
家に帰って来ないのもその所為だ。
(謝らないと……!!)
謝りたい。今すぐに。
けれど、日記や着替えを取りに来るのは友達だって言ってたし……
おそらく、彩羽さんを連れて行った大男がその友達だろうけど、
明らかに俺に怒っていたし、付いて行って彩羽さんに会わせてもらえるだろうか?
色々考えていた。
その時。

「嵐……?」
聞こえてきたのは確かに……
「彩羽さん!?」
振り返ってたら確かに彩羽さんがいた。
困惑した表情で俺を見ている。
「どうして、俺の……」
「あ!すみません、勝手に読んでしまって!!つい……!!」
てっきり日記を読んでいる事を言われたのかと思ったけど、
そうでは無かったらしい。
「日記か?構わない。いつ嵐に読まれても大丈夫なように書いてるから」
「な、何ですかそれ……!!外向け日記ですか!?」
「日記といえども“お兄ちゃん”っぽく振る舞わないとな。
当然、お兄ちゃんたる者、弟に嘘はつかないから嘘は書いてないぞ?」
言っている内容こそいつもの彩羽さんだけれど、笑顔も声も元気が無かった。
だから、俺は思い切って言う。
「彩羽さん……さっきはすみませんでした。言い過ぎました。
お願いですから、帰ってきてください」
「嵐……!!」
彩羽さんは目を丸くして、泣きそうになっていた。
「俺を、許してくれるのか……?」
「許してくれるのは彩羽さんでしょう?それとも、“お尻ぺんぺん”ですか?」
「そ、そんな事……しない!!」
俺の冗談にオロオロしている彩羽さん。
見た事無い気弱な彼がおかしくて、俺は慰めようとして言ったんだ。
「堂々としてくださいよ。お兄ちゃん、なんでしょう?」
「そ、そうだな……俺は嵐のお兄ちゃんだ!!」
ようやくいつもの元気を取り戻したらしい彩羽さんに俺はホッとする。
すると……
「よし!お尻ぺんぺんするぞ嵐!!」
「……は?」
「お兄ちゃんだから!堂々と!!」
「いや、あの……さっきのは、そういう意味じゃ……」
「おっ、思い返せば嵐は、お兄ちゃんを“お兄ちゃん”って呼ばないし、
お弁当は持って行かないし、勉強もしないし、お風呂に入るのは嫌がるし、一緒に寝ないし、
ワガママばっかりだ!わ、悪い子だ!!」
「…………」
そんな偉そうな事を言っておきながら、彩羽さんの表情は弱気だ。
縋るような目で俺を見ている。
「反省させてあげるから……!!」
「嫌……」
「許してあげるからぁっ……!!」
瞳を潤ませて必死な彩羽さん。これじゃまるでおねだりだ。
何故そんなに必死なのか。
本当に俺を“お尻ぺんぺん”するつもりか?
っていうか、何でこんな方向に話が進んでるんだ?
断りたい。絶対に断りたい。
けれどここで、俺が拒んだら……さっきの謝罪も、水の泡になってしまいそうで、
彩羽さんがまた傷心して大男の家に外泊しそうで……
元はと言えば、自分で言い出した事だった。冗談のつもりだったけど。
「……分かりました」
俺は意を決して言ってしまった。
彩羽さんは確かにうっとおしかったけど、俺にも確かに生意気だったかもしれない。
「それで貴方の気が済むなら、どうぞ」
本当に、どうしてこんな事になってしまったのか……


本当に本当に、本当に!どうして!!こんな事になってしまったのか!!
彩羽さんの部屋のベッドに座った彩羽さんの膝の上に腹這いになった俺は激しく後悔していた。
尋常じゃなく、これは滑稽な格好だ!!恥ずかし過ぎる!!
(あの時、何も考えずに断れば良かったのか!?今からでも!?)
「あ、嵐……」
不安げな彩羽さんの声が聞こえる。俺は勢いで叫んでいた。
「怖気づくならもうやめて下さいよ!!」
「いや、俺はお兄ちゃんだから!!少々、心、苦しいが……こういう事も、できないといけないんだきっと!」
バシッ!!
「うっ!!」
「あ……!痛かったか!?」
思いっきり叩かれたが、まだ彩羽さんは遠慮してるみたいだ。
しかし、「痛かったか?」って……
「痛いに、決まってるじゃないですか、叩かれてるんだから……」
「うっ、そうか……そうだ、な……」
彩羽さんは何か考えながらそう言って、また手を動かす。
ビシッ!バシッ!!
「あっ……!!」
「だったら、これでいいんだ……お仕置き、だから……」
バシッ!バシィッ!!
「く、ぅっ……!!」
自分に言い聞かせるみたいに言いながら、彩羽さんは俺の尻を叩いている。
俺は叩かれるたびに声が漏れてしまってどうしようもない。情けない話だ。
「嵐……」
ビシィッ!バシッ!!
「んあぁっ!!はぁっ……!!」
「悪い子め、お兄ちゃんにワガママばっかり言って……、
叱っても、聞かない子は、お仕置きなんだからな……!!」
「やっ……!」
ほとんど無意識で声が「嫌だ」と言葉が出た事に自分で驚いてしまう。
そうしたら、また叩かれた。
バシィッ!!
「うぁああっ!!」
「ほらまた、ワガママ言った……」
(何だこれ……彩羽さん……!!)
やけに心臓が早く打つ。言いようのない焦りが募ってくる。
俺がこの状況を怖れているというのだろうか?
こんな、ただ尻を叩かれているだけの状況を、いい年をした俺が?
(気のせいだ!驚いただけだ!相手は彩羽さんだぞ……!)
認めたくない。怖気づいてなんかない。
ぐっと歯を食いしばってみた。
「お兄ちゃんが、お仕置きしてる時は……いい子にしないといけないんだからな?
返事は“はい”しか、認めないんだからな?」
ビシッ!バシッ!バシィッ!!
「あぁあっ!」
「ほら、返事は?」
「は、はいぃっ!!うぁああっ!!」
やっぱり、声を抑えるのは無理だった。
それどころか、呼吸が浅くなって、どこで息をついていいか分からなくなる。
(痛い……もう叩かれたくない……!!)
そう思って全力で抵抗しようにも……
「こら!暴れるんじゃない!!」
バシィッ!ビシィッ!バシィッ!!
「うわぁああん!」
叩かれると、痛くて力が入らなくなってしまう。
自分では絶対出せないと思っている情けない悲鳴が、頭を混乱させる。
もうこの状態の俺が、どうにかできそうなところは彩羽さんしかなかった。
「いっ、彩羽さん痛い……!!やめてください!!」
「いい子になって俺を“お兄ちゃん”って呼ぶか?」
「そ、それは……」
さっきから嫌に冷静な彩羽さんの声が余計恐ろしく感じる。
そうだ怖いんだ。俺は、今の彩羽さんが怖いんだ。そう認めざるを得なかった。
彼が手を振り上げる気配だけで、慌てて叫んでしまう。
「呼びます!!呼びますから、もう……!!」
「そうか、反省したならその事はいいんだ」
いう事を聞いたけれど、彩羽さんは動きを止めなかった。
バシッ!バシッ!バシッ!!
「んぁああっ!!呼ぶって言ったのにぃっ!!」
「聞いた。いい子だ嵐……で、次……」
「ひ、ぃっ……!!もうやめ……!!」
結構本気で言った。“やめてくれ”と言った。最後まで言わせてもらえなかったけれど。
最初、戸惑っていたのが嘘のように彩羽さんが俺の尻をどんどん叩いてくる。
ビシッ!バシッ!!バシィッ!!
「い、痛い!!痛いぃ!彩羽さぁん!!」
「嵐?」
「あぁ、お兄ちゃん!!痛い!痛いです止めて!!」
「まだまだ。あとは嵐が、“お兄ちゃんのお弁当は持って行く”約束と、
“お兄ちゃんと勉強する”約束と、“嫌がらずにお兄ちゃんとお風呂に入る”約束と、
“一緒に寝る”約束をしないといけないだろう?」
「やだぁぁっ!そんなに無理ぃぃっ!!」
バシッ!ビシッ!バシッ!!
「あぁっ!違うぅ!全部約束する!するからぁぁっ!!」
もう必死で叫んだ。
尻を叩かれるのが長くなりそうで“無理”だと言ったのに
それを反逆だとみなされて余計叩かれたから。尻が痛くて限界だった。
約束のラスト二つは変態の所業だが勢いで約束してしまった。
これでもう、彩羽さんが怒る事もないだろう。
「嵐……」
(まだ何かあるのか!?)
とにかくこれ以上叩かれたくなかった。
相変わらず抑揚のない彩羽さんの声から必死に感情を探してしまう。
何か言わなくては、言わなくてはと気ばかり焦ってしまう。
「ぉ、お兄ちゃ……まだ、怒って……?」
「いや、たくさん叩いたから嵐のお尻が真っ赤になってしまっただろうなと、思って……見てみよう」
「……っ!!」
流石に、ここは「はい」とは言えず……
それでも彩羽さんが無理やりズボンと下着を下ろしてしまったので尻がスースーした。
「あぁ、ほら真っ赤だ」
(何だこれ……俺、どうなるんだ?)
痛いし恥ずかしいしで、頭がおかしくなりそうだった。
ただ、この状態でまた叩かれでもしたらひとたまりもない、最悪だという事は分かった。
俺は尻を叩かれながら泣かされるのか?そう考えただけでもう泣けてきた。
「ごっ、ごめんなさっ……!もうぶたないで……!」
カッコ悪くても何でも、彩羽さんに許しを乞うしかなかった。
泣きながらでも無理やり言った。
「今まで、悪い事してたら、全部、謝りますからぁぁぁ……!
ごめんなさい!ひっく、ごめんなさぁぁい……!!」
「はは、そんなに泣くなんて、よっぽどお尻ぺんぺんが効いたんだな」
バカにされてる気はしたけれど全力で首を縦に振る。
すると、頭を撫でられる感触がした。
「いいよ。許してあげる。そういう約束だったもんな?」
「う、ぁ……!!」
急に優しくされて、また泣きそうになってしまった。
けれどこれ以上、情けない姿を晒したくなくて、ぐっとこらえる。
けど……
「嵐、いい子で反省できたな、偉い偉い」
そう言って抱きしめられたら、やっぱり我慢できなくなった。
彩羽さんの胸で思い切り泣いてしまった。


それから……
「嵐!今日はお前の為にお弁当を作ったぞ!」
「ありがとう、お兄ちゃん……」
「査定を頼む!」
「どれどれ……」
俺は彩羽さんの手作り弁当を覗き込む。
卵焼き、から揚げ、ほうれん草のおひたし……過剰装飾無し、うん、俺が持っても大丈夫な普通の弁当だ。
「合格。持って行く」
「やったぁ!!」
無邪気に喜ぶ彩羽さん。
母さんも朝の仕事が減ったと喜んでいる。
あの一件から、俺と彩羽さんの関係は、俺が彼を“お兄ちゃん”と呼んで彼の世話焼きを少々許容する範囲で変わった。
慣れればたいした変化でも無いように思えてくる。
俺も彩羽さんにはこれまで通り低温気味に接しているが、問題は無いようだ。
「……ところで嵐、お風呂と一緒に寝るのはやっぱりダメなのか?」
問題は無いから、彩羽さんも相変わらずだ。
俺は爽やかに微笑んで、諦めの悪い兄を諭す。
「彩羽さん、前に説明しましたよね?いい歳した男兄弟でそれは異常行動なんですよ?
貴方のだぁいすきな、“お兄ちゃんの世話焼き”のレベルを超えるんです。
何度言ったら分かるんですか?」
「そ、そんなに怒らなくても……!!」
「別に怒ってませんよ」
「だって、嵐は怒ると俺を“彩羽さん”って呼んで唐突に敬語になるんだ!怖い!」
「あ、そういえば……」
彩羽さんに言われて、俺の気付かなかった癖を発見だ。
特に何も感じないので、俺は続きを付け足した。
「とにかく、お風呂と寝るのはヤダから」
「えぇえええ……」
「大体、そんな事して、俺、お兄ちゃんに変な事するかもしれないけど。いいの?」
軽い脅しのつもりで言ってみた。引かれて欲しいくらいの勢いで。
なのに何だか彩羽さんは頬を赤くして……
「……も、問題ない……」
「はっ!?」
「お兄ちゃんというのは、弟のそういう、お世話もするんだろう……?
お兄ちゃんの勉強をしている時に、本で読んだことがある……」
(どんな本読んでんだよ!?)
「だ、だから嵐が望むなら……!!」
「彩羽さん黙ってくれます?」
「ハイ!!」
「学園、途中まで一緒に行こう。
俺、お兄ちゃんとは普通の健全な、兄弟でいたいんだ。
だからお風呂と寝るのは無し」
「うぅ……!嵐はいい子だな……!!分かった!無しだ!」
俺の一言で目をウルウルさせる彩羽さん。
何だかだんだん彩羽さんの扱いのコツが掴めてきた気がする。
「はぐれないように、手を繋いで行こう!」
いや、やっぱり掴めない。
(このくらいは、許容範囲か?)
ちょと、変な気もしたが、嬉しそうな笑顔を拒めなくて。

結局、俺は彩羽さんと手を繋いで家を出た。


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【作品番号】iroha
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